片翼の召喚士 ep.80 強制合宿

chapter-5.初恋の予感編
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片翼の召喚士 ep.80 強制合宿

 7月に入った皇都イララクスには、暑い夏の日差しが降り注いでいた。

 この地域の湿度は、それほど高くはない。陽の照っている場所ではうだるように暑いが、日陰に入ると途端に涼しく気持ちがいい。

 ハーメンリンナは温度管理が広域でされているし、ベルトルド邸の敷地には特別緑が多く生い茂っているので、夏場でも屋敷の中に気持ちのいい風が吹き込んでいる。

 窓は全て開け放たれていたが、薄い麻のカーテンで日除けがされて、室内は柔らかな明るさに満ちていた。

「こうしてのんびりするのも悪くないな。病院だとごめんだが、リッキーと一緒だから気分がいい」

 頭の下で両手を組んで、ベッドにごろりと寝転がりながら、ベルトルドは気持ちよさそうに言った。その傍らにぺたりと座っているキュッリッキは、冷たいオレンジジュースをストローで啜りながら、小さく肩をすくめた。

 昨日退院――半ば逃亡――したベルトルドは、キュッリッキの前でだいじなコレクションが発覚して、大顰蹙を買った。

 原因を作ったルーファスにたっぷり制裁を加えたあと、ベルトルドはコメツキバッタのごとく土下座までして、必死にキュッリッキに謝って怒りを解いて今に至る。

 キュッリッキの信頼を取り戻すため、ベルトルドは血の涙を流しながら、だいじなコレクションをアルカネットの魔法で全部焼却処分した。その陰でルーファスも滝のような涙を流したのは、言うまでもない。

「ちょっと見ない間に、変わったかな、リッキー」

「え?」

「雰囲気が少し変わった気がするぞ。それも、いい感じに」

 相変わらずベルトルドは優しく微笑んでいるが、キュッリッキはそわそわと落ち着かない気分になった。友達のファニーにもそう言われたのだ。

「誰か、好きな人でも出来たのかな?」

 別に責めるような口調ではない。表情はそのままに、穏やかに核心を突いてきた。

 キュッリッキは瞬時にメルヴィンの顔を思い出して、頬を紅潮させると、困ったように俯いた。

「そうか、リッキーは恋をしたんだな」

「こ、恋?」

「ああ。とっても気になっている人を思い浮かべると、そんなふうに、顔が真っ赤になって恥ずかしくなってしまう。でも、好きで好きでしょうがないんだ。リッキーにとって、それは初恋だな」

「初恋…」

 なら、自分はメルヴィンに、恋をしているんだろうか。

 これまで愛というものも知らなかったキュッリッキにとって、恋などというものは無縁だった。

 誰かをこんなふうに好きになるなんて、思いもよらなかった。ライオン傭兵団のみんなや、ベルトルドやアルカネットに対する好きと、メルヴィンに対する好きは、ちょっと違うということだけは判っていた。

「俺も、恋をしている」

 ベルトルドは視線をベッドの天蓋に向けて、これ以上にないほど嬉しそうな顔で笑った。

「この歳になって、やっと本気の恋をしているんだ」

「ベルトルドさんも、初恋……なの?」

 やや遠慮がちに聞くと、ベルトルドは再びキュッリッキに視線を戻して頷いた。

「ああ。俺は、リッキーに恋をしている」

 あまりにもサラッと告白されて、キュッリッキは反応に困った。

 これまで愛しているだの大好きだのと言われてきたが、こうして面と向かって改めて言われると、なんだかとても恥ずかしい。恋というものを、自分でもしているからそう感じるんだろうか。

「俺はガキの頃、好きな人がいたんだが、それは恋には出来なかった」

「え?」

「アルカネットの奴と、同じ相手を好きになったんだ」

 ベルトルドは記憶を辿るように目を細める。

「俺とアルカネット、そして彼女とは、幼馴染だった」

 目を閉じ、昔のことに思いを馳せた。

「隣近所で、何をするのも一緒、俺もアルカネットも彼女が大好きだった。それが恋に発展するのも、アルカネットと同じ時期でな」

 キュッリッキは黙って聞いている。

「だがアルカネットの奴が、彼女に告白するから、俺には引き下がれと面と向かって宣言されてしまった」

「アルカネットさん………」

「俺は2人が大好きだったから、2人が恋人同士になるのは構わなかった。――だから俺は、恋をしそこねたのさ」

 ベルトルドの表情には悔しさも無念さもない。ただの思い出話を懐かしく語るだけの、とても穏やかな顔だった。

「恋は良いもんだな。リッキーがそばにいるだけで幸せだ。キスもしてもらったし」

「あ…あれは、別に恋とかじゃなくって、その、か…感謝のキモチだからねっ!」

 思わずムキになって身を乗り出すと、ベルトルドはククッと笑う。

「アルカネットに見せつけてやれたから、なんにせよ大満足だ、俺は」

「もぉ……」

 オマケにメルヴィンの前でも見せつけてしまったことを思い出して、キュッリッキはふくれっ面になった。

「今まで色んな女どもと関係をもってきたが、我を忘れるほどのキスは、これまで一度もなかったなあ……」

 ハァ…とため息をついて、ベルトルドは記憶に残る女達のことを思い出す。

「顔や見てくれはイイんだがな、欲求不満の解消にはなったが、恋だの愛だのに発展しなかった。若い頃から随分の数の女を相手にしてきたが、恐ろしい程身体の関係だけで終わった」

 ちなみに今も若いぞ、と真顔で釘を刺す。

「俺はロリコンだったのか…とも思ったが、リッキーくらいの歳の少女も何人か迫ってきたが、まあ当然追い払ったがな。さすがに欲情はわかなかった」

「ふーん…」

 ベルトルドの女性遍歴告白に、どう反応していいのか困って、キュッリッキはわざと気のない返事をするだけだった。

「今はもうリッキーに恋をしているから、俺は満足だ」

 無邪気に笑いかけられて、キュッリッキは僅かに頬を赤らめた。

「リッキーが俺以外の誰かに恋をしていても、俺は構わない。リッキーを好きで、愛しているのは俺の意思だしな。もちろんリッキーが、俺に恋をしてくれると、最高に嬉しいんだが」

「ベルトルドさん……」

 ベルトルドのことは大好きだ。でもそれは恋愛感情とは違う。父親のようなだいじな存在だ。だからひとりの異性として、意識することは出来なかった。

 これまで種族のこと、生い立ちのこと、コンプレックスのことなどが心に障壁を作って、人を好きになることや愛することとは無縁だった。ファニーやハドリーに友誼を感じるまでには、随分時間を要したくらいだ。

 2人と出会うまでは、人を信じることが全く出来なかったのだ。

 全ての人間は敵であり、自分を責め苛む存在だった。少しでも心を許せば、隠していたい秘密が暴かれる。信じられるのはフェンリルやアルケラの住人たちだけだ。アルケラの住人たちだけは絶対にキュッリッキを裏切らない。

 でも心のどこかでは、温かい家庭、優しい両親、親しく心許せる友達が欲しかった。

 時折街で幸せそうな家族や友達同士の他人を見かけると、胸の奥が苦しくなり辛かった。今も辛いと感じるが、昔はさらに酷かった。

 ファニーもハドリーも家族のことは一切話さない。3人とも互の境遇には一切触れないし、そのことが2人を受け入れた最大の理由だ。もし2人が家族のことを嬉しそうに話していれば、キュッリッキは心を開かなかっただろう。心を開けたから、少しだけ自分の秘密を話すことができた。

 そんな中、ライオン傭兵団に勧誘され入団すると、初めて居心地の良さを感じた。自分にも居場所ができたのだと思うことができた。そしてベルトルドとアルカネットと出会い、全てを曝け出し、ありのままの自分を出すことができたのだ。

 こうして、恋というものが出来るまでになった。

 ベルトルドには感謝してもしきれないほどの恩義を感じている。でも、それでも恋愛感情となれば話は別だった。

「リッキーが恋をしている相手を、当ててみようか」

 寝転がったまま、ベルトルドはにやりと口の端を歪めた。

「えっ?」

「サイ《超能力》は使わないぞ」

 挑むように言われて、キュッリッキは顔に緊張を浮かべて、自然と背筋を伸ばした。

「俺の知ってる奴だな」

 目を閉じ、わざとらしく考え込むように顎を引く。そして頭の下から片手を出すと、人差し指を立てた。

「メルヴィンだろう?」

 人差し指をキュッリッキに向け、不敵に笑う。

 キュッリッキは瞬時に顔を真っ赤にして、口を戦慄かせた。

「ち……ちが……ちが」

「おや? ハズレか?」

 笑い含みに言うと、キュッリッキの顔がますます赤くなる。そのうち火でも吹きそうだ。その様子があまりにもおかしくて、ベルトルドは大笑いしたいところを、必死に我慢した。

「んもおおおベルトルドさんのバカぁ!」

 激しい動揺を隠そうとしたキュッリッキは、膝の上で寝ていたフェンリルの尻尾を掴むと、思い切りベルトルドの顔に叩きつけた。

「ふがっ」

 フェンリルの頭部がモロ鼻にぶつかって、一瞬目の前が真っ白になりかけた。目に涙をにじませながら、ベルトルドはフェンリルの後脚を掴んで顔から引き剥がす。

「一応顔はだいじなんでな……。生きてるか、犬は」

 当然フェンリルは脳天直撃で、意識がふっ飛んでいた。まるで蛙の干物のような体勢で伸びてしまっている。

「あ……」

 キュッリッキは自分が掴んで叩きつけたのが相棒だと気づいて、サーッと血の気がひいていった。

 ベルトルドから呼び出され、メルヴィンとルーファスは、キュッリッキの部屋のドアをノックした。

 入れ、と声がかかり室内に入ると、大きなベッドの上に寝転がったベルトルドと、明後日の方向を向いて、念仏のようにブツブツ何かを言ってるキュッリッキが座っていた。

「ごめんねフェンリル、ごめんね、ごめんねっ」

 人間で言えば「ぶすーーーーっ」とむくれたような顔をして、フェンリルが面前のキュッリッキを睨みつけている真っ最中だった。

 ルーファスが「どうしたんです?」とジェスチャーでキュッリッキを指すと、ベルトルドはニヤニヤとした笑いをキュッリッキに向ける。

「もうぉ、笑わないでよーー!」

 キュッリッキは泣きそうな顔で叫んだ。

 そしてメルヴィンとルーファスが、「ぶっ」と突然吹き出して笑いだした。ベルトルドがサイ《超能力》で、フェンリルの悲劇のシーンを見せたらしい。

 3人は笑うだけ笑うと、息苦しそうになんとか笑いを引っ込めた。キュッリッキは憮然とした顔で、そんな3人を睨みつけている。

「鼻がとっても痛かったが、面白かったぞ。さすがは神だな、意識は飛んだようだが生きていたか」

 噛み付きそうなフェンリルに睨まれて、ベルトルドは面白そうに片方の眉だけ上げた。

 叩きつけられたことよりも、咄嗟のこととはいえ、意識を手放してしまったことに、フェンリルはプライドを傷つけられ腹を立てていた。

「さて、あいつらもここに飛ばすぞ」

 ベルトルドは身体を起こすと、あぐらをかいて座り直し、パチリと指を鳴らした。

 それは、あまりにも一瞬のことだった。

「ほんとに空間転移したぞ!」

 ギャリーが喚く。

「一瞬でしたねえ、凄い、凄い」

 驚いたようにカーティスが呟いた。

「あれっ? みんなどうしちゃったのよ?」

 ルーファスがギョッとして、自分の周りを見回す。

 突如ルーファスとメルヴィンの周りに、大きな荷物を背負った、ライオン傭兵団が勢揃いしていた。

 それは、霧けぶる早朝のことだった。

 突然ベルトルドに念話で叩き起され、驚いた拍子に横で寝ていたマーゴットに肘鉄を食らわせてしまった。幸い彼女は唸り声を上げただけで、目は覚まさなかった。

(おはようございます、なんですか……、ムゥ…まだ4時じゃないですかっ!)

 カーティスは枕元の小さな置時計を手に取って時間を確かめると、眉間を不愉快そうに寄せた。

 昨日ソレル王国に居残っていたザカリー、マリオン、マーゴットの3人が帰ってきて、久しぶりにマーゴットとベッドを共にして、気分良く寝ていたらこれである。

(やることやったあとだから、別にいいだろう)

(………)

 いいわけあるか、と念話にではなく小声でぼやく。

(早速だが、今日の昼過ぎに俺の屋敷にこい。マーゴットとブルニタルは留守番、その他全員、1ヶ月ぶんくらいの着替え諸々荷造りしておけ)

(はぁ……?)

(荷造り終わったら、食堂にでも集めておけ。俺のサイ《超能力》で屋敷まで転移させるから)

(はぁ…)

(詳細はこちらで話す。以上だ)

 そこで念話はきれて、カーティスはまだ眠気の満ちる頭で何事か考えようとしたが、アレコレ考えてもしょうがないとの結論に達し、再び眠りに就いた。

 早朝のことを思い浮かべ、カーティスはベッドの上のベルトルドを軽く睨む。

「これだけの人数を一度に飛ばすと、さすがに堪えるな……」

 現在確認されているサイ《超能力》保持者の中で、ベルトルドにしかできないと言われる空間転移。どんなものでも瞬時に空間を移動させられるのだ。

 ただ飛ばす量が多いと身体に負担がかかるようで、この場にヴィヒトリがいたら軽く睨まれるところだった。

 本当に億劫そうにベルトルドは横になり、シレっとキュッリッキの膝の上に頭を乗せた。

「あああ!! おっさんなにしてるんだ!!」

 気づいたザカリーが、指をさして怒鳴る。

「見ればわかるだろう、リッキーに膝枕してもらっている」

 横になりながらも腕を組み、さも当然といった体で答える。しかもドヤ顔である。そのふてぶてしい態度が、ザカリーの怒りを煽りまくった。

「何を羨ましいことをヌケヌケと……」

 拳を握り締め、悔しさのあまりザカリーは唇を戦慄かせた。足元でハーマンが「よしよし」と同情を滲ませ足を叩く。

 キュッリッキは突然のことで事態を飲み込めていなかったが、膝の上に頭をのせたベルトルドのことはどうでもよく、かなりのテンポをずらして「みんな~」と嬉しそうに声をかけた。

「天然入りすぎだぞキューリ」

 反応の鈍さに、ギャリーが肩を落としてツッコんだ。

「さて、我々をお呼びになった理由を、お聞かせください」

 カーティスが努めて冷静に言うと、ベルトルドはフンッと鼻息をついた。

「今日からお前ら、俺の屋敷で合宿だ」

 かなりの間を置いたあと。

「なんだってえええええ!!?」

 と、絶叫が屋敷中に轟いた。

「北の棟に部屋を用意してやった。細かいことはセヴェリに一任してあるから、あとで指示を仰げ」

 冗談じゃねえ、という空気が憚ることなく露骨に漂う。

「合宿ってどんなことするの?」

 この空気の中にあって、ただひとり嬉しそうな声を出すのはキュッリッキだった。合宿という単語に、なにか楽しそうな雰囲気を感じたらしい。ベルトルドはニッコリとキュッリッキに微笑んだ。

「今日からしばらくの間、こいつらも俺の屋敷で寝泊りするんだよ」

「みんなと一緒!」

 キュッリッキの顔がみるみる喜びで輝く。

 これなら毎日でもみんなと一緒にいられる。それを思うと、キュッリッキは嬉しくて嬉しくて心が弾んだ。

「ペルラ、ガエル、ヴァルト、そしてリッキーの4人は、この国の軍入隊経験がなかったな。ルーも軍ではないが、まあ宮仕え経験者か。――リッキーは俺直属になるからいいとして、お前ら、懐かしさ溢れる古巣に一度戻ってもらうぞ」

「ほえ?」

 シビルが間の抜けた声を出すと、ベルトルドはその反応が予想通りなのがおかしくて、笑みを深める。

「ライオン傭兵団は臨時で一時、皇国の軍隊に編入してもらうと言っている」

 今度こそ完全に沈黙が降臨した。

「マリオンらからある程度、話は聞き及んでいるだろう。かのソレル王国が、近隣小国と結託して、飼い主である皇国に戦争を吹っかけようとしていると。せっかくだから、皇国の戦力と対等に戦えるだけの準備くらいさせてやろうと、生ぬるく見守ってやっていたが、どうやら向こうの準備が整ったらしい」

「泳がせていたんですか」

 苦い表情を浮かべるカーティスに、ベルトルドはニッコリと笑んだ。

「中途半端に手を出すわけにもいかない。貴様らに救出依頼をして、暴れてもらった件もあるし、あれで奴らも動きを慌ただしくしたようだ。まあ、奴らの期待に派手に応えてやるのも飼い主の務めというもの。どうせ遊んでやるなら、出し惜しみせず、最大戦力で迎え撃ってやろうと思ってな」

 ベルトルドはキュッリッキの膝に、何度か頬をスリスリして感触を楽しむ。柔らかだが、ハリのある肌が気持ちイイ。

「そこでお前たちに仕事の依頼だ。報酬大いに弾んでやるから、戦争手伝え」

 にっこりと締めくくると、皆脱力した顔を並べていた。

「傭兵の本分だろう、戦争は。小競り合い程度の戦争は経験があるだろうが、今回のような大規模なものは、貴様たちは初めてになるか。――いや、3年前に一回あったな」

 ギクッ、という雰囲気が室内に漂う。そして、ベルトルドとキュッリッキを除く全員が、カタカタと身体を震わせ、顔を青ざめさせた。

「?」

 キュッリッキは不思議そうにライオン傭兵団を見る。

「ふふーん。懐かしい思い出だよなあ、貴様らの無様極まるあの戦場での姿」

「思い出させないでくださいよー!!」

 腹の底から振り絞るように、ザカリーは叫んだ。

「いやもう、マジ勘弁っすよ御大…」

 ギャリーもゲッソリしながら、もごもご口を動かした。

 ベルトルドは意地の悪い笑みを向けて、更に彼らの胃痛を煽った。キュッリッキだけは話が見えなくて、ちょっと拗ねて唇を尖らせる。

「詳細は追々話してやるが、大雑把に言うと、最初は軍隊と共に動いてもらうが、最後は俺とアルカネットと共に動いてもらう。思い上がった馬鹿どもに、力の差というものを知らしめるために俺も出る。飼い主に逆らったらどうなるか、徹底的に叩き潰す。手心を加えるつもりもない。――終戦後には、モナルダ大陸からソレル王国の名が抹消されることになるな」

 クックッと愉快そうにベルトルドは笑った。

「こちらの準備もほぼ終わっている。あとはお前たちが、軍服に袖を通すだけだ」