片翼の召喚士 ep.76 「みんな!」
「キュッリッキちゃんが見舞いに来たって知って、子供みたいに悔しがってたよ。ぷんぷん拗ねちゃってさ」
「あははー。やっぱりネー」
見舞いに出かけた翌日、診察に来たヴィヒトリが昨夜のベルトルドの様子を披露して、ルーファスは大笑いである。そんな2人の会話を聞きながら、キュッリッキは必死に朝ごはんを食べていた。
「というわけで、熱もすっかり下がって元気だよ」
(よかったの…)
キュッリッキはホッと胸を撫で下ろす。
あんなにぐったりした姿は初めて見たので、元気になったと聞いて心底安堵する。
「キュッリッキちゃんの怪我もだいぶ良いし、閣下もそろそろ退院だから、みんなも一安心ってところだね」
「ウンウン」
「そいえば、今日はメルヴィン居なくない?」
「用事があって出かけてる」
「ふーん。キミが朝から顔を出してるから、珍しいなと思ってネ」
「たまにいるじゃない。まあ、メルヴィン出かけるの決まってたから、深夜のデートは控えたってわけ」
「ほぼ毎日やってるの? タフだね」
ヴィヒトリは呆れたように言って立ち上がった。そしてキュッリッキの頭を撫で撫でする。
「朝ごはん全部食べたね。いい子いい子」
「うん、頑張ったの…」
キュッリッキは苦しそうに、小さくゲップした。それを苦笑しながら見て、ルーファスはトレイを下げる。
「んじゃ、ボクは病院へ行くね。また明日、見送りはいいよ」
ヒラヒラ手を振って、ヴィヒトリはスタスタと部屋を出て行った。
「横になる? キューリちゃん」
「ううん、このままでいい」
「じゃあオレ、食器片してくるね」
「うん、ありがとう」
朝ごはんという名の拷問が終わり、キュッリッキは疲れたように身を沈めた。
コンコン、とドアをノックする音がして、セヴェリが素早くドアを開ける。化粧もバッチリのリュリュが顔を見せた。
「おはようベル、調子はどうなのン?」
紅茶を飲んでいた手を止め、ベルトルドは「おう」と無愛想な声を出した。
「昨日熱を出したって聞いて、心配してたのよ。忙しくて来れなかったけど、もう大丈夫そうね」
「ああ、今はもう何ともない」
「それは良かったわ。でも、なんだかご機嫌ナナメなようね。何かあったのん?」
ベルトルドはムスっとさせた顔を、更にぶすぅっとさせる。
「俺がいないのをいいことに、アルカネットのやつが、リッキーに悪さしていた」
「どんな?」
「睡眠薬飲ませて、キスしたり身体を舐め回してたり、俺が阻止しなかったら最後までヤッってたぞあいつ!」
ふぬぅーっと喚いて、ベルトルドは拳を握り締めた。
「まったく、しょうのない子ね、アルカネットも」
リュリュは額に片手をあてて、呆れたように溜息をついた。
「もうおちおち寝てられん! 即刻退院するぞ退院!」
ベッドの上に立ち上がり、ビシッとセヴェリを指差す。
「退院の手続きをして来いセヴェリ! 今すぐに!」
「それはいけません、旦那様」
「そうよ、ベル。いい子だから落ち着きなさいな」
「これが落ち着いていられるか!」
リュリュは「はぁ…」と息を吐き、スクッと立ち上がる。
「病人だと思ってガマンしてあげてたけどぉ、これだけ元気だもの、暴れん棒もさぞかし元気いっぱいでしょーネ?」
ハッとしてベルトルドは硬直する。リュリュを見ると、肉厚の唇をすぼめ、人差し指をくわえこみ、股間を見つめていた。
「わたくしめは、トイレへ行ってまいります」
セヴェリは優雅に一礼すると、さっさと病室を出て行った。
じゅるり、と舌を舐めずる音がして、ベルトルドは乙女のように身構える。
「お・し・お・き・ヨ」
「いやあああああっ」
要人病棟に、ベルトルドの悲鳴が虚しく轟いた。
食器を片して戻ってきたルーファスは、ベッドの傍らの椅子に座り、雑誌を広げて読んでいた。読んでいるのは毎度のアダルト誌。女性の裸体写真やら水着の写真などが、惜しみなく掲載されているものだ。
「このエロ雑誌は優秀なんだよ! 本当はナマに勝るものはないんだけど、四六時中理想のナマを拝めないでしょ。これ未修正だし高いだけあって、見応え充分!」
ハンサムな顔をにやけさせながら、ルーファスはキュッリッキに力説した。
力説されても困ることだが、ルーファスが見ているアダルト雑誌のほとんどが、ベルトルドの部屋から拝借してきたものだということが、キュッリッキの気分を複雑にさせた。
(ベルトルドさんもあんなふうに、あの雑誌をみてニヤニヤしてるのかな…)
鼻の下を伸ばし、ニヤニヤと雑誌を見ている姿を想像すると、嫌悪感が湧いてくる。
後にそれがベルトルドにバレて、ルーファスはこっぴどく折檻される羽目になる。もちろん雑誌を勝手に持ち出したことではなく、キュッリッキにバレてしまったことにだ。
とくにすることもなく、キュッリッキは身体を起こしたまま、クッションで丸まって寝ているフェンリルを見ていた。
いつもなら傍らにはメルヴィンがいて、退屈そうにしていると、どこか必死に話しかけてくれる。
ぎこちない様子で、一生懸命話題を捻り出して、四苦八苦話してくれた。そして話が数分で終了してしまうと、心底申し訳なさそうに謝るのだ。
(メルヴィンいなくて、寂しいかも…)
どこに出かけているか知らないが、優しいメルヴィンが傍にいないだけで、こんなにも寂しく感じてしまう。
(誰かと会ってるのかなあ)
そう思った瞬間、心の中がザワザワしだして、左手をギュッと握り締めた。
(だ、誰かってダレ? お…、お…、女の人…とか!?)
だとしたら!?
メルヴィンが自分の知らない女の人と会っているのかと思うと、何故だかムカついてくる。
(ルーさん知ってるかな)
チラリとルーファスを見ると、ニヤニヤしながら雑誌に夢中だ。
(別に、メルヴィンが女の人と会ってたって構わないけど…でも…)
自分以外の女の人と親しくしているのが、凄く嫌だと思ってしまう。
初めて沸き起こる感覚に、キュッリッキは酷く戸惑った。なんだかとっても落ち着かないのだ。
キュッリッキは何度も何度も顔を上げては、すぐ俯かせた。雑誌に集中しているルーファスはその様子に気づかない。
もう何度目になるか、意を決したように顔を上げると、キュッリッキはルーファスに声をかけた。
「ルーさんあのね、ちょっときいてもいいかな」
「ん? どうしたんだい?」
雑誌から顔を上げると、ルーファスはにこやかにキュッリッキのほうを見る。
「えっとね……」
左手でシーツを掴んだりはなしたり、視線をそわそわと泳がせたりと、はっきりしないキュッリッキを、ルーファスは辛抱強く待つ。
「あのね、……えっと、メルヴィンには……んと」
だんだん白い頬が紅潮していく。
「その……、付き合ってる女の人って、いるの、かな…」
言ってさらに顔を真っ赤にさせた。髪の毛で隠れて見えないが、おそらく耳も真っ赤に染まっているだろう。
ルーファスはたっぷりと間を置いたあと、内心「おやおや~」と、大きく頷いた。
ベルトルド邸に来て、1週間くらい経った頃から、なんとなくそんな雰囲気が漂いだした。
メルヴィンに向けて、どこかはにかむ様な、可愛らしい態度を覗かせているのは感じられた。とくにここ数日は、傍から見ていてもよく判るくらいに。
信頼、喜び、そういった感情が、メルヴィンが傍にいるだけで、キュッリッキの表情から溢れ出していた。
ただ残念なことに、そういうことには鈍感なメルヴィンは、全く気づいていないようだったが。
メルヴィンに女なんかいない、という期待と、いたらどうしよう、という不安の両方を顔に貼り付けて、キュッリッキはルーファスをじっと見つめた。
くすぐったそうにルーファスは笑うと、小さく肩をすくめた。
「そーだなあ、オレは聞いたこともないし、女の影は全然感じられないなあ」
その言葉に、キュッリッキの目が期待に大きく見開かれる。
「ホント!?」
「うん。あの堅物のメルヴィンにカノジョがいたりしたら、すぐにバレバレだからね~。隠れて付き合えるほど、器用じゃないから」
ルーファスがにっこり笑うと、キュッリッキは肩の力を抜いた。そして安堵したように口元をほころばせた。
(キューリちゃんは、メルヴィンに恋しちゃったのね)
ベルトルドとアルカネットが、何やら愛の告白のようなことを言ったという。でもキュッリッキからは2人に対して、そうした恋愛の雰囲気は一切感じられなかった。
父性愛丸出しなオッサンたちの押し付け愛よりも、優しくて不器用なメルヴィンに、キュッリッキは恋をしたのだ。
それはとても微笑ましいことだった。なにせライオン傭兵団の中には、そういう純粋な要素が微塵もなかったのだ。しかし同時に、今は遠くにいる親友を思うと、残念な気持ちにもなる。
はっきりと口にしていたわけじゃないが、キュッリッキに気があるのは判っている。彼は可愛い女の子が大好きだから。
そしてメルヴィンも、どことなくキュッリッキを意識し始めている。それが恋愛感情によるものなのかは不明だが。でもメルヴィンの気持ちが恋愛の方へ傾けば、親友は完全に失恋するだろう。可哀想だが、仕方ないよね~という気持ちだ。
(しかし2人の想いが成就するには、特大の障壁が邪魔をするだろうなあ…)
ベルトルドとアルカネットの、キュッリッキに向ける愛情が尋常ではないことはイヤでも判る。ただのお気に入りや気まぐれで、キュッリッキをかまっているようには見えない。かなり本気なんだろうなと判るくらいだ。
きっと、キュッリッキの想いなどお構いなしに、自分たちの愛で押さえつけてしまうだろう。
誰とどんな結末を迎えるのか判らないが、この不憫な少女が幸せになれるといいな、とルーファスは本気で願った。
大事な仲間であり、妹のような存在なのだ。味方をするなら、キュッリッキの味方になってあげたい。
やがて正午を告げる厳かな鐘の音が、静かな部屋の中に鳴り響いた。ハーメンリンナ全体に轟く鐘の音だ。
物思いにふけっていたルーファスは、鐘の音で意識を戻すと「そろそろかな」と呟いた。
「何が?」
その呟きにキュッリッキが反応すると、
「もうじき判るよ」
にっこりと言うルーファスの言葉に、ノックの音が続いた。
「失礼いたします。皆様いらっしゃいましたよ」
リトヴァが笑顔で告げると、大きく開かれた扉から、ガヤガヤと賑やかな集団が姿を現した。
「ご無沙汰してますね、キューリさん」
先頭をきって入ってきたカーティスが、にこやかに片手をあげた。
「みんな!!」
キュッリッキは嬉しそうに声を張り上げると、身を乗り出しベッドから飛び出そうとして、均衡を崩して大きくよろめいて落ちそうになる。
「ちょ、キューリちゃん落ち着いて」
慌ててルーファスが抱き止め、ゆっくりと座らせる。
「なーんだよ、ケッコー元気そうじゃねーか」
ニシシッと笑いながらギャリーは身をかがめると、掌でキュッリッキの頭をぽんぽんと叩く。
「しっかしおめぇ、一回り小さくなってねーか? ただでさえちっぱいなのに、ついにまな板になっちまってよ」
「ちゃんとあるもん!!」
キュッリッキは顔を真っ赤にして抗議する。
「キューリさんよかったご無事で~」
「心配したんだよー!」
シビルとハーマンが、ベッドに飛び乗ってキュッリッキに抱きついた。お互いこれでもかと、フサフサの尻尾を振り回す。
「ありがとシビル、ハーマン。もう大丈夫だよ」
「キューリてめー、なんつー広いベッドに寝てるんだ! 俺様が大の字になっても余裕ありまくりじゃないか!!」
いつの間にかベッドに飛び乗っていたヴァルトが、長い両腕と両脚を大きく開いて大の字になって寝そべっている。たしかにヴァルトのような長身が寝ても、余裕はたっぷりあった。
「これなら寝相が悪くても落ちませんね。広々といいベッドです」
眼鏡をかけ直しながら、ブルニタルが羨ましそうに言う。
「でもね、ベルトルドさんとアルカネットさんに挟まれて寝てるから、アジトのベッドよりも狭いの…」
キュッリッキがげっそりと言うと、
「あのドSどもと一緒に寝てんのかよ」
「おまえもうヴァージンじゃねーな!」
「スリープレイとか凄いやつだなおまえ」
「ちゃんと眠れてますか?」
「完全におもちゃにされてるな…」
「寝てる間にパンツ見られてるんじゃね」
「悪夢だけ毎日見そうですねぇ」
皆口々に言いたい放題である。
「まあ、元気そうでよかった」
フェンリルを肩に乗せたガエルが、キュッリッキの頭に大きな掌をのせた。掌から伝わってくるぬくもりに、キュッリッキは満面の笑顔を浮かべる。
キュッリッキや仲間たちの賑やかすぎる様子を見て、最後に部屋に入ったメルヴィンの表情も、明るい笑みに包まれた。
ナルバ山の遺跡での一件以来、離れ離れになっていたライオン傭兵団のメンバーも、ずっとキュッリッキを心配して悶々としていた。
ルーファスやメルヴィンから日々彼女の様子の報告はもらっていたが、あの酷い惨状を目の当たりにしていただけに、直接会って確認し、安心したかったのだ。
そしてキュッリッキも、みんなに会いたい会いたいと言い続けていた。
今回メルヴィンとルーファスの計らいで、皆をベルトルド邸に招いて見舞いが実現した。その許可を得るために、メルヴィンがベルトルドに会い行き、留守にしていたのだった。
「俺が許可せずとも、どうせ呼ぶんだろう。ずっと会いたがっていたからな、リッキーも」
そう言ってベルトルドは了承してくれた。ほかならぬキュッリッキのためならば反対する理由はない。
こうして3名を除いたライオン傭兵団員が一堂に会して、だだっ広い部屋の中が、アジトの談話室のように賑わっていた。