片翼の召喚士 ep.70 家庭教師を雇おう
ベッドの傍らに急遽設えられたテーブルに、ベルトルドとアルカネットの夕食が並べられた。給仕をするために、使用人が数名傍に控える。
お腹がすいていたベルトルドはおとなしく食事を始めたが、アルカネットはキュッリッキに食べさせる方を優先させていた。
「では、リッキーさんを学校に通わせるのですか?」
キュッリッキが勉強をしたいという話をアルカネットにして、どういう方法をとろうかとベルトルドは相談を持ちかけた。
「んー…、仕事の合間を縫って、だと、落ち着いて出来ないだろうしなあ」
基礎教科を学ぶための学校は、年齢制限もなく、家庭の事情などで子供の頃通えなかった大人が、仕事の合間に通う者も多い。しかし、仕事で休む人に合わせた進行はしないので、遅れた分は自主学習となってしまう。
「それならば、家庭教師を雇えばいいのではないでしょうか。身体を起こせるようになれば、すぐにでも開始できますし」
「ああ、それはいいな」
「家庭教師?」
キュッリッキが不思議そうにしていると、アルカネットが頷いた。
「ええ。家に教師を招いて、勉強を教えてもらうのですよ。あらゆる教科を教えられる教師や、教科ごとの教師など、リッキーさんの為だけに勉強を教えてくれます」
「うわあ…」
キュッリッキの表情が、キラキラと輝いた。
「うん、そうだな、家庭教師が良いか」
ベルトルドはワインを一口飲むと了承した。そして、と顎に手をあて考える。
「となれば、どんな教師を雇う、かだなあ」
「そこが大問題です」
ううん、と2人は腕を組んで、神妙に考え込んだ。
翌日、特殊部隊ダエヴァの3長官たちとの会議の場でも、ベルトルドはキュッリッキの為の家庭教師選びを考え込んでいた。周りの声など当然耳に入っていない。
「ちょっとベルぅ、話きーてんの?」
秘書官のリュリュに耳を引っ張り上げられて、ベルトルドは「イテテ」と顔をしかめた。
「何だ? 耳を引っ張るな」
「何だじゃないわよ! 会議中よ会議っ!」
「そんなもん後でお前が書類にまとめればいいだろう。俺は忙しいんだっ!」
「どうせ桃色妄想でも浮かべてるんでしょ! ったく、真面目におやんなさい」
「リッキーの家庭教師を誰にするか考えることが、緊急の至上課題なんだ俺は!」
拳をテーブルに叩きつけ、ベルトルドは真顔で怒鳴る。しかしリュリュは意に介した様子もなく、垂れ目を眇めてベルトルドを睨みつけた。
「そんなもん、執事に適当に選ばせておけばいいじゃないの」
「俺の可愛いリッキーに勉強を教えるんだぞ、他人に選ばせるなんぞ出来ん!」
「じゃあ、アルカネットに任せておけばぁ?」
「ヤダ」
ツンッとベルトルドはそっぽを向く。
「あ、あの…」
そこに、ダエヴァ第三部隊のカッレ長官が手を挙げる。
「どったの?」
リュリュが促すと、カッレ長官は立ち上がった。
「お話に割り込むようですみません。その、家庭教師の件なのですが、推薦したい人物がございます」
「おお、カッレの知り合いか?」
ベルトルドが喜々として身を乗り出す。
「我が姉グンヒルドなのですが、昔から家庭教師を務めておりまして、主にハーメンリンナの貴族の令嬢を相手に教えています。つい先日、生徒の令嬢がお輿入れすることになり、お暇を出されたばかりで、次の勤め先を探している状態なのです」
「あらあ、タイムリーじゃない」
「今日にでも会えるか連絡を今すぐ取れ、カッレ!」
「ハッ」
会議室を追い出されるように連絡を取りに行ったカッレ長官は、笑顔で戻ってきた。
「是非にとも、お会いしたいそうです。21時までなら、閣下のご都合のよろしい時間に合わせられるそうです」
「おお、助かる」
「17時以降なら、時間の調整は出来るわよ」
「では、会議が終わったらリュリュと相談して時間を決めて、姉君に報告してくれ」
「承りました」
18時に宰相府で面接することが決まり、カッレ長官に付き添われて、グンヒルドがベルトルドの執務室を訪れた。
「ようこそグンヒルド夫人、そちらにおかけください」
「ありがとうございます、副宰相閣下」
ベルトルド自らが応接ソファセットまで、手招きでグンヒルドをエスコートした。
「それでは、小官はこれで。失礼いたします」
「ご苦労だったな、カッレ」
多少小柄な身体付きのカッレ長官は、ビシッと背筋を伸ばして綺麗な敬礼をすると、颯爽と執務室を辞した。
入れ違いにリュリュが紅茶を運んでくると、向き合う2人の前にカップを置いて、ベルトルドの後ろに控えた。
「早速本題に入らせていただく」
「はい。お忙しい中時間を割いていただいて、ありがとうございます」
たおやかに頭を下げたグンヒルドは、ベルトルドと同じく41歳になるという。明るい栗色の髪は柔らかに結い上げられ、紺色のタイトなドレスに身を包んでいる。表情は見た者を安堵させる、優しい雰囲気をたたえており、美女というわけではないが、人当たりのいい顔立ちをしていた。
「あなたに教えていただきたい生徒は、18歳の少女です。名をキュッリッキといい、俺が後ろ盾をしている傭兵団の傭兵です」
「まあ、傭兵をしているのですか、女の子が」
グンヒルドは、やや驚いたように目を見開いた。
「子供から大人まで、珍しいことではありませんよ」
それについてグンヒルドはこだわる様子はなく、小さく頷くにとどめた。
「ただ、複雑な事情を抱えた子で、端的に申し上げると孤児なのです。その為学業経験がありません。簡単な読み書きや計算は出来るようですが、彼女はもっと色々なことを学びたいと望んでいます」
「そうでございますか…」
「それに、少々人付き合いが苦手なところもあり、そういった面も含めて、教えていただける教師を探している次第です」
ベルトルドの顔を見つめながら話を聞いていたグンヒルドは、ふと首をかしげる。
「実際にお会いしてみないと、詳しいことは判りませんが、その方は閣下のお子様ではないのに、どうしてそこまで?」
18歳にもなれば、ほぼ成人である。傭兵という仕事もしていて、人見知りでも学業を学びたいなら、自ら基礎学校へ通うだろう。手続きも案内が詳しく説明してくれるだろうし、第一家族でもない相手に家庭教師を付けようとは、不思議なことだとグンヒルドは思っていた。
「リッキーは…――キュッリッキの愛称です、近い将来、俺の花嫁になる女性です!」
グッと握り拳を作って、ベルトルドはドヤ顔で断言した。その後ろで、首を左右に振ってリュリュが否定する。
「愛おしすぎる花嫁の願いを叶えてこそ男というもの!」
「ドサクサに紛れて嘘を仰らないでください! 誰があなたの花嫁ですか図々しいことをヌケヌケとっ!」
そこへドアを蹴破り、息の荒いアルカネットが飛び込んできた。全速力で走ってきたようだった。
「視察が長引いて出遅れました。お初にお目にかかりますグンヒルド夫人、リッキーさんは私の花嫁になる女性です。そこ、お間違えなく」
「誰がお前のだっ! 俺のだリッキーは!!」
「女を取っ替え引っ替えするような不誠実な人が、どの口で戯言を語るのでしょう」
「あーたたち、客人の前ってこと絶対忘れてるでしょ…」
リュリュは手にしていたトレイで、2人の脳天を思いっきりぶっ叩いた。
「ゴメンナサイネ、お見苦しいところを。おほほほほ」
グンヒルドはニッコリと笑顔を3人に向けつつ、
(カッレに聞いていた通りね…。面白い人たちだこと)
内心大笑いしていた。
世間では『泣く子も黙らせる副宰相』などと物騒な通り名を持つベルトルドだが、アルカネットとじゃれている姿を見ていると、とても恐ろしいイメージと繋がらない。リュリュも交えて3人で騒ぎ出す様子を見ていると、いつ終わるか判らなくなってきて、グンヒルドは肩をすくめて居住まいを正した。
「わたくしの詳しい職歴は、こちらの書類にしたためて参りました。明日にでもお時間をいただいて、キュッリッキ嬢にお会いさせていただいて宜しいでしょうか? 直接お会いして、お引き受けできるかどうかを、判断させていただきとう存じます」
傍らに置いてあった鞄から封書を取り出して、ベルトルドの前にスッと封書を置き、グンヒルドは笑みを深めた。
0時を回った頃、すでにキュッリッキは眠っていたが、何やら騒がしい音に眠りの園から引っ張り出され、重い瞼を開いた。
目に飛び込んできたのは、ベルトルドとアルカネットの恐ろしい形相である。驚いたキュッリッキは完全に目を覚まして、「ヒッ」と喉で悲鳴を上げた。
「お、おかえりなさい?」
「俺が言うんだ!」
「いいえ、私が言います!」
「いちいち出しゃばるな鬱陶しい奴め!」
「あなたこそこれだけの元気が残っているのなら、仕事の続きでもしてきたら如何ですかっ」
お互いの顔を手で押し合いながら、怯えるキュッリッキにはお構いなしで言い争っている。
一向に埓のあかない様子に、キュッリッキは小さく溜息をついて、
「メルヴィン、ルーさん、助けてーーーっ!」
と、大声を上げた。
ほどなくして血相を変えたメルヴィンとルーファスが、開けっ放しのキュッリッキの部屋に飛び込んできた。
「どうしましたっ!?」
闖入してきたメルヴィンとルーファスに気づいて、ベルトルドとアルカネットは、思わず顔を見合わせて目を瞬かせた。
「ンもー、ベルトルド様もアルカネットさんも、寝てるキューリちゃん起こさないでくださいよー、ったく」
腕を組んで溜息混じりに言うルーファスを、ベルトルドとアルカネットは赤面で睨みつける。
「起こそうとして起こしたわけじゃないぞ!」
「ちょっと騒がしくしてしまっただけです!」
「言い訳とか、大人げないっすよ」
ヤレヤレとルーファスは首をすくめた。
「貴様がエラソーに言うなっ、青二才め」
ベルトルドにポカッとグーで殴られ、ルーファスは「八つ当たりだー」と抗議の声をあげた。
「ところで、どうしたんです? こんな夜更けに」
ベッドに腰掛けて、キュッリッキの左手を優しく握っていたメルヴィンが、顔を上げて問いかける。
「リッキーに話すことがあっ…くおらあああああああっ!!」
「え?」
ベルトルドはメルヴィンの手を、平手でバチンッと叩き、メルヴィンを押しのける。
「リッキーの手を握っていいのは俺だけだ!」
押しのけられた拍子に床に尻餅をついて、メルヴィンは目をパチクリさせた。
(ムッ)
ん? っとキュッリッキは不思議そうに眉間を寄せた。
(あれ、なんでムッとしたのアタシ?)
メルヴィンの手がベルトルドに払いのけられた瞬間、心の中が『ムッ』としたのだ。何故そう思ったのだろと、キュッリッキは訳が判らず、ちょっと不機嫌そうに唇を尖らせた。なんだか心がモヤモヤして不愉快だ。
「ほらベルトルドさまー、ちゃんと理由話さないと、キューリちゃん怒ってますよ~?」
ルーファスに指摘され、ベルトルドは慌ててキュッリッキに笑いかけた。
「すまんリッキー、嬉しいニュースがあって、早く報せたくてすっ飛んで帰ってきたんだがそのだな」
「家庭教師の先生を見つけましたよ。明日…もう今日ですか、お昼前くらいにリッキーさんと面談をするために、いらしていただくことになりましたよ」
「え、ホント!?」
「はい」
キュッリッキの顔が、途端パッと明るく輝いた。それを笑顔で見つめるアルカネットの後ろで、ベルトルドが両拳を握り締め、ワナワナと全身を震わせながらアルカネットを睨みつけた。
「俺が言おうとしていたのに、お前なあああああああ」
アルカネットは肩ごしに振り向き、フッと意地の悪い笑みをベルトルドに投げつけた。
「あなたこそ、私が到着する前に、勝手に話を進めていたではありませんか。お互い様です」
「ぐっ」
「家庭教師? ってなんっスかベルトルド様?」
目を丸くするルーファスに問われ、ベルトルドはギンッとルーファスを睨んだ。
「リッキーの為に雇うことにしたんだっ!」
「は、はあ」
それ以上訊いたら噛み付かれそうで、ルーファスはヘラリと笑った。
「もう部屋に下がれ、ルー、メルヴィン」
「そうしまっす。んじゃ、おやすみキューリちゃん」
頷いてメルヴィンも立ち上がった。
「では、おやすみなさい、リッキーさん」
「おやすみ、ルーさん、メルヴィン」
出て行くメルヴィンの後ろ姿を残念そうに見送り、キュッリッキは小さく息をついた。