片翼の召喚士 ep.65 気づいてくれた

chapter-4.記憶の残滓編
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片翼の召喚士 ep.65 気づいてくれた

「ただいまリッキー、俺がいなくて寂しかっただろう?」

 意気揚々と弾んだ声を出し、不敵な笑みを浮かべながら、ベルトルドがベッドに腰を下ろす。

「アナタがいなくても、寂しくなんかありませんよ。ね、リッキーさん」

 ツッコミながらアルカネットもベッドの傍らに立ち、柔らかな笑みを向けた。

「ん? どうしたのかな?」

 キュッリッキは黙り込んだまま、ベルトルドもアルカネットも見ようとしない。怯えの表情を浮かべている。言葉は喉に詰まって、なにも発せなかった。

 帰ってきたら謝ろうと決めていたのに、怖くて声が出ない。そして、ベルトルドがいつ出て行けと言うのか、心がビクビクと怯える。

 目を伏せているキュッリッキの顔を、ベルトルドは不思議そうに覗き込んだ。

「顔色が悪いな、また熱でも出たのかな? 下がったと報告を受けているのだが」

 アルカネットが身を乗り出して、キュッリッキの額にそっと触れる。

「熱は、大丈夫ですね」

「そうか」

 物言わぬキュッリッキの反応が、想像の範囲外だったのもあり、2人は怪訝そうに首を捻った。

「どうしたのかな? リトヴァになにか、言われたのか?」

 これには即首を振って否定した。

「判った、ルーファスに悪戯でもされたんだろう」

 これにも更に強く否定する。

「どちらも違うのか…」

 ベルトルドは首をひねって考え込む。

 この屋敷の中にいて、キュッリッキをここまで凹ませる要因が、さっぱり思いつかないのだ。部屋の内装が気に入らなかったのか、足らないものがあったのだろうか。

「じゃあ……何か、心配事でもあるのかな?」

 困ったように聞かれて、キュッリッキはチラリとベルトルドを見る。そしておずおずとベルトルドに顔を向けると、消え入りそうな声をようやく発した。

「…怒って、ないの?」

 たっぷりと間をあけ、ベルトルドは「はて?」と不思議そうに目を見開いた。

「だって…アタシ、昨夜ベルトルドさんに酷いこといっぱい言ったし、悪い態度とったし…だから」

 絶対怒っているはずだ。なのに、そんな素振りが見えない。キュッリッキのよく知る、優しい目をしたベルトルドだ。

 キュッリッキからしてみても予想外の態度で、逆にいつこれが怒りに転じるのかと、余計不安に覆い尽くされていた。

「こんなに素直で可愛いリッキーに、酷いことなんか言われてないぞ? 俺は」

「ウソ!」

 キュッリッキは悲痛な顔を上げた。

「昔のこと思い出すと、アタシ自分が抑えられなくって、いつも酷いこと言っちゃうの。みんな悪くないのに、みんなが悪いっていっぱい言っちゃって、それですぐ仲良くできなくなるの! みんなを怒らせちゃってダメになっちゃう! 昨夜だってベルトルドさん何も悪いくないのに、ベルトルドさんが悪いみたいなこと言っちゃったから、だからっ」

 絶対怒ってるはずだから――!

 キュッリッキは身を乗り出しかけ、ベルトルドが慌てて押さえ込む。キュッリッキは左手でシーツを握り締め、目を強く瞑った。

 感情が噴き出して、自分が抑えられなかった。荒れ狂う感情を迸らせ、ベルトルドに叩きつけた。

 たまたまそこにいたベルトルドが、大人だったから。怒りの矛先が向いてしまったに過ぎない。幼かった自分を、大人は誰も優しくしてくれなかった。大きくなっても、大人は優しくない。

 出来損ないの、飛べない片翼だから。だから、大人はみんな自分を嫌うのだ。

「昨夜も昔のこと、思い出しちゃってて…。それで――」

「うん、判ってる」

「……え?」

 一瞬なんのことだろうと、キュッリッキは目を瞬かせた。

「俺もアルカネットも、知っている。リッキーの過去のこと、全部」

 ゆっくりと目を見開いて、じっと見つめてくるベルトルドを凝視する。

(アタシの過去……、知ってる…? 過去を知っている? 過去を知っているということは、アタシがアイオン族で、忌まわしい片翼のことまで、全部知っているということなの?)

 2人の顔を交互に見て、キュッリッキの呼吸が荒くなった。何かひどく恐ろしいことを聞いたようにサッと顔色が変わり、警戒するような色がその目にありありと浮かんだ。

 ベルトルドは感情の色の伺えない表情をしていた。そしてアルカネットは、悲しげに目を伏せている。

 キュッリッキの身体が、小刻みに震え始めた。

 ベルトルドはベッドに座り直し、可哀想なほど震えるキュッリッキを、しっかりと見据えた。

「リッキーをスカウトする前に、全部調べたんだ。生まれも、育ちも、何もかも調べられるだけ調べた。だから、リッキーが気に病んでいる過去のことも、俺たちは知っているんだよ」

 穏やかに言われても、その内容にキュッリッキは愕然とした。

 脳裏に走馬灯のように再生していく、初めてベルトルドやアルカネットと出会ったときのこと。

 2人はビックリするほど優しかった。あんなふうに、優しく見つめられたり、微笑んでくれたり初めての経験だった。そして大怪我をした自分のために、遠い異国まで助けに来てくれた。

 出来損ないの自分のために。

 何故、2人は優しくしてくれたのだろう。出来損ないと知っていて。

 ベルトルドをまじまじと見つめたあと、キュッリッキは急に心が冷えていくような感じに包まれた。そしてポツリとこぼす。

「知ってるんだったら…、なんで、なんで優しくしてくれるの? おかしいじゃない」

 出来損ないには優しくしないのが大人だ。それなのに。

「なにが、おかしいんだい?」

 首をかしげるベルトルドを、キュッリッキは睨むように見つめた。そして横たわった姿勢で、無理矢理翼を生やした。ベルトルドとアルカネットが驚いて目を見張る。

 翼を出したことで傷に響いたのか、表情が苦悶に歪む。ベッドの上に虹の光彩をまとわせた白い羽根が、粉雪のように舞い上がった。

「見てよ! 片方しか翼はきちんと生えなかった。左側の翼は残骸みたいに出てるだけ、白い翼にはならなかった!! 飛べないの! 出来損ないだから、だからアタシの親はアタシを捨てたし、修道院でも虐められたわ。誰も優しくしてくれなかった!」

 ハア、ハア、と荒く息を何度も吐き出し、叫ぶように言った。

「召喚スキル〈才能〉があったって、国もアタシを見捨てたし、誰も受け入れてくれなかったわ。出来損ないのアタシなんて、誰も好きじゃないんだからっ!」

 全身に痛みが広がり、目尻に涙が滲む。キュッリッキはあまりの傷の痛みに耐えかねて、急いで翼を消した。

 空気に溶けるように、羽根は霧散していった。

 切り裂かれるような痛みに感覚が麻痺してきて、キュッリッキは食いしばるように閉じていた目を開いた。

「ベルトルドさんも、アルカネットさんも、アタシを好きだって言った。でもそれは、アタシが召喚スキル〈才能〉を持っているからなんだ…」

「違います!!」

 アルカネットは咄嗟に悲痛な叫びを上げた。

「違わないよ…。出来損ないのアタシを、誰も好きになんてならないもん。みんなが好きなのは、召喚スキル〈才能〉のことなんだから」

「なんてことを言うのです、リッキーさん!」

 叱りながら今にも飛びつきそうアルカネットを、ベルトルドは素早く手で制した。

「リッキー」

 やがて口を開いたベルトルドの声は、驚く程優しかった。

「アイオン族の都合は、俺には関係ない。俺は、リッキーが大好きだ」

「……それは、アタシが召喚スキル〈才能〉を持ってるからでしょ。ベルトルドさんが好きなのは、召喚スキル〈才能〉なんだよ」

 キュッリッキは顔を背けたまま、突っ慳貪な口調で言った。

 珍しいから。持っている人が極端に少ないスキル〈才能〉だから。だからみんな、キュッリッキのことではなく召喚スキル〈才能〉を好きになるのだ。

 キュッリッキを優しく見つめながら、ベルトルドは少しも気にした風もなく続ける。

「確かに最初に興味を示したのは、召喚スキル〈才能〉だったのは否定しない」

「ほらね、やっぱり」

 どこか拗ねたように呟く。結局ベルトルドも、みんなと同じなのだ。

 キュッリッキを見つめるベルトルドの顔に、苦笑が浮かんだ。キュッリッキが何を考えているのか、透視せずとも手に取るように判る。そんな表情を浮かべていた。

「誰だって、何かに興味をもって、相手を知ろうとする。それは当たり前だと、俺は思うぞ?」

 きっかけは、ほんの些細なこと。相手が望む望まないにかかわらず、何かに興味を持ち、惹かれるのだ。

「召喚スキル〈才能〉を持っているリッキーと出会った。そして、俺はリッキーを知って、大好きになった。生憎俺は、スキル〈才能〉を好きになったりはしない。何故なら俺は、女が大好きだからな!」

「得意気に断言するのは、そこじゃないでしょう…」

 自信満々のベルトルドに、アルカネットがぼそりとツッコむ。

「リッキーだって、誰かを好きになる前は、容姿だったり職業だったり、まずは知り得た部分から興味を持つだろう? いきなり初対面で相手の中身を知るのは難しい。付き合っていって、段々と相手の良さも悪さも知って、それで想いが深まっていく。そうだろう?」

「それは…」

「リッキーと出会うきっかけになったのは、召喚スキル〈才能〉だ。しかし召喚スキル〈才能〉だけが好きなら、俺はここまでしないぞ。リッキーという一人の女の子を知って、それでリッキーが大好きになったんだ。言葉でどう言い表せばいいか困るくらいに、リッキーが大好きで大好きでたまらんのだ」

 頑なになるこの不幸な少女に、どうこの気持ちを伝えよう。食いつきそうな勢いで目をキラキラさせながら、ベルトルドはズイッと身を乗り出した。言っているうちに感情が昂ぶり、想いが噴き出す寸前になっていた。

「リッキーが俺のことが大好きで大好きでたまらないっ! というのは物凄くよく判る。ウン、ウン。俺はずば抜けて超絶イイ男だからな。でもそれは、俺が地位も名誉もあり、若くてハンサムで格好良くて大金持ちだからという理由で、好きになったわけじゃあない」

 どこまで自惚れた自画自賛…と、溜息混じりに背後から聞こえるがスルーする。

「この俺だから、好きになったのだろう?」

 自信たっぷりな笑顔を見つめ、キュッリッキは押し黙った。色々とツッコミたかった箇所はあるものの、ベルトルドのことは好きだ。こんな自分に愛情を向けてくれて、色々助けてくれる優しい人。それが召喚スキル〈才能〉のためと言われても、ここまでしてくれた大人はいなかったから。

 2人の様子を見守りながら、よくもまあ恥ずかしげもなく言い切れるものだ、とアルカネットは思った。ベルトルドのこういうところは、相変わらずだと、別の意味で感心する。

 女にだらしない部分はあるものの、一度口にした決心は、必ず実行に移し、成功してきたことをアルカネットは知っている。

 子供の頃からそれは、ずっと変わらない。

 だから――。

「昨夜リッキーが思いをぶつけてくれて、何に苦しんでいるかよく判ったぞ。ずっと、助けてほしかったのだろう? 自分のことを全部判ったうえで、受け入れてくれる存在が欲しかった、違うか?」

 大きく目を見開いたまま、キュッリッキの視線は揺れた。黄緑色の瞳の中に、期待の色が濃く溢れる。

(本当に、判ってくれたの? 誰も気づいてくれなかったの……判って…気づいてくれたの?)

 荒れる感情を迸らせていれば、誰か気づいてくれていたのかもしれない。無意識の救済を。でも、手を差し伸べてくれる人はいなかった。ハドリーもファニーも、一歩手前で踏みとどまっている。キュッリッキが一番望んでいるものは、友人の2人すら与えてくれなかった。

 キュッリッキの瞳を見つめ返し、ベルトルドは力強く言った。

「俺がリッキーの全てを受け入れる。過去のことを思い出したら全部俺にぶつけろ。我が儘も俺に言え。好きなだけ求め甘えていい! リッキーが望むだけの、いや、それ以上の愛を俺が注いでやる!」

(この人は…)

 18年という長い時間を経て、やっと受け入れてくれる大人が現れた。出来損ないでも愛してくれる大人が。親も見捨てた自分を、愛してくれるのだと。

 キュッリッキは自由になる左腕を、もがくようにしてベルトルドに伸ばした。今すぐにでもベルトルドに抱きつきたくて、動かない右半身を恨めしくさえ思った。

 ベルトルドはキュッリッキを抱き上げると、いたわりながら優しく抱きしめた。キュッリッキは左腕をベルトルドの首にまわして、憚ることなく大声で泣き喚いた。

 悲しい泣き声ではない。

 出会えた喜びにも似た、救い出された安堵のような、心の底から湧き上がるような泣き声だった。

「リッキーを、愛している」

 耳元でそっと囁くようなベルトルドの告白は、キュッリッキにとって生まれて初めて自分に向けられた、愛という言葉だった。