片翼の召喚士 ep.64 押し寄せる不安(2)
昼過ぎにキュッリッキは目を覚ました。しかし沈んだ様子のキュッリッキに、ぎこちない時間だけが過ぎて行った。
陽が落ちていくにつれ、更に目に見えて落ち込み度が深まっていく。
ルーファスもメルヴィンも心配がどんどん膨らみ、何かあったのかとなんとか聞き出そうとするが、キュッリッキは目を伏せたまま答えようとしない。無理強いするのも可哀想になるくらい落ち込んでいるので、それ以上追求も出来なかった。
そうこうしているうちに夜になり、執事代理のセヴェリが呼びに来て、2人は夕食をとるため部屋を出た。
「そういやベルトルド様達遅いな。もう帰ってきてもいい頃だろ?」
「昨日は仕事を休む形になってますから、きっと残業なんでしょう」
「ああ…」
天井を見上げながら、ルーファスは何度も頷く。
「副宰相、軍総帥、ケレヴィルの所長もやってたよな確か。役員とかもけっこう抱えてたし。国政と軍事だけでも大変なのに、オレらの後ろ盾もやってるんだよなあ」
「なんでも、司法にもちょっと触れてるみたいですよ…」
「ひい」
毎日大変そうだなあと、2人は苦笑する。ハワドウレ皇国という、巨大な国の政を任されているのだ。事務処理だけでも大変な量だろうと想像がつく。
「お2人が戻るまでは、オレ達でそばにいたほうがいいですよね?」
「そうだね。ただ、キューリちゃんが一人になりたそ~なオーラ漂わせてるから、ちょっと…」
心配事を口に出すのも辛そうに、塞ぎ込んでしまっていた。
「そんな雰囲気になってましたね。でも、なおのこと一人にしておくのも不安ですし、早めに食事を済ませちゃいましょう」
「だな」
疲労感を全身からオーラのように滲ませ、デスクの前でぼーっとしているベルトルドの前に、アルカネットとシ・アティウスが揃って顔を出したのは、すっかり暗くなった頃だった。
予定外に会議が早く終わったとかで、使いから連絡があり、2人共総帥本部の執務室に出頭したのだ。
ベルトルドのデスク前まで来ると、シ・アティウスは小さく肩をすくめた。この部屋の主は、なんとも弛緩した情けない顔をしていた。
「貴婦人が夢から覚めるような顔をなさっていますよ」
シ・アティウスが率直な感想を述べると、ベルトルドは拗ねた顔で小さな吐息を漏らした。
「さすがに疲れた…」
夜も明けきらぬうちから、大量の書類と格闘を開始して、現在まで激務をこなしていたのだ。リュリュに宰相府の仕事を押し付けているので、リュリュの手伝いがなかったのも影響している。次席秘書官などとリュリュの処理能力は、比べるまでもなく雲泥の差がありすぎた。
「伊達にオカマの道は貫いていないな」
全く関係ない例えを用いて、ベルトルドは勝手に納得していた。
「我々が報告をしている間、これでも食べて一服していてください」
見た目の愛らしいチョコレート菓子の皿と紅茶をデスクに置いて、アルカネットが労をねぎらう。泣く子も黙らせる副宰相閣下は、実は大の甘党である。
「お、すまんな」
ベルトルドはチョコレート菓子を一つつまむと、美味しそうに口の中に放り込んだ。
その様子を無感動に見ながら、シ・アティウスが淡々と報告を始めた。
ソレル王国のナルバ山の遺跡に関する調査報告だった。時折アルカネットが補足をし、ベルトルドが質問を挟んで、報告には30分もの時間を費やした。
「そうか。あれがレディトゥス・システムだったか」
「間違いないでしょう」
シ・アティウスは断言した。
「ソレル王国の不審な行動も明らかですし、頃合でしょうね」
アルカネットが報告書を差し出すと、数枚に書かれた内容に目を通し、ベルトルドは嘲笑うように口の端を歪めた。
「愚かな頭を持つと、小国は苦労をするな。折角だからしっかりまとめさせてやれ、こちらが動くのはそのあとだ」
アルカネットは肩をすくめて、了解の意を示した。
「では、私は研究の続きがありますので、これで」
礼をして踵を返そうとしたシ・アティウスを、ベルトルドが止めた。
「ちょっとお前たちに見てもらいたいものがあってな、こっちきてくれ」
ちょいちょいと指先を動かし2人を招く。そして立ち上がり、デスクの前に出ていきなり2人の頭を鷲掴みにした。
「……これは、なんの真似でしょうか」
シ・アティウスは顔色一つ変えず、僅かに眉を引き上げて呟いた。
「おう、ちょっとだけ我慢しろ。映像を見せるときは接触しているほうが、きれいに見せられるんでな」
そう言ってベルトルドは目を閉じる。ならうように2人も目を閉じた。
約10分ほどそうしてから、ベルトルドは手をはなした。
三者三様、何とも言えない表情を浮かべて黙り込んだ。とくにアルカネットなど、倒れそうなほど青ざめている。
「あの召喚士の少女に、こんな過去が…。キツイですね」
アルケラのことを一生懸命に語るキュッリッキの顔を思い出し、シ・アティウスにしては珍しく、沈痛な面持ちでため息をついた。
「このことで昨夜は荒れてな。今頃ひどく落ち込んでいるだろう」
ベルトルドは昨夜のキュッリッキとの一件を、彼女の記憶とともに2人に映像として見せたのだ。
キュッリッキの過去を調べ上げたのはアルカネットだったが、知り得ている情報と照らし合わせても、映像で見せられるとより辛い。胸が締め付けられるほど苦しくなり、アルカネットは荒く息を吐き出した。
「リッキーさんの苦しみは、こんなものではないのでしょうね…」
これまでどれほどの痛みを心に受けていたのだろうと思うと、アルカネットはやりきれない思いでいっぱいになった。
「子供の時分にこれだけ辛酸な目にあっていれば、立ち直るのは難しいだろう。だが、このままだと、どこへ行っても居場所を失う」
「荒れ方からすると、ほとんど無意識に感情が迸っているような感じでしたね」
「うん。そして正気に戻れば、深い後悔ばかりだ。自分で自分を傷つけている」
「ふむ」
深沈するように俯いたシ・アティウスを見ながら、ベルトルドは腕を組んで小さなため息をついた。
「あれでは遠からず、壊れてしまうだろう。もう限界が見えている。なんとかしてやりたい」
そこで、とベルトルドはデスクに座って脚を組む。
「俺に全部任せろ」
唐突に胸をバンッと叩き、どこから湧いてくるんだろうと思うような自信を顔に貼り付けて、ベルトルドは傲然と言い放った。
とてつもなく無表情なシ・アティウスと、胡乱げに目を眇めるアルカネットに見つめられ、ベルトルドは「なによ」と頬を引きつらせる。
たっぷりと間が空いたあと、アルカネットが深々としたため息をつく。
「偉そうに何を言うかと思えば…。それこそ過去女性問題で、私がどれほど尻拭いさせられたか、アナタ忘れてないでしょうね?」
「救うより遊んで捨てる方が得意なのだと、ずーっと思っていました」
「おまえらな…」
ベルトルドは腕を組んで、ふくれっ面のままそっぽを向いた。
「俺はリッキーに恋をしているんだ。愛している。本気でな」
「へー」
シ・アティウスが棒のような声でツッこむ。キリッと決めたところへ薄い反応が返され、ベルトルドの表情がガックリと歪んだ。
「へーとか言うな、へーとかっ! たいがい無礼だなお前は!」
「失礼、心の声がつい」
「ぐぎぎ」
ベルトルドは噛み付きそうな顔をシ・アティウスに向けたが、涼しくスルーされた。
2人の様子を呆れ顔で見つめながら、アルカネットはさてどうしたものかと思案し始めた。
幼い頃から傷つき続けているキュッリッキの心を救い、癒すためには、それ以上の優しさと愛がなければダメだ。
「負けませんよ…」
シ・アティウスに噛み付き続けるベルトルドの顔を、アルカネットは目を細めて睨みつけた。
ベッドに身を横たえながら、キュッリッキはぐるぐると悩んでいた。
もうじきベルトルドたちが帰ってくる。そしてここを追い出され、ライオン傭兵団も出て行かなくてはならないのだ。
いつものことだ。
感情を乱れさせ、居場所をなくして、ハーツイーズのアパートへ戻る。
慣れたくはないけど、慣れてしまっていることなのに、今度ばかりは辛い。
こんな大怪我をしてしまったけど、ソレル王国でライオン傭兵団の中での仕事は楽しかった。召喚の力でみんなの持っている力を引き出し、サポートして、充実した気分になれた。
やっと居場所のようなものを見つけた気がしたのに。自らの振る舞いで、もうじき終わろうとしている。
そこへドアがノックされ、リトヴァが夕食の膳を運んで部屋に入ってきた。
「お夕食をお持ちいたしました。少しでも、お召し上がりなさいませ」
「欲しくない…」
キュッリッキはポツリと呟いた。
リトヴァはスープポットからいい匂いのスープを皿に入れて、皿を持ってベッドの傍らの椅子に座った。
透明な金色のスープは、コンソメスープのようだ。
「お怪我をなさってから、もうずっとなにも召し上がっておられないと聞いております。固形のものは胃に負担がかかりますし、スープなら大丈夫でしょう。温かいスープを少しでも、お口に入れてくださいませ」
しかしキュッリッキは、きゅっと口を引き結び、目を伏せていた。
「お嬢様、少しはお食べになりませんと…」
リトヴァが困ったようにスプーンを皿に戻す。
屋敷の料理人たちが、キュッリッキが元気になるようにと、滋養のある食材を用いて心を込めて作り上げたスープだ。少しでもいいから口に入れて欲しかった。
「ごめんなさい、お腹すいてないの」
相変わらずシーツに顔を半分埋めたまま、キュッリッキはくぐもった声で小さく答えた。
お腹なら、すでに不安で満たされている。これ以上何も入りそうもないほどに。
怪我をした日から薬と水以外口にしていなかったが、少しも空腹は感じなかった。むしろ、ベルトルドの帰宅が怖くてならない。まさかそれを言うわけにもいかず、キュッリッキにはほかに言い訳が見つからなかった。
これ以上粘っても無理だと思い、諦めて皿を下げようとリトヴァが腰を浮かせたとき、ノックがして屋敷の主が入ってきた。
「今帰ったぞー!」
元気に言うベルトルドに続いて、アルカネットも入ってきた。
「おかえりなさいませ、旦那様がた」
リトヴァは慇懃に挨拶をしてキュッリッキの方を見ると、キュッリッキの顔が一瞬にして緊張に塗り変わっていた。
その様子を怪訝そうに見ながらも、ベルトルドに下がるよう言われて、リトヴァは食事の膳と共に部屋を出て行った。
ついに、帰ってきてしまった。
(謝らなくっちゃ…)