片翼の召喚士 ep.63 押し寄せる不安(1)

chapter-4.記憶の残滓編
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片翼の召喚士 ep.63 押し寄せる不安(1)

 キュッリッキが夜中のことで後悔に頭をぐるぐるさせている3時間ほど前、アルカネットにしょっ引かれたベルトルドは、総帥本部の執務室の中にいた。

 ベルトルドは猛烈に不機嫌を表情に貼り付けたまま、デスクの前でふんぞり返る。

「確かに俺は仕事をサボった。たった、1日だけ、サボった」

 否1日半か、と訂正しながら腕を組み、仁王立ちして目の前のデスクの上を見下ろす。

「だからといって、この書類の量はなんだ? たった1日半だけしかサボってないぞ!? 俺は勤勉家なんだ。毎日真面目に働いて働いて働いているのに、たった1日半サボっただけで、これはないだろう?」

 これ、と白い手袋に包まれた指で、広いデスクの上を全て覆い尽くすほどの書類の山を差した。必要以上に”たった”を強調する。

「アナタ気づいてないでしょうが、毎日さばいている仕事が、この量なんです」

 真横に立ち、アルカネットがしれっと答える。

「これは全部、軍関係ですね。国政関連は宰相府でしょうか」

「……そっちはリューに押し付けてある」

「アナタのハンコを、リュリュが押してるのですか…?」

「ウン。俺でなければ無理な決済だけは保留させてある」

「それでこの国が成り立っているのかと、不思議でなりませんね」

「今回だけだ、今回だけ。それに、お前はあまり知らないだろうが、リューは俺より政務に向いてるぞ。俺の秘書官なんてやってるが、大臣でもやらせたほうが、よほどこの国のためになるくらいにな」

「ふむ。まあ、リュリュはターヴェッティで3位卒業でしたしね」

「俺が首席、お前が次席、リューが3位、上位を3人でとってやったもんな」

 ふふんっとベルトルドが得意そうに笑むと、アルカネットは肩をすくめた。

「昔話よりも、早く取り掛かりなさい。現実を受け止め今すぐ始めないと、同じ量の書類があと3時間後には、ここに運ばれてきますよ?」

「ンぐ……」

 眉がヒクヒクと引きつって、ベルトルドは駄々っ子のように口をへの字に曲げた。

「今日だけは手伝って差し上げますから、さっさとお座りなさいな」

 アルカネットは書類を手に取ると、テキパキと選別し始めた。

 ベルトルドは不承不承椅子に座ると、拗ねた視線をアルカネットに向ける。

「いい歳したオッサンが気色悪い。はい、すぐに目を通してハンコ押しなさい」

「……おう」

 書類のひとまとめを目の前に置かれ、引き出しからハンコを取り出すと、黙々と押す作業に取り掛かった。

 書類の山が3分の2ほど片付いた頃、アルカネットが紅茶を淹れてきてデスクに置いた。白磁のティーカップから、温かな湯気と上品な香りがたちのぼる。

 ベルトルドはティーカップを手に取ると、爽やかな匂いを楽しみ、一気に飲み干した。

 アルカネットは決済された書類を、リュリュが使っているデスクに置く。

「なんとか間に合いそうですね」

「うむ。さすが俺」

「さすが私のアシスト、ですよ。ところで、今日はどこかに時間を作ってもらえますか? シ・アティウスと私から、例の報告をします」

「ああ」

 すっかり忘れてた、とベルトルドは顎をさすった。

「俺もお前にちょっと相談があるんだ。――今日は御前会議が昼食後にあるんだったな…。そのあとも軍のほうで会議か」

 壁にかけられた時計を睨みつけ、首をかしげる。

「そうだなあ……夜まで空きそうもないが、帰る前でもいいか?」

「判りました。シ・アティウスにもそう伝えておきます」

「うん」

 カラになったティーカップを手に取ると、プラプラと揺らしておかわりを催促する。

「はいはい」

 アルカネットはティーカップを受け取り、執務室に設えてある給湯スペースに向かう。

 紅茶を淹れるアルカネットの後ろ姿を見つめながら、

「今夜は、リッキー口きいてくれるかな…」

 小さくぽつりと、不安そうに呟いた。

 荒れたままの状態で意識を失わせてから、まだ話をしていない。

 目を覚まして、自己嫌悪に陥ってはいないだろうか。そのことを考えると、心配でため息しか出てこなかった。

 そろそろ8時になろうかという頃、ノックがして、ゾロゾロと女性たちが入ってきた。

「お目覚めでございますか? おはようございます、お嬢様」

「おはようございます」

 初老に差し掛かった風貌の女性と、まだ20代くらいの女性たちが数名、キュッリッキに向かって朝の挨拶をした。

「お、おはよう…」

 きょとんっとした表情で、キュッリッキはぎこちなく挨拶を返す。

(お嬢様って……アタシのこと?)

「ご気分は如何でしょうか。どこか、お苦しいところなど、ございませんか?」

 慇懃に訊ねられて、キュッリッキは小さく首を振る。

「ドコも苦しくないよ」

「それは、ようございました」

 老婦人はニッコリと微笑んだ。

「わたくしは、この屋敷でハウスキーパーをつとめております、リトヴァと申します。今日からお嬢様の、お身の回りのお世話をさせていただきます」

 そういって、丁寧に頭を下げた。

「後ろにおりますメイドたちも、共にお世話をさせていただく者たちです。どうぞ、なんなりとお申し付けくださいね」

 メイドたちも、ひとり一人名乗りながら頭を下げた。

 しかしキュッリッキは、文字通り、ぽかーんと口を開けて固まってしまった。その表情を見て、リトヴァが首をかしげる。

「どうかなさいましたか? お嬢様」

「え…、えっと…」

 表情とは裏腹に、キュッリッキの頭の中は忙しく回転していた。

(やっぱりアタシがお嬢様って呼ばれてる、なんでだろう? ココってドコなのかな…。ベルトルドさん隣に寝てたから、もしかしてココって…)

「あ、あの」

「はい」

「あの、ココって、ベルトルドさん…ち?」

 おっかなびっくり問うと、リトヴァは明るく笑んだ。

「さようでございます」

 身体が元気であれば、飛び上がって驚くところだ。

 キュッリッキの驚いた様子に、リトヴァは小さく頷く。

「昨日、お屋敷にいらしたときから、お目覚めになっていなかったのですね。――ここはベルトルド様のお屋敷でございます。そしてこのお部屋は、お嬢様のためにご用意されたものでございますよ。お気に召すと良いのですけれど」

「うん、とっても素敵なお部屋だね」

「旦那様もアルカネット様も、お喜びになりますわ。ここは、南棟の2階にあるお部屋でございます。お屋敷の中でも陽当りも風通しもいい、お身体を癒すには最高でございます。旦那様とアルカネット様が、慎重に検討なされてご用意しておりましたから」

 語尾がやや小さくなり、リトヴァと背後のメイドたちの表情が、何とも言えないモノになっていて、キュッリッキは首をかしげた。

 家具やベッドの配置、インテリアに至るまで、あの2人が喧しいほど注文をつけて、寸分の狂いもなく使用人たちにやらせたということは、キュッリッキは生涯知ることはない。

 ハァ、と小さくため息をつくと、リトヴァは「失礼いたします」と言って、キュッリッキの額に触れた。

「お熱の方もすっかり下がっているご様子、お医者様がお見えになる前に、お支度をしてしまいましょうね」

「支度?」

「はい。お身体を拭いて、お着替えを済ませてしまいましょう」

 部屋に簡素なベッドが運び込まれ、キュッリッキはそのベッドの上に寝かせられた。

 運んだのはリトヴァだが、サイ《超能力》を使って丁寧に運んでくれた。リトヴァもベルトルドと同じように、スキル〈才能〉はサイ《超能力》のようだ。

 そして若いメイドたちに寝間着と下着を脱がされると、恥ずかしいと思う間もないほど素早く、温かいタオルで丁寧に拭いてもらった。香料の入ったお湯なのだろう、ふんわりとバラの香りが鼻にも気持ちが良い。

「どこか、お痒いところなどございませんか?」

 アリサと名乗ったメイドが訊ねてきて、キュッリッキはダメもとで訴えてみた。

「えっと、頭が痒いの…」

 尻すぼみになりながら言うと、アリサはにっこりと笑って、リトヴァに頷いた。

「判りました。では、頭と髪も洗って差し上げましょうね」

 怪我に響かない姿勢で身体が浮くと、メイドたちは丁寧に頭と髪を洗いにかかった。シャンプーもバラの香りがして、キュッリッキの表情がホッと和む。

 実はずっと、頭を洗いたくてしょうがなかったのだ。痒かったし臭うしで、怪我や熱に苦しみながらも、そのへんもちょっと思っていたから、これはとても嬉しい。

 キュッリッキの表情を見て、アリサはクスッと笑った。

「女の子ですものね」

 何を考えているか判ったのだろう。キュッリッキは頬をちょっと赤らめ、苦笑で返した。

 頭も髪も綺麗に洗ってもらって、そのあと熱風が髪を揺らしてキュッリッキはビックリする。

「これはドライヤーというものです。すぐに髪が乾きますよ」

「うわあ…」

 電気エネルギーで動くものだと言われて、更にビックリする。

 電気というものは、一般人には無縁と言っていいものである。ハーメンリンナの中では当たり前のように使われているエネルギーで、ハーメンリンナの外では、公共施設や病院、一部の地域だけしか供給されていない。

「便利な道具なんだね」

「本当でございますよ。ハーメンリンナの外では、馴染みがありませんもんね」

 苦笑気味に言うアリサに、キュッリッキはウンウンと頷いた。

 髪を乾かしてもらったあと、ブラッシングもしてもらって、新しい下着と寝間着を着せてもらい、ベッドに寝かせてもらった。枕カバーやシーツも新しいものになっている。

「お疲れ様でございました。後ほどお医者様がお見えになりますので、それまでどうぞ、ゆっくりおやすみくださいませ。他に、なにか欲しいものなどございますか?」

「んーん、何もないよ、ありがとうみんな」

 リトヴァとメイドたちは丁寧に頭を下げ、そして部屋を出て行った。

 頭からつま先まで綺麗になって、キュッリッキは気持ちが良かった。そしてホッとしていると、またノックがして、リトヴァが顔を見せた。

「お医者様がお見えになりました」

 リトヴァの後ろから、金髪の若い男が入ってくる。

「やあ、今日は顔色がいいね、良かった」

 男は白衣を翻させて、ベッドの脇の椅子に座る。

「改めて初めまして。ボクはヴィヒトリ、君の主治医になったんだ。ヨロシクね」

「よろしく」

 僅か引き気味に、キュッリッキは小声で挨拶を返した。

 まだ20代前半くらいの、年若い男だ。

 胸元くらいまである金の髪は、キュッリッキの金髪よりやや濃い色をしている。青い瞳を埋め込んだ切れ長の目、そこに少し太めの黒縁のメガネをかけていた。

 感じのいい笑顔を貼り付けているので、親しみやすい印象があった。

 ただ、キュッリッキは人見知り体質である。相手が医者だろうと使用人だろうと、初めて言葉をかわすときには、どうしても距離をあけてしまう癖がある。わざとそうしているんじゃなく、自然とそうなった。

 さきほどリトヴァやメイドたちは、いきなりのことだったし、身体も綺麗にしてもらえて心が緩んでいた。それに同性同士なのもあって、男よりはまだ話はしやすい。

 ヴィヒトリはキュッリッキの様子を見て、

「キュッリッキちゃんは、人見知りする子なんだね」

 そう言って、意地悪っぽく笑った。

「う…」

 図星だから否定しようがない。離れたところで様子を見ていたリトヴァは、思わず吹き出してしまっていた。

「まあ、これから毎日顔を合わせることになるから、人見知りしてるヒマなんてないヨ。だから安心するんだ。さ、診察、診察」

 ヴィヒトリはサクッと断言して、カバンからカルテを出してペンをとった。

 診察と手当が終わると、ヴィヒトリは点滴の用意をして、キュッリッキの細っそりした腕に針を刺した。

「痛くないかな?」

「うん、平気」

「ちょっとばかし、軽い脱水症状になってるから、点滴している。――終わったら、針の抜きかた判ります?」

 ヴィヒトリは後ろに控えるリトヴァを見る。

「はい、存じ上げております」

「じゃあ、終わったら片しといてね」

「承りました」

「とにかく熱が下がって良かった。もうこれからは治るダケだから、安心してイイヨ」

 キュッリッキの頭を優しくポンッと叩いて、ヴィヒトリは立ち上がった。

「また明日ね、キュッリッキちゃん」

「ありがと、先生」

 手を振ってヴィヒトリはドアへと向かう。

「失礼致します」

 キュッリッキに頭を下げて、リトヴァはヴィヒトリに続いて部屋を出ていった。

 急に部屋が静まり返り、キュッリッキは時計に目を向ける。

 もう10時になろうとしていた。

 キュッリッキは再びしょんぼりすると、表情を一気に曇らせた。

 せっかくよくしてもらったのに、明日にはここを追い出されるのだ。ああしてリトヴァやメイドたちが世話を焼いてくれたが、それはきっと、ベルトルドが言い忘れただけなのだろう。

 動かない身体は、アルケラの子たちに助けてもらえばハーツイーズに帰れる。ハドリーやおばちゃんたちは驚くだろうが、怒らせてしまったのだからしょうがない。もしかしたら今夜にでも追い出されるかも。

 そう思うと更にガッカリして、ベルトルドに謝る機会はあるのか不安になった。

 シーツに顔の半分を埋めてぼんやりと落ち込んでいると、ノックがして、メルヴィンとルーファスが顔を出した。

「おはよう、キューリちゃん」

「おはようございます、リッキーさん」

「ルーさん、メルヴィン」

 ラフな普段着姿のルーファスとメルヴィンが、笑顔で部屋に入ってきた。

「意識が戻って良かったです、本当に」

 安堵を浮かべた顔で、メルヴィンはホッと胸をなで下ろす。それに「うんうん」と頷いて、ルーファスはニッコリと笑った。

「熱も無事下がったんだってね。ずっと苦しそうだったから、安心したよ。顔色もイイね」

 愛嬌のある笑みを向けられて、つられたようにキュッリッキも微笑み返す。

「今の気分はどうですか? 辛いところや痛いところなどありませんか?」

 ルーファスの隣に立ったメルヴィンが、心配そうに身を乗り出した。

「大丈夫だよ」

「そうですか、良かった」

「さっき、リトヴァさんてひとがきて、身体拭いてもらって、頭も洗ってもらったの。だからすっきりしてる」

「なるほど~」

「女の子だもんな。身だしなみは気になるよねえ」

「うん」

「ここで厄介になってるあいだは、毎日世話しにやってくるぞ」

 ベッドの端に腰をかけたルーファスは、ややうんざりしたように肩をすくめた。

「まあ、怪我が治るまでは、お嬢様生活を満喫するといいさ」

「本物のお嬢様って、毎日あんな調子でメイドが全部してくれるの?」

「ハーメンリンナに住んでるお嬢様は、それが普通さ」

「……そうなんだ」

 今は自分で動けないので、世話を焼いてもらえるのは助かるが。でも、毎日あんなにゾロゾロ押しかけられたら、鬱陶しいと思わないのだろうかと、キュッリッキは呆れてしまう。

 お嬢様をやるのもタイヘンなんだなぁ、と思ってしまった。

「昨日ちょろっと見ただけだったけど、凄い部屋だねえ。ベルトルド様とアルカネットさんの気合を感じるよ…」

 ルーファスは引きつった笑みを浮かべた。宮殿騎士などをやっていたので、高級家具は見慣れている。その目で見ても、この部屋に尽くされた贅は、相当のものだった。

「そうですね。でも、陽当りもよくて、明るく素敵な部屋ですね」

 メルヴィンも苦笑気味に言った。豪華ではあるが、どことなく少女趣味な趣もあって、キュッリッキのために設えられたのだとよく判る。

「ねえ、そいえばなんで2人だけここにいるの? 他のみんなは?」

「オレたちが代表で、リッキーさんのお世話を任されたんです」

 にこりとメルヴィンに言われ、ふいにキュッリッキの顔が曇った。

「ごめんね、アタシのせいで…」

「なんで謝るの」

 困ったように笑いながら、手を伸ばしたルーファスが、そっとキュッリッキの前髪を指で掬った。

「そこは謝るとこじゃないでしょ。イイ男が2人も一緒にいるんだよ、素直に喜べばいいんだから」

「…そうなの?」

「そうなの」

 2人の笑顔を見て、キュッリッキは心底申し訳なく思う。そして心に、小さな痛みが走った。

 もうすぐ追い出されるかもしれないのに、2人はそれでも心配してくれるだろうか。仲間じゃなくなったら、ただの赤の他人に戻る。そしたらそれきりになってしまう。

 ――寂しいと思った。

 目を伏せて沈んでしまったキュッリッキを見て、ルーファスとメルヴィンは困惑したように顔を見合わせた。

 さきほどヴィヒトリが投与した薬が効いてきたのか、緩やかな眠気に誘われるまま、キュッリッキは目を閉じた。そして何も考えられなくなり、吸い込まれるように意識は眠りの底へと沈んでいった。

 キュッリッキが寝入ったのを確認し、2人は一旦部屋を出る。

「なんだか元気なかったな、キューリちゃん。まあ、目が覚めたばっかりで、色々驚いているんだろうケド」

「どことなく、塞ぎ込んでいた感じでしたね。何か心配事でもあるのかな」

「ふむ~。――病院よりも、気分的にずっと癒されやすいだろうって、ベルトルド様は自分の屋敷にキューリちゃんを連れてきたって言ってたけどネ」

 病気や怪我人だらけの病院で、心身が休まるか! とベルトルドは言っていた。確かにそうは思う。幸い主治医は毎日診察に来るし、同じハーメンリンナ内だから、何かあればすぐに駆けつけられる。それに、この屋敷には総合医が常駐しており、主治医が来るまでは適切な処置もしてもらえるから安心だ。

 そう思う一方、ルーファスは嫌な考えにたどり着く。

「まさか…」

「え?」

「あのエロオヤジになにかされてるんじゃ……」

「――即否定出来ないものが、ありますよね」

 いくらなんでも、常識くらいはあの人にだってありますよ。と考えたい気持ちと、まさかと思う否定出来ない部分の葛藤に、しばし2人は悩まされた。