片翼の召喚士 ep.62 幼き日の残滓(3)

chapter-4.記憶の残滓編
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片翼の召喚士 ep.62 幼き日の残滓(3)

 忌々しさを滲ませて、アルカネットは冷え冷えとした声で言う。

「急いで帰ってきてみれば、案の定、不埒な真似をしようとして…。リッキーさんは重症の怪我人なのですよ。可哀想に、酷い怪我をしているというのにイヤらしく迫られて、何をされたんだか想像するだけで怖気がします」

「あのな…、俺はまだ、何もしてないぞ」

「何かする気だったんですか。あなた、最低ですね」

「……」

 確かに、想いが熱く熱く噴出しかかって、キスをしよう、イヤだめだ、と自制心と葛藤していた真っ最中だった。

「それに、何故寝間着姿のあなたが、リッキーさんの部屋にいるのですか?」

「もちろん、リッキーが寂しくないよう添い寝するためだ」

 さも当然のように大真面目に言い返されて、アルカネットの眉がぴくりと動く。

「あなたが添い寝したところで、リッキーさんの不安や寂しさが、癒されるわけではありませんよ」

「否! この俺がいてこそ、リッキーの安心感が保たれるんだ!」

「寝込みを襲おうとしているような人が、何を言っているんだか…」

 グッとなりながらも、ベルトルドはひるまない。

「大体だな、お前ばっかり狡いんだ! リッキーのファーストキスを奪いやがって、ずーずーしーんだ、ずーずーしー!」

「ヴァルトみたいな口調にならないでくださいみっともない。混乱のあまり自分で薬が飲めないリッキーさんのために、口移しで飲ませて差し上げただけです。あなたのように端っからイヤラシイ思惑でしたことではありません」

「舌まで入れたくせに!」

「そのほうが、確実に口の中に含ませることが出来ますから」

「ぐぎぎぎぎ、やっぱりずるい!」

 ベルトルドは泣きそうな顔でワナワナと口を震わせると、バッとキュッリッキの方へと身体を向ける。

「やっぱり俺もリッキーとキスする!」

 そう身を乗り出したとき、間近に高温を感じて振り向いた。アルカネットの掌の上に、真っ赤な灼熱の球体が形成されていっている。

「こんなところでなにをしているっ!」

「ブラベウス・プロクス」

 灼熱の球体を投げるように構え、ベルトルドに至近距離で放った。

 ベルトルドは寝転がった姿勢のまま、両掌を前方にかざした。灼熱の球体はベルトルドの掌の前で、空間に吸い込まれるようにして消えていく。

「あちちちち」

 サイ《超能力》を持つ者の中でも、ベルトルドしか出来ないと言われている空間転移で、ブラベウス・プロクスの灼熱の球体を飛ばす

「お前はバカかっ! リッキーが巻き込まれたらどうする!」

 怒号をあげるベルトルドを冷ややかにみやって、アルカネットは目を細めた。

「そんなこと大丈夫に決まっているでしょう。アナタが身を呈して守るんですから」

 そのくらい織り込み済みでやっているんです、と言い置いて、アルカネットはフンッと鼻を鳴らす。

「それでは、さっさとベッドから降りて、出仕の準備をしてくださいな」

「出仕って…まだ3時すぎだぞ?」

 テーブルの上の時計に目を向けると、出仕の時間にはまだまだ早かった。

「今から行けば、半分くらいは片付きそうです。問答している時間が無駄です。あなたの部屋に行きますよ」

「宰相府の仕事はリュリュに頼んである。別に、普通に出仕すればいいだろう? 俺もまだ寝足りない」

「寝込みを襲おうとしているから寝不足になるのです」

「そうじゃなくってだな…」

「あなた、最近お仕事が増えたことを自覚していないのですか? 宰相府はリュリュに任せておけても、総帥本部でのお仕事は誰が決済するんです」

「あ…」

 そういえば、とくちパクで言って、呆れているアルカネットの顔を見上げた。

「正規部隊をソレル王国に派兵した、その件でも仕事が溜まっているはずです。今から行けば、半分くらいは片付くでしょう。問答している時間が無駄です」

 反論を許さない態度でまくし立てられ、ベルトルドは渋々起き上がる。

「あ、行ってきますのキスを…」

「しなくてよろしい」

 ベルトルドはまた耳を掴まれ、グイグイと引きずられながら、キュッリッキの部屋を後にした。

 キュッリッキは記憶と言う名の夢の中で、再び過去と向き合っていた。

(こんなの……もう、思い出したくないのに…)

 忘れ去ってしまいたい自分の過去。悲しくて、苦しい思い出しかないのに。

 どんなに拒絶しようとしても、思い出は容赦なくキュッリッキを襲う。そして再び、辛い思い出の一つが、ゆっくりと浮き上がっていった。

 アイオン族の子供にとって、7歳という歳は特別だ。

 7歳になるまでは、背に生えた翼が育ちきれていないため、自ら羽ばたいて飛ぶことが出来ない。その為翼は出しっぱなしになり、翼を構成する骨や膜などが、その間にある程度育つ。そして7歳になると自力で地面すれすれを飛べるようになり、訓練を重ねて自由に飛べるようになる。出し入れも7歳になると自在に可能になった。

 7月7日はキュッリッキの誕生日だ。生まれて7年たった今、ようやく翼をしまうことができる。この日をどれほど待ち望んだことだろう。

 鏡の前で翼が溶けるように消えていく様を、まじまじと見つめる。

 背に生える翼に「消えろ」と念じただけで消えていく。そして「生えろ」と念じると、再び翼は背に生えた。

 普通に育っている右の翼と、生まれつき育たない無様な左の翼。どちらも同じように。

「どうせ飛べないんだから、ずっとしまっとこう」

 いっそ、なくなっちゃえばいいのに、と思う。

 この左の翼が原因で、キュッリッキは両親に捨てられたのだ。そのことは、修道院の子供たちも修道女たちも口にしている。

 片翼で親にまで見捨てられた惨めな子だと。そして虐められる。

 でも、今日から翼のことを気にせずいられる。出していなければいいんだ。見えなくすれば、いつか誰も気にしなくなる。

 そう考えると気持ちが少しラクになり、キュッリッキは天気のいい外へ駆け出した。

「飛べない病気がきたー」

 庭に駆け出してきたキュッリッキを、一人の子供が指をさして罵った。それに気づいた他の子供たちも、一緒になって罵り始める。

 ズキッとした痛みが胸に広がり、キュッリッキは足を止めると俯いた。

 20人ほどの子供たちが、何も言えずに下を向いたままのキュッリッキを取り囲んで、罵り嘲笑った。

 何もない修道院では退屈だ。子供たちは退屈を紛らわす”遊び”の一つとして、キュッリッキを虐めている。

 大人である修道女たちまで露骨にキュッリッキを虐める。それを見ている子供たちには遠慮がなかった。何故なら、虐めていることを咎めたり怒ったりする大人が、ここにはいないからだ。

 遠慮の欠片もないあまりの暴言に辛くなり、突如キュッリッキはその場を駆け出した。前方に塞がっていた一人の男の子が、体当りされて後ろに倒れ込む。

「なにすんだ病気バカ!」

 仲間に助け起こされながら、倒された男の子、アルッティが叫んだ。

「アイツ生意気だ! 追いかけろ!」

 おもしろがった他の子供たちは、その声に弾かれるようにキュッリッキを追いかけ始めた。

 それほど広くもない庭を駆けていけば、目の前はすぐに崖だった。

 キュッリッキは慌てて立ち止まり、後ろを振り返る。子供たちはすぐに追いついた。

 文字通り崖っぷちに立たされ、キュッリッキは怯えて震えだした。ここから落ちれば間違いなく死ぬ。翼は片方しかない、飛べないのだ。

 怯えているキュッリッキの様子を、子供たちは面白そうに見ていた。やがてアルッティが追いついてきて、威嚇するように一歩前に出た。

「おまえ、こっから飛び降りて、飛べるところを見せろよ!」

「えっ」

 アルッティはビシッと崖の外を指差す。

「片方だけは翼あるんだろ。だったら飛べることをショウメイしてみせろよ」

「そーだそーだ、やってみろー」

 子供たちは面白がってはやし立てる。

「無理だもん!」

 キュッリッキは怯えながらも必死に大声で叫んだ。言われた通りやれば、死ぬだけだと判っている。

 その態度が癇に触ったのか、アルッティがイラッとしたように口の端を歪めた。

「ぼくたちはアイオン族なんだぞ! おまえもそーなら、やってみろっていってるんだ!」

 首を振って否を唱えるキュッリッキを、子供たちは範囲を狭めて詰め寄った。

 やがて、苛立ったアルッティが手を伸ばし、キュッリッキの胸を突いた。

 アルッティは軽く押したつもりだった。

「!?」

 キュッリッキの身体が後ろによろめき、踵が崖を踏み外して、小さな身体が宙に浮いた。その突然の光景に、はやし立て続けていた子供たちの声が止む。

 突き飛ばしたアルッティが大きく目を見張る中、キュッリッキは崖から真っ逆さまに落ちていった。

 ハッと目を開け、キュッリッキは荒い息を何度も何度も吐いた。目からは涙がとめどなく流れ落ち、胸が苦しくてたまらない。

 そうしているうちに、今は夢ではなく現実なのだと、ようやく認識できてきた。

「フェンリル……フェンリルどこ?」

 涙声で、弱々しく相棒の名を呼ぶ。

 長椅子に置かれた青い天鵞絨張りのクッションに寝ていたフェンリルは、キュッリッキの声に目を覚ますと、素早く駆け寄りベッドに飛び乗った。

 白銀の毛に覆われた顔を、キュッリッキの頬に労わるように何度も摺り寄せる。

「フェンリル…」

 フェンリルの頬ずりに安堵し、キュッリッキの呼吸もだんだんと落ち着いてきた。

「幼い頃のことを、夢にみちゃってた…」

 独り言のように呟くキュッリッキの言葉に、フェンリルはそっと耳を立てて聞き入った。

「修道院の崖から突き落とされた時のこと。あの時フェンリルが助けてくれなかったら、アタシ、死んじゃってたよ」

 アルッティに突き飛ばされ、崖の外に弾かれたキュッリッキの身体は、風に巻き上げられ宙に浮いたあと、真っ逆さまに落下していった。

 落ちていくときキュッリッキの頭の中は真っ白で、何一つ考えられていなかった。轟轟と唸る空気の音と肌を貫いていくような冷たさ。恐怖で塗り固められたように動かない身体。

 もうダメだ! そう思った瞬間、小さな身体は地面に叩きつけられることもなく、柔らかなモノの上でふわっと跳ねて、座る姿勢でそっと着地した。

 急に素足に感じるくすぐったい感触を、小さな掌で何度も摩るように触れる。

 涙で濡れた顔をきょとんとさせ、目を何度も瞬かせた。

「ふぇ……りる?」

 囁くように言うと、獣が喉を鳴らすような声が辺りに轟いた。

 一つしゃくり上げたあと、周りをゆっくりと見渡す。

 目の前には屹立した岩と、後ろには遠く眼下に広がる緑の大地、足元は白銀の広大な地面。

 地面に手を押し付けると、柔らかな温かさが掌に伝わってきた。この感触は紛れもなく――

「フェンリル、おっきくなった」

 キュッリッキは毛並みにボフッと抱きついて、その感触を頬で感じて小さな笑い声をあげた。

 仔犬の姿しか見せていなかったフェンリルが、かりそめの姿を解いて巨狼の身体で顕現したのだ。フェンリルの本体を知ったのは、この時が初めてだった。

「フェンリルがあんなにおっきな狼だって知ったのも、あの時だったね。ずっと今みたいに仔犬の姿をしていたから」

 フェンリルはキュッリッキの顔のそばで身を丸くして、じっと見つめている。

 宝石のような水色の瞳には、労わるような優しい光が揺蕩っていた。

「ずっと一緒に居てくれたから、アタシ生きてこられた」

 突き落とされ一命を取り留めたキュッリッキは、そのままフェンリルと一緒に修道院を黙って出た。戻る気にはなれなかったからだ。以来、一度も近寄っていない。

「アタシを突き飛ばしたあの子は、少しは反省してくれたのかなあ…。気に病んでくれたかしら」

 多分、そんなことはもう忘れてしまっているだろう。あの修道院のなかで、キュッリッキは片翼の異端だったから。

 ふと、隣を見てキュッリッキは表情を曇らせた。隣に寝ていたベルトルドが、もう居ない。今は朝7時を過ぎたところだ。出仕のために準備をしているか、朝食をとっているのだろう。

 夜中のことを思い出し、キュッリッキは切なげな溜息を吐き出した。混乱していたとはいえ、ベルトルドに向かって酷い言葉を投げつけた。酷い態度を取った。そして、ベルトルドの困惑していた顔を思い出す。それがチクリと胸に突き刺さった。

「なんてこと、しちゃったんだろ…アタシ」

 自己嫌悪の波が足元からザワザワと押し寄せてきて、深々と息を吐き出す。

 同じ失敗を繰り返さないようにと、自分で決めたはずなのに。また同じことをやってしまった。それも、後ろ盾であり、命の恩人であるベルトルドに向かってだ。

 更に質が悪いのは、ベルトルドは何もしていない。泣いていた自分を心配してくれていただけなのだ。それなのにベルトルドに向かって、暴言を吐いた。

 今まで失敗してきたことを、また繰り返している。

 こんな自分を好きだと言ってくれていたのに、あれではもう、嫌われただろう。嫌われて当然の振る舞いをしたのだから。

 アイオン族の中で、自分がどんな酷い目に遭っていたのか、ベルトルドは知らない。ライオン傭兵団のみんなも――ヴァルトだけはだいたいは知っていたが――知らないことだ。だから、あんな態度をとられて、きっと腹が立ったに違いない。

 過去のことをちょっとでも思い出すと、心がコントロール出来なくなる。駄々っ子以上に感情が乱れ、周りが見えなくなった。そして手がつけられなくなるほど荒れて、気が付けば人は離れ、居場所を無くしていた。

 いつもああして、誰とも破局するのだ。その後激しい後悔と、情けない気持ちでいっぱいになる。またやってしまったと、後悔ばかりで。

 また、また、また、また…。またを何度繰り返すつもりなのか。後悔する前にどうして自制できないのか。同じ反省までも繰り返している。

「フェンリル、またハーツイーズに戻ることになるかも。ごめんね…」

 キュッリッキを励ますように、フェンリルは鼻をクンクンと鳴らす。

 今度はここで、うまくやっていけそうな気がしていた。今まで出会ってきた人達と違う感じがする。そう直感していた。

「今度こそ、頑張ろうって決心したはずだったのに…」

 怪我で弱気になっていたのが、マズかったのだろうか。自分に色々言い訳を考えても、もうあとのまつりなのだ。

 横たわったまま、明るい室内を見渡す。

 立派な天蓋付きのベッドで、大人が何人寝られるんだろうと数えたくなるほど広く、その足元の向こう側もとても広い部屋だ。

 大きな窓を覆っていた天鵞絨のカーテンは、タッセルでまとめられ、白いレースのカーテンだけが窓を覆っている。そこから明るい陽射しが通り、天気が良いのが判った。

 広々とした室内は白と青を基調としていて、落ち着いているが可愛らしい雰囲気の素敵な部屋だ。さりげなく配置されている置物や花、カーテンやクッション、テーブルクロスに調度品は、どれもキュッリッキの大好きなデザインや色使いで整えられている。

 青色は寒々しい印象を与えるが、水色や金がアクセントとなって、むしろ愛らしい印象になっていた。

 キュッリッキは青色が大好きだ。

 自らの翼で翔けることのできない空の色。水色から青色に深みを増していく、高い空の色。憧れる空の色。

 青色が好きだと言うと、大抵のひとは海の色だと言う。しかしキュッリッキにとっては、空の色が大好きな青色だった。

 あらかじめ勝手にキュッリッキの思考を読んでいたベルトルドが、指示して用意させた部屋であることは知らない。

 ずっと居たいと思えるような素敵な部屋だが、今日できっと追い出される。そう思うと残念だった。

「あんなに優しくしてくれたベルトルドさんでも、きっと、怒っちゃったよね」

 誰でもあんな言葉を叩きつけられ、態度をとられれば、怒って当然。自分だって怒る。

「ハーツイーズのおばちゃんたち以外で、アタシに優しくしてくれた大人だったのに…。アタシってばホント、我慢強さや協調性がナイよね」

 フェンリルに向かって呟くと、フェンリルは小さく首をかしげるだけだった。

「辛い過去を持ってるのは、アタシだけじゃない。誰だって何かを抱えて耐えているのに。――判ってるのに、上手に自分を抑えられない。つい、自分だけが特別みたいに思っちゃうんだ。だから暴発しちゃうのねきっと…」

 世の中には、親から愛情を注がれない不幸な子供がいっぱいいる。捨てられた子供だって、赤ちゃんだっているのだ。だから、自分だけが辛いと思ってはいけないと、幼い頃から言い聞かせている。自分自身に。

 あの修道院にいた孤児たちも、背景はどうあれ親がいないし、親の愛情に恵まれていない。自分だけじゃないのだ。

 そう思っていても、親のことに触れられたり、過去を思い出してしまうと、感情のコントロールが効かなくなる。

「追い出される前に、もう一度ベルトルドさんに会えるかなあ…。会ったら、ごめんなさいって謝るの」

 強さを増していく朝日とは反対に、キュッリッキの心をどんよりとした重いものが覆っていった。