片翼の召喚士 ep.59 帰還(6)
「話が脱線しまくっていますよ、ベルトルド様…。もう酔われましたか」
キュッリッキに手を出す気満々のベルトルドを冷ややかに見つめ、更に底冷えするような声でメルヴィンが口を挟む。
ベルトルドもルーファスも、思わずビクッと息を飲んだ。メルヴィンのような真面目な男を怒らせると怖いのだ。
「で、お話の続きをどうぞ」
メルヴィンの気迫に圧され、ベルトルドは真顔に戻り、視線を明後日の方角に向けて唸った。
「何を話そうとしていたかな…」
脱線しすぎて忘却してしまっている。
「ではオレから質問を一つ。何故我々を看病役に選んだんですか? 魔法スキル〈才能〉もないので、回復魔法をかけてあげることもできません。それに我々は男なので、女性の看病には不都合が色々あるんじゃないでしょうか」
「ああ…そのことだ」
ワシャワシャと自分の頭を掻いて、ベルトルドは寝転がったまま、肘枕をして身体をメルヴィンたちの方へに向けた。
「今のところ、リッキーが一番心を許しているのが、お前たち2人だからだ」
メルヴィンとルーファスは顔を見合わせた。
「あの子はまだ入団して日も浅い。それに人見知り体質もあるようだな。だが自分の欠点を克服して、仲間の中に必死に馴染もうとしている。それはカーティスから聞いている」
ベルトルドは空のグラスを掴んで揺らす。手近にあったブランデーの酒器を持って立ち上がると、ルーファスはベルトルドのグラスにトポトポと注いだ。
「確かに男手だと不都合もあるだろうが、そこはリトヴァがフォローしてくれるだろう。貴様たちの役目は、喋るぬいぐるみ程度に、そばにいてやることだけだ」
寝転がったままグラスの中身を軽くあおる。
「大怪我を負って、精神的に不安定になっている。例の怪物のトラウマも抜けていないだろう。素直に甘えられる存在が近くに欲しいのさ、そいうときはとくにな」
メルヴィンは小さく頷いた。
「性別やスキル〈才能〉は、この際どうでもいい」
「なるほど」
ルーファスは照れくさそうに頬を掻いた。巨乳好きと公言しているので、てっきりドン引きされていると思っていたからだ。
「しかしどういう基準で貴様らなのかは、俺もよく判らん。次点でマリオンなんだが、まあ、馴染み易かったんだろう。それに、貴様らは顔も悪くないしな。俺に比べるとはるかに落ちるが」
だがな、と言ってベルトルドは立ち上がる。
「貴様らを心の中から徹底排除し、リッキーの中の一番はこの俺が取る! 俺だけを望み、俺だけを求め、俺に全てをさらけ出すくらいに教育してみせるぞ!」
思いっきり真顔で拳を握り締め、自信たっぷりに言い切った。
(このエロおやじ…)
(ロリコン…)
2人の心の声をスルーして、ベルトルドはテーブルのベルを鳴らした。
すぐにセヴェリが顔を出す。
「風呂は?」
「用意出来ております」
「なら、こいつらを部屋に案内してやれ。俺は風呂に入る。身体を隅々まで磨いておかねば」
「承りました」
「今日から俺は、リッキーの部屋で寝る事にするから、朝は間違えるなよ」
「…お嬢様のお部屋に、でございますか?」
セヴェリが困った顔をする。そう、これが普通の反応なのだ。
そんなことはお構いなしに、ベルトルドは嬉しそうに笑顔を見せた。
「ああ、リトヴァにもそれ言っておいてくれ」
「……そのように」
神妙に頭を下げ、セヴェリは部屋を出た。
執事代理となったセヴェリに案内された部屋は、キュッリッキの部屋のすぐ隣の2部屋だった。
「お夕食の準備が整いましたら、お呼び致します。時間は19時くらいになります」
「うん、ありがとうセヴェリさん」
「ありがとうございます」
「それでは、ごゆっくり、おくつろぎくださいませ」
慇懃に挨拶して、セヴェリは戻っていった。
「メルヴィン、付き合わないか」
ルーファスは手振りで飲む仕草をする。
「是非」
メルヴィンは笑みを浮かべ、ルーファスの部屋に入った。
ハーメンリンナにある貴族や富豪たちの有する屋敷と大差なく、とにかくこの屋敷は無駄に広い。そして2人の部屋も無駄に広かった。
ベルトルドの好みだろうが、屋敷の調度品や色調は、青と白を中心にしたものが多い。下品になるほど派手ではなく、かといって質素になるほど簡素でもなく、ちょうどいい調和が取れている。
寒々しい印象を与える青色も、絶妙なバランスと濃淡で、柔らかく配色されているので、落ち着いた良い部屋になっていた。
ソファに向き合って座り、ルーファスはメルヴィンのグラスにワインを注いだ。
「貯蔵庫から拝借してきた」
「いつの間に…」
「ベルトルド様のように転移は無理だけど、サイ《超能力》でちょちょいとネ」
人懐っこい笑みを浮かべ、ルーファスはワイングラスを持ち上げ乾杯する。それを見やってメルヴィンは苦笑すると、乾杯した。
「お疲れ様です」
「お疲れ~。さっきカーティスに連絡とったら、あっちもみんなクタクタで、すぐ部屋にすっこんだそうだ」
「なんだかんだ、あちらでは雑魚寝状態でしたしね」
「だよネ。それに、じめじめ暑かったし。真夏じゃあるまいし、あの国は大変だなあ」
笑いながらグラスを傾ける。
「今回の仕事は、キューリちゃんの全面サポートがあって、随分手際よく進められて良かったのに、とんだことになっちゃったよねえ」
「そうですね。まさか遺跡にあんな怪物が出現するなんて、予想もできませんでしたよ」
「うんうん。元々詰めてた研究者たちでも見つけられてなかったし、襲われてなかったわけだしさ。一体どんな仕掛けだったのかなあ」
「ええ」
「娯楽小説だと、床の判りにくいスイッチを踏んじゃって、罠が発動した、なんてシーンがあるけど。そんなノリとはチガウっぽいけどね」
「ですね…」
「あんな大怪我させちゃって、オレたちがどうこうしたわけじゃないけど、なんかキューリちゃんに悪くってさ…」
「はい」
あれ以来何度も思い出す、キュッリッキの大怪我した姿。何とかして助けたいと思いながらも、助からない、もうだめだと思うほどの惨さだった。
この事件は、ライオン傭兵団皆の心に、深い後悔となってずっと残ることになる。
「それにしてもさ、キューリちゃんに好かれてるとは思ってなかったから、なんかこそばゆいな」
ルーファスは座り直して話題を変えた。
「女の子に好かれるのは、悪い気はしませんよ」
「まあね。とにかく美少女だからなあ、キューリちゃん。あれで胸がおっきかったら完璧だったんだけど」
「太りにくい体質だと言ってたことがあるので、あまり言うと可哀想ですよ」
「ははっ、それならしょうがないな」
「しかし、頼りにされてる以上、守ってあげないと」
「ベルトルド様からだろ。淫乱オヤジの毒牙から守るのは、一国の軍隊から守るより至難の業だよねえ」
どんよりと重たい空気を漂わせながら、2人は俯いた。
「これはもう、アルカネットさんに縋るしかっ」
「どっちもどっちな気がしますが」
「ベルトルド様は有言実行、アルカネットさんは無言実行、どっちもどっちか」
敵が強すぎて、お姫様を守るナイト役は難しすぎると、闘う前から諦めモードが漂う2人だった。
キュッリッキは目を覚ました。目に飛び込んできた暗闇に、何度か目を瞬かせる。
(どこかな…ここ…)
暗闇に目も慣れてきて、ぼんやりと視線の先を見つめた。
見上げているそれがベッドの天蓋だと気づくのには、時間がかかった。生まれて初めて目にするもので、天蓋の向こうに窓のようなものが見えたので、それが天蓋だと気づいた。
何故天蓋がつくようなベッドに寝ているのだろうと、疑問が頭をもたげる。そういうベッドは、お金持ちが寝るものと認識しているからだ。そして左側に人の気配がして首を向けると、キュッリッキは悲鳴をあげそうになって、慌ててそれを飲み込んだ。
ベルトルドが寝ているのである。
(えっ? えっ?? なんでここに!?)
右側を見ると、数人横に寝ても余りあるくらいのスペースがある。もう一度左側を見ると、やはり大人2人分のスペースに、ベルトルドが寝ているのだ。
(えっと……えっとお…)
キュッリッキは必死で考えた。
アルイールのエグザイル・システムのところで、一度目が覚めた。そしてベルトルドが何かを言っていたが、キュッリッキは覚えていなかった。なので、自分がどこでこうして寝ているのかが判らない。
忙しく頭の中が回転するが、さっぱり判らない。やがて考えるのが面倒になり、ひっそりとため息が漏れた。
今の気分はとても落ち着いていて、あれだけ苦しかった熱もひいている気がした。とくに苦しくはない。
迫り来る無言の恐怖と命の危険に晒されながら、それは必死に手を尽くした医者たちの、必死の治療の賜物であることは知らない。
改めて左側に眠るベルトルドに顔を向ける。
身体をキュッリッキのほうへ向けたまま、ぐっすりと眠っていた。寝息も規則正しく、なんとも無防備な寝顔。
動く左手を恐る恐る伸ばし、そっと前髪を指で揺らしてみる。
サラサラとした感触がくすぐったくて、でもそれで起きるんじゃないかと、慌てて手を引っ込めた。しかしベルトルドは目を開けなかった。
スヤスヤと眠るベルトルドの顔を、まじまじと見つめる。
こうして間近に見ても、聞いていた年齢よりずっと若く見える。アルカネットの柔和で優しげな面立ちとは正反対に、挑発的で強気が常に押し出されたような面立ち。ライオン傭兵団の仲間たちに言わせると「歩く傲岸不遜」だそうだが、それに同意出来るほど、付き合いは深くない。
まだ出会って日も浅い。知らないことのほうが多いのだ。
とても偉くて忙しい人だということは判る。その彼が、怪我をした自分のために駆けつけてくれた。そしてとても大切にしてくれる。
何故だろう。
考えるまでもなく、答えはすぐに出た。
自分が珍しい、レアスキル〈才能〉を持つ召喚士だからだ。
これまでずっと知らなかったことだが、召喚は国が保護するほど貴重なスキル〈才能〉なのだそうだ。同じように召喚スキル〈才能〉を持つ者は、大切に国に保護され、貴族のような暮らしをしているという。
それも、家族ごと召し上げられるのだ。
でも、とキュッリッキは思う。
(アタシは捨てられた。――家族から)
悲しみと共に脳裏に蘇ってくる、冷たい石の感触。
全身が渇くほど、欲した親の愛情。
キュッリッキの黄緑色の瞳は天蓋を通り抜け、幼いあの頃の、薄汚い惨めな自分の姿を視ていた。