片翼の召喚士 ep.52 賑わうイソラの町(6)
メルヴィンとウリヤスを病室から文字通り追い出すと、アルカネットはベッドの傍らに立ち、落ち着いて眠るキュッリッキを見おろした。
ついさっきまで、ザカリーを殺そうとしていた冷徹な表情は消え去り、切なさと愛おしさが入り混じった表情で、キュッリッキを見つめていた。
病室に灯りはなく、窓から差し込む月明かりのみ。
枕元にいるフェンリルは、小さな身体を丸めて眠っている。
半開きの窓からは外の喧騒と、時折緩やかな風が流れ込んで、レースのカーテンをそっと揺らしていった。
どのくらいそうしていたのか、ふいにアルカネットは何事かを短く呟いた。しかしそれは声には出ず、唇が僅かに動いただけだった。
柔和な面差しに、たとえようもない悲しい表情が浮かぶ。感情がこみ上げてきたように瞳が揺れ動いた。
アルカネットは上半身をかがめると、静かな寝息をたてる唇に、そっと口づけた。
「リッキーさん…あなたを愛していますよ。深く、深く…」
小さな左手を取り、手の甲を自分の頬に押し当てる。
「あなたを危険に晒す者、危害を加える者、全て私が排除して差し上げます」
アルカネットは椅子に座ると、ベッドに両肘をついた。そして、キュッリッキの手の甲にもキスをする。
「この苦しみも、痛みも、私が変わっあげられたら、どんなにいいでしょう…」
細かな経緯は判らないが、あれだけの大怪我だ。さぞ恐ろしい目に遭ったのだろう。心も深く傷ついたに違いない。
(アルカネット)
そこへ、ベルトルドの念話が届き、アルカネットは僅かに眉をしかめる。
(どうかなさいましたか?)
(リッキーの具合はどうだ? 今どうしている?)
イライラとまくし立ててきて、どんな表情で念話を飛ばしているか、嫌でも目に浮かんでくる。アルカネットは小さく嘆息した。
(術後意識を取り戻しましたが、怪我を負った時のことを思い出して取り乱したので、薬を与えて、今はぐっすりと眠っていますよ)
(そうか…。さぞ怖い思いをしたのだろうな)
(ええ、可哀想に。こんなに酷い怪我をして…小さな身体に、惨いことです)
(うむ)
何かに思いを馳せているのか、しばし念話が止む。
(それで、如何なさいましたか?)
(あ、ああ。連絡事項だ。ソレルの首都アルイールの制圧が終わり、そのイソラという町に近い漁港に、正規軍の軍艦を一隻寄越した。明日俺もそちらに合流するから、リッキーをイララクスまで運ぶぞ)
(そういえば、アルイールとの往復に、汽車がありませんでしたね。ステーションのある所までは、かなり距離がありますし)
(辺鄙なところにある町だしな。エグザイル・システムを使わないと、イララクスまで帰還するのに、どえらい日数がかかってしまう。アルイールまでの移動用だ)
(……一隻転移させたんですか)
(おかげで死ぬほど疲れた!)
(そうでしょうね…)
空間転移能力は、物凄い精神力を必要とするらしい。自身を飛ばす分には大したことはないが、軍艦のような大型艦を転移させたため、呆れるほどの精神力を使い果たしたようだった。それでもこれだけ元気な念話が飛んでくるくらいだ、有り余りすぎである。
(俺は昼には到着する予定だ)
(判りました)
(それと、お前には仕事だ)
(は?)
(シ・アティウスを連れて、もう一度ナルバ山の遺跡へ向かえ。どうやら、アレの正体が判ったらしい)
(…ふむ)
(リッキーのことは、俺に任せておけ)
自信満々に言うベルトルドに、アルカネットはたっぷり間を空けたあと、
(心配です)
そう、キッパリと答えた。当然、念話の向こうでギャースカ喚き立てている。
(用件はそれだけでしょうか。私も魔法の使いすぎで疲れていますから、そろそろ寝かせてください)
(ぐぬぬぬぬ)
(それでは、おやすみなさい)
まだ何か言いたそうなベルトルドの念話をぷっつり切ると、アルカネットは本当に疲れた顔で息を吐き出した。
「ボクこんなに働いたの、初めてだよ…」
ランドンはトントンッと肩を叩きながら、首を左右に動かした。その度に関節がポキポキと鳴る。
窓からは明るい光が差し込み、今日もいい天気であることを告げていた。
「ちょーすまねえ…」
頭から足の先まで全身包帯でぐるぐる巻きにされたザカリーが、ベッドの中から心底申し訳なさそうに詫びた。目と口だけ包帯から逃れ、すっかりミイラ男状態だ。
ヴァルトにしょっ引かれてきたヴィヒトリは、長時間労働の直後に再び縫合を要求され、さすがに嫌そうな表情を露骨に出していたが、ギャリーとガエルのプレッシャーに脅される形で、渋々ザカリーの縫合をおこなってくれた。
「だあああ! 縫うところが多すぎるぞ! 長時間オペ完徹連日で、ボクはチョー疲れているんだ!」
あまりにも縫合箇所が多すぎてヴィヒトリは発狂し、結局夜中近くまでかかると、今度こそヴィヒトリはぶっ倒れて、宿に担ぎ込まれてしまった。
さすがの医療スキル〈才能〉のスペシャリストも、連続長時間労働はきつかったらしい。
ランドンは縫合中ずっと回復魔法をかけ続け、終わったあとも時折様子を見ながら魔法をかけていた。またもや徹夜で魔法を使い続ける羽目になったランドンは、やや面窶れしたようにも見えた。
助っ人に呼ばれたウリヤスは、縫合はあまり得意じゃないと逃げたが、それは単にヴィヒトリの邪魔をしたくなかったからである。技術に差がありすぎるため、ヴィヒトリのペースを乱さない為の配慮でもあった。
「ザカリー死ななくてよかったよ」
ベッドに乗っかっていたハーマンは、ザカリーの脇腹に小さな拳を軽く叩き込んだ。
「いでで……勘弁してくれ」
「イアサール・ブロンテなんて大技出してくるんだもん。さすがにアレはビックリしたさー」
「自分から貰いに行くとか、マゾイことをするもんだ…」
ランドンがため息混じりに言うと、ザカリーは苦笑した。
「なんかよ、罰を受けなきゃいけない気がして。キューリあんな大怪我しただろ、俺だけピンピンしてるのも気が引けるっつーか」
モゴモゴとザカリーが言い訳すると、ランドンとハーマンは大きく首を横に振った。
「はあ…。それで君が死んだら、キューリは今度は自分のせいだって、自己嫌悪でポックリ逝っちゃうかもしれないんだよ」
「……それは、困る」
「責任感じてるんだったら、あとでちゃんと謝って、キューリさんから罰もらえばいいんじゃない?」
「それがいいかもね」
ハーマンとランドンから提案されて、ザカリーは神妙に唸った。
「失礼しますよ」
マルヤーナが部屋に入ってきた。
「ランドンさん、ハーマンさん、すぐにキュッリッキさんの病室に来るようにと、アルカネットさんから言付かってきました。そしてザカリーさんは、おとなしく寝ているようにと」
3人は顔を見合わせる。
「ありがとうございます」
ハーマンはマルヤーナに礼を言うと、また後でねと言って、ベッドから飛び降りた。
「話が終わったら、また来るから。ちゃんと寝てるんだよ」
ランドンも立ち上がった。
病室を出ていくハーマンとランドンを見送って、ザカリーはゆっくりと目を閉じた。
アルカネットから召集され、ザカリーを欠いたライオン傭兵団の全員が、キュッリッキの病室に集められた。この時初めてキュッリッキの無事な姿を見た面々もいる。包帯を巻かれた痛々しい姿に、皆沈痛な表情を浮かべていた。
キュッリッキは視線を巡らせ室内を見渡し、ザカリーが居ないことに強い不安を覚えて、傍らに座るアルカネットを見上げた。
「ザカリーがいないよ? もしかして、アルカネットさん」
殺意が剥き出しだった昨夜のアルカネットを思い出し、何もしないと言いながらも、ザカリーに何かしたのではないだろうか。それでこの場に居ないのだと、キュッリッキは不安でいっぱいになった。しかしそれに答えたのはギャリーだった。
「ザカリーの奴は、あの山の神殿で怪物とやりあった時に怪我したんだ。キューリよりも包帯でグルグル巻状態だしな。早く治れとベッドに縛り付けてあるだけだ、気にすんなって」
茶化すようなギャリーの言葉に、キュッリッキの顔が曇り出す。
「怪我……、酷いの?」
「ミイラ男になってっけど、大丈夫さ。もとが頑丈に出来てっからよ」
「ホント?」
「ああ」
にやりと笑うギャリーの顔を見て、キュッリッキは小さく頷いた。
もちろん嘘だ。訊かれたらこう答えようと、あらかじめみんなで口裏を合わせていたのだ。昨夜の病室での一件をカーティスとメルヴィンから聞かされた一同は、キュッリッキの不安をこれ以上煽らないほうがいいと考えたからだ。大怪我をした身体に、不安はマイナス効果にしかならない。
あまり信じていない様子だが、アルカネットへの不信が拭えないのだろう。これ以上追求することなく、キュッリッキは口をつぐんだ。
アルカネットはキュッリッキに優しく笑いかけ、一同に身体を向けて座り直した。
「ベルトルド様からの連絡で、本日昼には、こちらにいらっしゃるそうです」
皆表情は変わらず平静さを装っていたが、酷く残念そうな空気を、露骨に室内に漂わせた。もうこれ以上胃が痛くなる人はイラナイデス、と言わんばかりに。
「ベルトルド様が到着次第、リッキーさんをイララクスに連れて帰ります。その際、ザカリー、マーゴット、マリオンはここに残り、他は一緒に戻ります。それについては、後ほど詳細にお話します」
それと、と言ってアルカネットは、キュッリッキに顔を向ける。
「リッキーさんのお友達2人にも、帰還に同行してもらいましょうか。すでに仕事の任は解かれているそうですし、我々と一緒の方がアルイールのエグザイル・システムも使いやすいでしょうから」
「そうなんだ。うん、一緒がいい」
「カーティス、あとで伝えておいてください」
「判りました」
「私は別の用事があるので残ります。道中の指示はベルトルド様がするでしょうから、リッキーさんのことは、皆頼みますよ」
「え、アルカネットさん一緒に帰れないの?」
「ええ。仕事を押し付けられていますから、それが終わらないと帰れないのですよ」
肩をすくめ微笑むアルカネットの顔を、キュッリッキは残念そうに見上げた。
「でも仕事が済んだら、急いで帰りますからね」
「うん」
まるで親子のような微笑ましい光景だったが、昨夜のことがまだ一同の記憶に生々しく刻まれているだけに、何とも言えない気分に蝕まれていた。
「あっ」
「どうしました?」
「あのね、なんでベルトルドさんがくるの?」