片翼の召喚士 ep.48 賑わうイソラの町(2)
長いオペが終わり、肩をコキコキ鳴らしながら、ヴィヒトリはオペ室を出た。
「ぬっ」
出たところで、軍服に身を包んだ男に、物凄い形相で睨まれドン引きする。
「お久しぶりですね、ヴィヒトリ先生」
「あ、アルカネットさん、か…」
ビックリした~~っ、とは胸中で叫ぶ。温厚な表情をするアルカネットしか知らないので、こんな威圧的で見ただけでチビりそうな顔をしているから、アルカネットだと気づくのに若干時間がかかった。
ヴィヒトリは血まみれの手袋を脱ぎ、専用のゴミ箱に捨て、手術着を脱ぎ始めた。
「軍に復帰されたんですね~、今日はどうしたんですか? 副宰相閣下の体調が悪いんです?」
「あの方は、相変わらずピンピンしてますよ。今日は別件できました」
「ほむ?」
手術着全てを脱ぎ捨てると、ヴィヒトリは黒縁のメガネをかけ直した。
「あなたが手術を終えるのを待っていました。今すぐ私と一緒に、ソレル王国へ行ってもらいます」
「へ?」
「これを見て下さい」
アルカネットは魔法を使い、ベルトルドから見せられた、キュッリッキの惨憺たる姿の記憶をヴィヒトリに伝える。
「う…、生きて、いるんですかこれ…」
「もちろんですよ。死なせないために、あなたを迎えに来たのですから」
極力感情を抑えるような声で、アルカネットは絞り出すように言った。
「この女の子は、一体誰なんです?」
「最近ライオン傭兵団に入った、キュッリッキと言います。仕事先での事故で、こんな大怪我を負ってしまったのです」
「キュッリッキ…」
ヴィヒトリは少し首をかしげ、ああ、と呟いた。何かを知っているようだったが、それ以上のリアクションはなかった。
「もうひとり、ドグラスという外科医も同行させます」
それには目を丸くする。
「よくドグラス先生を捕まえましたねえ。時間外勤務が大嫌いな人なのに」
「ベルトルド様の命令ですから、嫌とは言わせませんよ」
「なるほど。それじゃあ、あのタヌキ逆らえなかったでしょうね」
あはは~っと呑気に笑い声を上げるヴィヒトリだったが、アルカネットの顔があまりにも涼しいので、すぐに笑いを引っ込める。
「向かってもらう場所は、小さな診療所のようなので、ここにある設備は期待できないでしょう。あまり悠長にしている時間もありません。準備をすぐに済ませなさい、急いで向かいますよ」
「判りました」
ヴィヒトリは自分の診察室に向かって駆けていった。その姿を見送りながら、アルカネットは小さく呟く。
「あともう少しの辛抱ですよ、リッキーさん」
手術道具や薬品などを揃えて外来ロビーに来ると、涼しい顔のアルカネットと、緊張で塗り固まった中年の男――ドグラスが待っていた。
「お、お待たせしました」
ヴィヒトリが引き気味に言うと、アルカネットは組んでいた腕を解いた。
「お2人とも、荷物はしっかり持っていてください。時短のために宙を飛んでいきます。エグザイル・システムまで行きましょうか」
アルカネットがスッと右腕を上げると、ヴィヒトリとドグラスの身体がふわりと浮いた。2人は荷物をしっかりと抱きしめる。
「行きます」
一言そう呟くと、アルカネットの身体も浮き上がり、3人は病院からサッと出ると、宙に舞い上がっていった。
アルカネットと医師2人がソレル王国のエグザイル・システムに到着すると、いきなり銃口が多数突きつけられた。エグザイル・システムの周りは、2個小隊ほどのソレル王国兵たちに取り囲まれている。
エグザイル・システムは、飛ぶときは台座の上に乗っていくが、飛んだ先では台座の下に到着する。その為台座の下には、多勢が飛んできてもいいように、開けた場所が必ず設置されていた。
ひな壇になっている中段に、台座が置かれている。そこから辺りを睥睨し、口ぶりだけはいつもと変わらず、アルカネットは穏やかに言った。
「なんの真似でしょうか?」
しかしそれに応える者は誰もおらず、ピリピリとした緊張だけがこの場を支配している。誰何する声もなく、銃口と剣先が向けられ、明らかに敵意ある魔力の高まりも感じられた。
ハワドウレ皇国のエグザイル・システムのある建物ほどではないが、ソレル王国首都アルイールのエグザイル・システムの建物も立派である。遺跡観光を看板に掲げる国らしく、遺跡をモチーフとした美術的デザインが美しい。それを物珍しげに眺め渡し、ヴィヒトリは小さく欠伸をした。
「連続オペで、ボク疲れてるんだよね。さっさと行きましょうよ、アルカネットさん」
「ええ、そうですね」
淡々と言いながらも、僅かにアルカネットの声音には苛立ちが含まれていた。それを敏感に感じ取って、背後に控えていたドグラスは、恐々と身を強ばらせた。
アルカネットは一歩前に踏み出すと、いきなり両手をバッと広げた。
「イスベル・ヴリズン」
一言魔法名を言い放つ。すると、アルカネットの両手掌から、氷柱のようなものが無数に飛び出し、エグザイル・システムを取り囲むソレル王国兵たちに突き刺さっていった。
「うひゃ…」
ヴィヒトリは首をすくめて小さく悲鳴をあげる。辺は一瞬で騒然とし、氷柱攻撃を免れた兵士たちが発砲した。しかし、
「トイコス・トゥルバ!」
エグザイル・システムのひな壇の周りに、突如土の壁が床からせり上がり、銃弾を全て防いでしまった。
(凄いなあ…、これが噂に聞く、アルカネットさんしかできないっていう無詠唱魔法ってやつか)
魔法スキル〈才能〉を持つ者は、体内に魔力を内包している。使う魔法の属性魔力を引き出し、魔法の形に作り上げるために呪文が必要になる。そして作り上げたその魔法を放つ時に魔法名を言う。
人によって魔法を作り上げるスピードは異なるが、アルカネットの場合、魔法を作り上げるための呪文が必要ない。一瞬で必要な魔法の属性魔力を引き出して、完成させてしまうのだ。俗に言う無詠唱魔法である。
アルカネットもまた、ベルトルドと同じように、Overランクを持つ魔法使いだ。神を引っ張り出さないと、倒すことができないとまで言われている。
ソレル王国内は、現在超厳戒態勢が敷かれている。軍施設がライオン傭兵団の襲撃を受けて、ケレヴィルの研究者たちが攫われてしまったからだ。その為、とくにエグザイル・システムは国外脱出手段の一つになるため、犯人たちやその仲間が出入りしないよう、兵士たちが厳重に配備されていた。
誰が飛んでくるか判らないため、エグザイル・システムから誰かが飛んでくるたびに、兵士たちは銃口を向けて脅していた。それが、両手を上げるわけでもなく、いきなり魔法で攻撃してくるので慌ててしまっていた。
アルカネットは素早く、3人の周りに防御魔法を張り巡らせる。そしてパチリと指を鳴らすと、3人の身体がひな壇から浮き上がった。
アルカネットを先頭に、ゆっくりとひな壇の階段を滑り降りると、出口に向けて加速した。
不意をつかれたソレル王国兵たちは一瞬出遅れたが、すぐさま発砲し、魔法攻撃が3人目掛けて迫る。しかし攻撃は掠りもせず、建物を抜けた3人の身体は、そのまま外に躍り出た。
ヴィヒトリはチラリと隣のドグラスを見る。日焼けした褐色の肌が、色落ちしたように明らかに蒼白になっていた。弱者に対しては尊大だが、強者に対しては卑屈になる。そんなドグラスだが、さすがに不慣れな戦場の空気は、精神的に厳しそうだ。
(大事なオペが控えてるんだから、しっかりしてよね…)
胸中でひっそりとため息をつく。性格に難有りだが、外科医としての腕は確かだ。
アルカネットが助けようとしているあの少女は、彼にとってもベルトルドにとっても、よほど大切なのだろう。普段の温厚な雰囲気が鳴りを潜めるほど、必死になっている。だからどんな状況に置かれようと、ヴィヒトリとドグラスの身は、アルカネットが絶対に守る。その点は安心して良かった。
エグザイル・システムの建物の外には、やはりソレル王国兵が詰めていた。
「面倒な方々ですね。こちらは一刻を争う事態だというのに」
イラッと露骨に滲ませた声で吐き捨てる。
「帰りのこともありますし、エグザイル・システムのある場所で魔法は使いたくありませんでしたが…もう使っていますけど、少し足止めをしておきましょうね」
セルフツッコミしつつ、アルカネットはにっこりと微笑み、両手を広げて一言呟いた。
「イラアルータ・トニトルス」
まだ早朝の静かなアルイールの街中に、突如空から無数の雷の柱が降り落ち、凄まじい轟音が街を包み込んだ。落雷の影響で、いたるところで爆発や火事が起こり、街は一気に騒然となる。
アルカネットたちに銃口を向けていた兵士たちも騒然となり、指揮官が悲鳴にも似た声を荒らげて、何やら指示を飛ばしていた。
「……」
ヴィヒトリはあんぐりと口を開けて絶句し、ドグラスは白目をむいて気絶してしまった。
「私にとって、こんな街など関係ないのですよ」
絶対敵に回してはいけない男だと、そうヴィヒトリは自らに言い聞かせていた。
「さあ、行きますよ」
何事もなかったかのように、アルカネットは優しい笑みを浮かべた。
アルカネットがソレル王国で、ちょっとした騒ぎを起こしていた頃、ベルトルドの命によって参集された第二正規部隊、ダエヴァ第二部隊、魔法部隊の一部の軍人たちが、クーシネン街に集結していた。
皇都イララクスのエグザイル・システムがある街だ。
現在ベルトルドの命で、エグザイル・システムは急遽軍が徴集しており、一般人の渡航は禁止されていた。それを知らずに飛んできてしまった一般人は、速やかに建物の外に退去された。
やがて、建物の前に綺麗に並ぶ軍人たちの前に、ブルーベル将軍が現れた。
「総帥閣下の命により、一時的にダエヴァと魔法部隊の皆さんは、ワシの指揮に入ってもらいます。魔法部隊の皆さんは、第二正規部隊に入ってください。アークラ大将が直接指示を出してくれます。ダエヴァの皆さんは、直接ラーシュ=オロフ長官の指示に従っていただきます」
列の先頭に並んで立つアークラ大将とラーシュ=オロフ長官が、敬礼で応じた。
「今回の我らの任務は、ソレル王国首都アルイールの制圧です。王宮、行政施設、司法、軍施設を抑え、抵抗してくるであろうソレル王国兵を相手にします。ですが、くれぐれも、一般民に危害を加えてはいけません。婦女暴行、窃盗などもキツく禁じます。もしそれらが行われていたら、その場で処刑です。抵抗してくる一般民にも危害を加えないように。応対については、アークラ大将とラーシュ=オロフ長官に仰いでください」
皆一斉に敬礼で応じる。それを見て、ブルーベル将軍は頷いた。
「まず、ダエヴァ第二部隊のサイ《超能力》使いの皆さんが、最初にエグザイル・システムであちらに飛びます。恐らく武装した兵士たちが待ち構えていることでしょう。飛んだ瞬間狙われるかもしれませんので、防御を張って飛んでください。安全を確保したら、順次乗り込みますよ」
まさか、アルカネットが暴れた後とは知らないブルーベル将軍たちは、入念に準備をしてソレル王国へと向かった。