片翼の召喚士 ep.42 蠢く遺跡(2)
突然話しかけられふくれっ面のまま顔を向けると、衣服が血まみれの無表情な男がキュッリッキを見おろしていた。顔や頭の血は拭われていたが、白衣にはべっとりと黒々とした血が染み付いていて、その姿にギョッとする。
「私はアルケラ研究機関ケレヴィルの研究員をしている、シ・アティウスという」
差し出されたシ・アティウスの手を握り返し、キュッリッキは僅かに首をかしげた。
(アルケラ研究機関?って、なんだろう…)
不思議そうに見上げてくるキュッリッキを見下ろしながら、シ・アティウスはベルトルドから中継された、ソープワート王国軍を消し去った、凄まじい召喚の光景を思い出していた。
「太古には、この世界に実在していたという神の国アルケラ。突如国ごと姿を消し、今となっては召喚スキル〈才能〉を持つ者だけが、アルケラの実在を確認できるだけにとどまっている。もはや空想世界のことだと思われ伝説化されてるが、アルケラが存在していた形跡がこれら遺跡には遺っていてね。そうしたものを調べることを仕事にしている研究機関のことだ」
キュッリッキの疑問を見透かしたように、シ・アティウスは淡々と説明する。
「アルケラのこと、信じてくれているの?」
ぽつりとした呟きに、シ・アティウスは大きく頷いた。
「もちろん信じているとも。そうでなければケレヴィルなどに、勤めたりはしない」
ちょっと考える素振りを見せたあと、キュッリッキは抱えていた小さなフェンリルを持ち上げて、どこか必死に訴える。
「あのね、あのね、アルケラは、ちゃんとあるんだよ。この子だってアルケラから来たし、小鳥たちもだよ。幻じゃないの、アルケラはあるの」
その様子に、初めてシ・アティウスは相好を崩した。
「もちろん我々も信じて研究をしている。そうでなければ、危険な思いをしてまでこの遺跡を調べに来たりしない」
「うん、そうだよね」
キュッリッキも破顔した。
「この皇国には、召喚スキル〈才能〉を持つ者たちがそこそこ集められている。君は宮廷のどの召喚士たちよりも、強い力を秘めているようだね。正直召喚士がそんなに凄いことができるとは、知らなかったくらいだ」
シ・アティウスの背後にひっそりと控えていた他の研究者たちも、そうだそうだと頷きあっていた。
他の召喚士たちを知らないキュッリッキには、やはり違いがピンとこなかった。自分と同じようにアルケラを視て、住人たちと話ができて、通じ合い、こちらの世界に招き寄せられるものだと思っていたから。
いずれ他の召喚士に、会ってみたくなっていた。
「帰ったらケレヴィルの研究施設で、色々調べさせてもらいたい」
「そしたら、他の召喚士とも会うことができる?」
「ああ、会わせてあげるよ」
「うわあ」
キュッリッキの顔が喜びで輝いた。
喜ぶキュッリッキを見つめながら、シ・アティウスはアルカネットから見せられた、彼女の報告書を思い出していた。
不遇な過去を持つこの少女が、フリーの傭兵に身を落とし、類まれな力を振るっている。宮廷の召喚スキル〈才能〉を持つ者たちに、今すぐ見せつけてやりたい。同じスキル〈才能〉でありながら、雲泥の差があるということを。
「こんな狼っ子調べてたら、噛み付かれちゃいますよ」
キュッリッキの背後から、ザカリーがニヤニヤ顔で話に割って入ってきた。シ・アティウスは小さく首をかしげたが、キュッリッキは殆ど条件反射のように肩を怒らせると、噛み付くような顔でザカリーに振り向いた。
「なによっ!」
「ホラッ」
ザカリーはからかうように、身体をヒョイッと避けてみせる。
(何で話に入ってくるのよ)
キュッリッキは忌々しそうにザカリーを睨みつけた。その目を真っ向から受けて、ザカリーは内心苦笑する。
あの日、キュッリッキの秘密を覗き見したことで、以来話しかけても応じてくれず、声をかければそっぽを向くか、無視をされ続けていた。もちろんザカリーには秘密をバラす気など、そんなつもりは毛頭ない。だが、キュッリッキが自分を信用していないことだけは判っていた。
秘密を見てしまったのだから、それはしょがないと思う気持ちと、そろそろお怒りを解いて欲しいと願う気持ちで板挟みになっている。
可愛い子専を自負するザカリーは、10歳も年下のキュッリッキを、本気で好きになっていた。
背も小さく華奢で、本人は全く自覚していないが美少女である。アジトの近所でもすぐ評判になった。手を出そうとする輩も多い界隈に、ザカリーとしては気が気じゃないのだ。最も、ライオン傭兵団の一員と知って、手を出す強者は居ないが。
あの細っそりした身体を、そっと抱きしめてみたい。柔らかな肌に触れながら、桜貝のような色の唇にキスをしてみたかった。そしていつかは、全てを自分のモノにしたい。
好きだという気持ちを自覚してからは、求める気持ちがどんどん強まっている。笑いかけて欲しくて必死にちょっかいを出すが、なかなか成功しない。こうしてからかったときくらいしか、顔を合わせてくれようともしないので、ザカリーとしてはキュッリッキを怒らせるしか手段がなかった。
一方、キュッリッキはザカリーに話しかけられるたびに、心底ビクビクしていた。アイオン族であること、片翼のことを、みんなにバラされるんじゃないかと。彼は秘密を話すんじゃないか、その不安が態度を頑なにさせている。
ザカリーのことは、好きとか嫌いとかじゃない。ただただ不安で不安で、その存在自体が怖くてたまらない。ヴァルトも秘密を知る者だが、同じ種族で事情も知っていることから、無闇にバラすことはないだろうと思える。
まさかザカリーが自分を本気で好きになっているなど知る由もないので、不安を隠すために、態度が強気になり険悪になる。
ザカリーの乱入のせいで、キュッリッキとの話が中断されたシ・アティウスは、ヤレヤレといった気分で肩をすくませた。その様子を見ていたカーティスは、ザカリーとキュッリッキが揉めているのを見かね、口を挟んだ。
「あんまりキューリさんを、からかわないで下さいよ」
「別にからかっちゃいないよ。だってよ、退屈なんだもん。なあ」
ザカリーは強引にキュッリッキの肩を抱き寄せる。あまりにも素早い行動に、キュッリッキはビックリした顔で、ザカリーの腕の中に抱き寄せられ目を見張った。
(ヤダ…)
足元から嫌悪感が這い上がってきて、吐き気を覚えて顔をしかめる。
「ザカリー、そのくらいにしておいて下さい、嫌がってますよ」
理由は知らないまでも、ザカリーが話しかけるとキュッリッキの態度が意固地になるのは、カーティスにも判っていた。目を合わせようともしないし、話しかけられても無視している。今も、本気で嫌がっているのが、露骨に顔に出ているのだ。
「退屈だしさ、神殿の中で楽しいことしようぜ」
神殿の中、と言われて、キュッリッキの表情が咄嗟に強張る。その様子を怪訝そうに見て、ザカリーは首をかしげると、なにか思い当たったように頷いて頬を掻いた。
「あーなんか、神殿が怖いとか言ってるんだっけか」
「……」
キュッリッキは身を固くしたまま、むっすりと更に黙り込んだ。
「だって、何もなかったんだろ? 例のエグザイル・システムらしきものだけがあったとかでさ」
ザカリーがシ・アティウスに顔を向けると、無言の肯定が返ってきた。
「大丈夫だって。オレが一緒にいてやるからよ」
にやけた笑顔を向けながら言うザカリーの顔を、キュッリッキは力いっぱい引っぱたく。そして腕の中から逃げ出した。
「ザカリーのバカ! 大っ嫌いなんだからっ!!」
我慢の限界をありったけ声に乗せて、吐き出すように叫んだ。空洞の中に轟くような大声に、何事かと皆一斉に2人の方を向く。
叩かれた頬に手をあてながら、さすがにザカリーもムッとして、キュッリッキを睨みつける。これまでの不満が、一気に感情を昂ぶらせた。
「ったく……何なんだよ、いっつもふくれっ面でよ! あのことは別に」
そこまで言いさして、慌てて口を噤むと、内心で舌打ちする。
(やべっ…)
「おい!」
ヴァルトが制止するように声をあげた。
今まで怒っていたキュッリッキの表情が急に怯え出し、大きく見張った目からは大粒の涙が溢れだした。たよりなげな身体を震わせ、ポロポロと落ちた涙がフェンリルの頭で弾ける。
フェンリルはキュッリッキの腕の中で、表情を険しくさせザカリーを睨みつけていた。
「いや……そんなつもりはないから、そのっ」
慌てて取り繕うが、ザカリーは狼狽し、言い訳を必死に考えるが思いつかない。つい口走りそうになったことを激しく後悔した。まさかこんなに泣かれることになるとは、どうしていいか判らなくなった。
2人のやり取りを、みな困惑を浮かべながら見ている。キュッリッキとザカリーがギクシャクしていることは知っていたが、泣かせているところは初めて見る。
キュッリッキは一度しゃくり上げると、踵を返し神殿へと向かって走り出した。
「あ、おい」
ザカリーの手は、キュッリッキの肩を掴み損ねて空ぶった。