片翼の召喚士 ep.49 賑わうイソラの町(3)

chapter-3.混迷の遺跡編
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片翼の召喚士 ep.49 賑わうイソラの町(3)

 晴天に恵まれた湿度の高い朝、天地に鳴り響くほどの獣の咆哮が、静かな町全体を飲み込んだ。

 何事かと町民は起き出し家屋の外に出ると、そこにありえないものを見て仰天した。

 イソラの町の外は、だだっ広い草原と、東に海が見えるだけの静かなところだ。1時間ほど歩けば小さな漁港に出る。それ以外は遠くにナルバ山が見えるくらいで、遮るものは何もない。

 そんな長閑な草原に、天に届くほどの巨大な白銀の狼が佇み、町を睥睨しているのだ。

「ありゃよ……どう見ても行方不明だった、フェンリルじゃね」

 ギャリーは傍らのブルニタルに視線を向ける。

「確かにそうですね。ちょっと大きすぎますが、フェンリルでしょう」

 フェンリルは牙もむいていないし、威嚇もしていなかったが、その冷たいまでの水色の瞳は、ひたとライオン傭兵団のメンバーへ向けられている。

 ランドンはキュッリッキにつきっきり、ルーファスは死んだように眠っており、3人を残して全員外に出ていた。町民たちと同じく、咆哮で起こされたのだ。

「原因は判りませんが、復活してきたんでしょう。しかしキューリさんが臥せっている状態なので、どうしましょうねえ…」

 やや寝ぼけ眼でフェンリルを眺め、カーティスは困ったように首を傾げた。足元に座るヴァルトが大あくびをする。

 遺跡の中でキュッリッキを見つけたとき、フェンリルの姿はなかった。姿を見えなくしているのかと思っていたが、瀕死の状態のキュッリッキを前にしても現れないので、どうしたのかと思っていたのだが。まさか今になって、姿を現したかと思えば、天にも届く大きさである。

「取り敢えず、オレが話に行ってみましょうか? 言葉、通じますよね?」

 メルヴィンが名乗りをあげると、一同揃って首を縦に振った。

「任せましたよ!」

 軽く顎を引いてメルヴィンが一歩踏み出すと、巨大なフェンリルの顔の横に、人影がひらりと舞い降り空中で止まった。

 誰だろうとその人影の姿を凝視して、ライオン傭兵団一同の顔が、血の気がひいていくように恐怖に青冷め始めた。

 距離は離れているが、見間違いようがない。

 綺麗な紫色の髪、柔和な面差し、すらりとした長身の男。

 ベルトルド邸の執事、アルカネットだ。

 ――ついに来た!

 来るのは判っていたが、実際来ると恐ろしい。何故なら、ベルトルドとアルカネットが溺愛しているだろうことが丸判りのキュッリッキを、瀕死の重症状態にしてしまったのである。怪我をさせたのは自分たちではないが、責任の重さは感じている。

 恐怖の説教が飛んでくることを想像して、みんな情けないほど縮こまった。

「ん? おい、ありゃ…」

 ザカリーが驚いて説明すると、カーティスとシビルはギョッと目を剥いた。

 人間を唆した黄金の蛇と、人間が知恵を授かる黄金の林檎が刺繍されたケープ、黒衣の軍服。ハワドウレ皇国特殊部隊の一つである魔法部隊(ビリエル)の軍服を着ているというのだ。魔法部隊(ビリエル)の軍服は、特別なデザインになっていて判りやすい。

 ケープの裏地は深紅、部隊の長官をあらわす色である。遠目からでも黒と赤のコントラストは、はっきりと見えていた。

「な…なんであの方が、魔法部隊(ビリエル)の軍服を着用しているんでしょう」

 カーティスの呟きに、答えられる者はいなかった。

 フェンリルの目線を辿り、そこにライオン傭兵団の姿を確認すると、あの町がイソラだということが判り、アルカネットは小さく頷いた。

「迷わず着けて良かった」

 あそこにキュッリッキがいる。今頃助けを待っているのだと思うと、急いでいきたいところだったが、巨大な狼の姿を見つけて寄り道をした。この世界でこんな巨大な狼など、キュッリッキが相棒だと呼ぶフェンリルしか思いつかないからだ。

 傍らの巨大なフェンリルに顔を向けると、微かに首をかしげる。

「フェンリルですね。このような場所で何故大きくなっているかは判りませんが、こんな姿では町に入れませんよ。これからリッキーさんのところへ参りますから、仔犬の姿になってくださいませんか?」

 フェンリルはちらりとアルカネットを見る。そして唸るように喉を鳴らしたあと、銀色の光に包まれ、徐々に縮小して仔犬の姿になった。

 アルカネットは小さな仔犬姿になったフェンリルのそばに降り立ち、そっと抱き上げる。フェンリルはおとなしくアルカネットの腕に抱かれた。

 フェンリルの足元で待機していたヴィヒトリと、また意識を手放しそうなドグラスを連れて、再びアルカネットは宙を飛んだ。

 ――巨大狼をてなずけるとか、あのひとスゲー!

 一部始終を見ていた一同は、驚きながらも妙に感服してしまった。しかしこちらに飛んでくるアルカネットに気づき、皆背筋を伸ばして一列に並ぶ。

 ライオン傭兵団の列の前に舞い降りると、遠巻きにライオン傭兵団と自分を見つめる町民を一顧だにせず、アルカネットは彼らに柔和な顔を向けた。

「リッキーさんはどこですか? お医者様を連れてきました。案内しなさい」

「は、はいっ」

 アルカネットの背後にヴィヒトリを見つけ、カーティスは僅かに目を見張る。それに対し、ヴィヒトリはニッコリと笑った。

「こちらです」

 カーティスが先頭に立ち、院内へ入っていく。その後に、アルカネットと医師2人が続いた。

 案内される間、アルカネットは一言も発せず、医師を従えて歩いた。表情は穏やかで威圧する雰囲気もなにもなかったが、黙っていること、それだけで十分威圧的なのだ。無言の圧力を背中越しに受けながら、カーティスは心の中で大量の汗を流し続けた。

 処置室に入ると、ひとり黙々と魔法をかけ続けるランドンに、アルカネットは労いの言葉をかけた。

「ご苦労様でしたランドン。あとは私が引き継ぎます。ゆっくり休みなさい」

「アルカネットさん…」

 目の下に隈を浮かべたランドンは、振り向いて小さく頷いた。

 長時間かざしていた手を引っ込めると、ふらつきながらベッドの傍らを離れた。その身体をカーティスが抱き止め支える。

 アルカネットは抱いていたフェンリルを、キュッリッキの枕元に放してやった。

 フェンリルは小さく悲しげに鳴くと、意識を失っているキュッリッキの頬に、何度も何度も顔を擦り付けた。

 愛しい少女の目を背けたくなるほどの酷い(むごい)傷を見て、アルカネットは沈痛な面持ちで顎を引いた。

 右の肩から胸のあたりまでの肉が、ごっそり抉りとられ骨が見えている。膨らみこそ小さいその乳房も、上半分が無残に削り取られていた。

 これだけの深い傷を負って事切れなかったのは、奇跡であり幸運といってよかった。それに、ランドンが長い時間回復魔法をかけ続けていたのが幸いしているようだ。傷口は綺麗なままに保たれている。

「どれほど怖い思いをしたのでしょう…。さぞ痛かったでしょうに」

 透視することはできないが、これだけの傷を見ればある程度想像はつく。

 血の気がひいて真っ白なほどに白くなったキュッリッキの頬にそっと触れ、次いで傷口に触れる。すると痛むのか、意識のないキュッリッキが小さく呻いた。

 その様を見て、アルカネットは身震いした。そして何かを堪えるように手を握ると、背後に控える医師を振り返る。

「早急に治療を始めてください。けっして、死なせてはいけませんよ」