片翼の召喚士 ep.26 ベルトルドからの依頼(6)
キュッリッキ、ベルトルド、アルカネットの3人の様子を、離れた位置から見ていたルーファスは、カーティスに小声で話しかける。
「あの通行証…、見せれば即パスの特別製だよね。皇王様のサイン入りの」
「ですねえ。貴族や高官専用のですよ。我々の通行証よりも、セキュリティ度が高いものです」
カーティスとルーファスは、ヒソヒソと小声で確認し合った。
ハーメンリンナに入るための通行証には、いくつかの種類がある。キュッリッキが渡されたものには、皇王のサインが入っている。本来上流貴族の中でも特権中の特権を持つ一部の貴族と、宰相や副宰相などの地位にある者しか携帯を許されない、最高ランクの通行証だ。
「キューリちゃんへの愛情を感じる」
「深いですねえ。可哀想に…」
渡された通行証がそんな凄いものとは、キュッリッキは当然知らないことだろう。
「ですが、本当なら、キューリさんは傭兵などしなくてもいい身分だったはずです」
「だよね。事情は判んないけど、召喚スキル〈才能〉を持ってるのに、なんで放置されてたんだろう」
召喚スキル〈才能〉を授かった子供は、生国が家族ごと召し上げ、一生安全で裕福な暮らしを約束される。危険と隣り合わせの傭兵など、しなくてもいい身分なのだ。
ライオン傭兵団でも、そのことが引っかかって、当初仲間たちで議論された。
召喚スキル〈才能〉を持つ少女を、傭兵として扱っていいものだろうかと。そのことが国にバレた時、何も問題は起こらないか、などだ。
「ベルトルド卿自らスカウトしてきたのだから、彼女の背景事情も全て判っているはずです。それであえて傭兵として扱うのであれば、我々が心配することはないと思っていますが」
「万が一の時は、ベルトルド様に丸なげでいいよね~」
「です」
召喚スキル〈才能〉を持つ者は、国の保護のもと市井に出てくることはない。珍しいケースではあるが、キュッリッキの存在は貴重だ。問題ごとにならない限り、その力は存分に振るってもらうまでだ。
「さて、もういい時間です。帰らないと」
「ンだね。――キューリちゃん、そろそろ帰ろう~」
「はーい」
ルーファスに呼ばれて、キュッリッキは笑顔で返事をした。
「もう帰るのか、寂しいな」
「また遊びに来るよ。通行証も作ってもらったし」
「うう…リッキー、本当に本当に、良い子だ!!」
ベルトルドはガバッとキュッリッキを抱きしめ、これでもかと頬ずりした。
「まったく手が早いんですから! お放しなさい!!」
アルカネットはベルトルドの首を両手で掴むと、殺す勢いで絞め上げた。
されるがままのキュッリッキは、どうしていいか判らず、口の端を引きつらせていた。
帰りはゴンドラではなく、地下へ案内された。
「もう少ししたら、門の近くまでの定期便が来るでしょう」
「ありがとうございます、アルカネットさん」
カーティスとルーファスが、アルカネットに丁寧に頭を下げる。
「それではリッキーさん、また会いましょうね」
「お土産ありがとう」
アルカネットはニッコリ微笑むと、キュッリッキの柔らかな頬にキスをした。
「こらー! アルカネット!!」
ベルトルドが後ろで喚くが、アルカネットは涼しい顔でフッと鼻の先で笑うだけだった。
「い、行こうか、キューリちゃん」
「うん」
ルーファスに手を引かれ、キュッリッキはベルトルドとアルカネットに、もう片方の手を振った。
「またね~」
まるで今生の別れのような顔をするベルトルドと、優しい微笑みを称えるアルカネットに見送られ、3人は帰路に着いた。
「ハーメンリンナの地下って、凄いんだねえ~」
地下は大きな通路が走っていて、天井もとても高くて圧迫感がない。天井も壁も真っ白で、壁と天井の一部が明るい光を放っている。床には毛足の短い絨毯が敷き詰められて、外と全く変わらない明るさに満ちていた。
「地下は全部こんな感じなの?」
「そうだよ~。迷わないように標識もあるし、換気もきちんとされてるから、空気がこもったりせず、臭もしないでしょ」
「うん」
「地上が歩けずゴンドラなもんだから、こうして地下は徒歩で移動できる通路と、乗り物で移動できる通路の、二重構造なんだよ」
「そうなんだあ」
地上を滑るゴンドラには、着飾った貴婦人や、身なりのいい紳士しか見なかった。しかし地下の通路では、軍服を着た人々と多くすれ違う。
「こっちだよ、キューリちゃん」
すれ違う人々も珍しげに見ていたキュッリッキを、ルーファスが苦笑気味に手を引っ張る。
3人は更に地下に降りる。そしてそこも、上の地下通路と変わりなく明るく、床だけは絨毯が敷かれていない、剥き出しの白い床だった。
軍服を着た人たちが列を作っている最後尾に3人は立つ。
「これから、凄く珍しい乗り物に乗るよ」
ルーファスが意味深にウィンクすると、キュッリッキは何だろうと目を瞬かせた。
並んで待つこと数分、突然箱のようなものが、風をまとって静かに現れた。
「!?」
キュッリッキはビックリして箱を凝視する。
「さあさあ、乗りますよ」
カーティスに笑い含みに促され、手を引かれるままキュッリッキは箱に乗り込んだ。
最後にキュッリッキが箱に入ると、箱のドアが勝手に閉まった。
「きゃっ」
キュッリッキはルーファスにしがみついて、ひとりでに閉じたドアを、訝しげに見る。
汽車のような形をしているが、先頭がまろやかな楕円形を描いており、床にはレールのようなものは通っていない。なのに、床の上を馬が滑走するくらいのスピードで走り始めた。
おっかなびっくりな態度を隠しもしないキュッリッキに、カーティスとルーファスは必死に笑いをこらえていた。
車内は少しも揺れないし、音も静かだ。乗客たちの談笑する声くらいしか、気にならないほどに。
「ねえルーさん、これなんなの?」
ルーファスにしがみついたまま、キュッリッキは僅かに身体を震わせた。
「ははっ、そんなに怖がらなくていいよ」
「これはリニアと呼ばれる車輛です。地上を滑るゴンドラと、似たようなシステムで動いているそうですよ」
「リ…ニア?」
「ここハーメンリンナはとても広いですから、あちこち移動するためにはとても時間がかかります。なので、徒歩移動できる地下通路と、リニアの走る地下、そして馬車なども乗り入れ出来る地下通路があります」
そうカーティスに説明されても、キュッリッキにはチンプンカンプンだ。
「世界中のドコを探しても、タブン、こんな凄いモノはハーメンリンナにしかないと思うよ~」
「そうですねえ。電力といったものは、我々の生活圏にはあまり馴染みのないものですが、ハーメンリンナには当たり前のようにあるんですよ。地下通路を照らす明かりも、空気の喚起も、こうしたリニアも。車内、明るいでしょう。これも電力によるものなんです」
「……ほにゃ」
皇都イララクスの公共施設や、街の一部などには、電力は供給されている。しかし、一般家庭などには、全く無縁のものだ。
「超古代文明の遺産や何やらを、機械工学スキル〈才能〉を持った人たちが、解明して復元したり応用したりして、利用されてるんだよ」
「ふ、ふむり」
二人に説明されても、キュッリッキの脳内では処理しきれない。表情にありのまま現れているものだから、ルーファスはおかしそうに微笑んだ。
「まあ、ハーメンリンナだけは、別世界、そう覚えておけばいいさ」
(確かに、別世界かも……)
今度は何が起こるか判らず、キュッリッキはルーファスにしっかりとしがみついて、不安げな視線を辺りに投げかける。
(今日は、いっぱい色んなことがあったかも)
今まで城壁しか見上げたことがないハーメンリンナに初めて入り、巨大な湖のような地面に、水の上じゃない上を走るゴンドラに乗り、見たこともないような珍しい建物を多く目にした。
高い城壁の中は暗いと思っていたのに、とても明るくて、でも眩しくはなく、温度も普通で快適だった。
訪れたベルトルドの屋敷はとても大きくて、まるで宮殿のような印象を持った。
ベルトルドもアルカネットも、年齢の割に若々しい外見で、それに何だか面白い人たちだ。
そして、今はリニアと呼ばれる不思議な箱に乗っている。
(色んなことありすぎて、疲れちゃったな…)
気持ちのいい眠気が、じんわりと身体の奥底から浮き上がってきて、キュッリッキはウトウトとし始めると、ズルリと座り込みそうになった。
「おっと」
気づいたルーファスが、慌てて抱きとめた。
「眠っちゃったな、キューリちゃん」
「私がおんぶしましょうか」
「いや、オレが抱っこしていくよ」
「そうですか」
「キューリちゃん、すっごく軽いな」
お姫様抱っこをすると、ルーファスはびっくりしたようにキュッリッキを見た。
「今日は色々あって、疲れたんでしょうね」
落ちた紙袋を拾い、心配そうに見上げているフェンリルを抱き上げる。そして、キュッリッキの腕の中に置いた。赤い小鳥はカーティスの肩の上に飛び移った。
「夕飯前ですし、帰ったら起こしてあげましょう」
「だね」