片翼の召喚士 ep.22 ベルトルドからの依頼(2)
暗いアーチ状の通路を通り、出口に差し掛かった頃、一瞬の眩しさに手をかざす。
「うわあ…」
ルーファスに手を引かれたキュッリッキは、目の前に広がる光景に目を見開いた。
「すごーい、すごーい! ねえねえ、これは湖? キラキラしてるの!」
「いやいや、水じゃなく、ちゃんとした地面なんだよ」
ルーファスにそう言われて、キュッリッキは改めて目を凝らす。
目の前にはまるで、大きな湖が広がっているようにしか見えない。水のような光沢と輝きを放った、不思議な地面だった。
水のような地面に立ってみせて、カーティスはキュッリッキに笑いかけた。
「水ではなく、ちゃんと地面です。濡れてもいませんよ」
両手を広げておどけてみせる。
ルーファスの腕からそっと離れると、小走りに駆けていって、軽くジャンプして煌く地面を踏みしめてみる。靴底から伝わって来るのは、硬い石の感触だった。
「うわあ、ホントだね~」
ハーメンリンナに入った途端、いつになくキュッリッキは無邪気にはしゃいでいた。疲れなど、いっぺんに吹き飛んでしまったようだ。
あまりにも素直すぎるその反応を見て、二人は顔を見合わせ笑みを浮かべた。かつて自分たちも初めてハーメンリンナを訪れたとき、似たような感想を持って、恐る恐る地面を踏んでみたものだった。
幼い子供のようにはしゃぐキュッリッキを微笑ましく見つめながら、ルーファスはカーティスを見る。
「それにしてもさあ、遅くね?」
「遅いですねえ…。渋滞でもしているんでしょうか、鈍速のくせに」
待ちくたびれたように、ルーファスとカーティスはひたすら東のほうを見つめていた。キュッリッキもつられて東に視線を向けたが、光る地面が煌めいているだけだ。
二人が何を待っているかは判らないが、キュッリッキは早くこの中を探検してみたくてしょうがなかった。
城壁の外側は、キュッリッキには見慣れた街並み。しかし壁を隔てたその中には、不思議な光景が広がっている。
うんと高い壁の内側には、そのぶんだけ大きな影が出来てさぞ暗いだろう、といつも思っていた。しかし外側の街よりも、ずっとずっと明るいのだ。
城壁の内側の壁は、光を弾いて真っ白に光っている。鏡が照り返すよりも、ずっと柔らかい光だった。だから目が痛くなるような眩しさは感じない。その柔らかく明るい光が、城壁の中全体を照らしているので、全然暗くなかった。地面はその光を受けて、煌く水面のような景色を生み出していた。
キュッリッキの立っている位置からは、光る地面以外は、街らしきものは見えない。だだっ広い湖のような広場だけだ。ただ遠方に蜃気楼のような、何かの影のようなものが浮かんで見えていた。
いよいよ退屈な空気が漂い始めた3人のそばに、突如として一隻の無人のゴンドラが、音もなく到着した。
「ああ、ようやくベルトルド卿のゴンドラが迎えにきましたよ。さあさ、これに乗っていきます」
まだ光る地面に関心を寄せているキュッリッキの手をひいて、ルーファスとカーティスはゴンドラに乗り込んだ。
「何もしてないのに、ゴンドラが勝手に地面を滑ってるの。不思議…」
船上で動き回っても、ピクリとも揺れないゴンドラのヘリにつかまって、キュッリッキは顔を突き出して、地面を覗き込んだ。
光る地面は青みを帯びた黒色をしていて、光を弾いて煌く素材が石に含まれているという。その上を、艶やかな白で塗装されたゴンドラが、音も立てず滑るようにして、緩やかに進んでいた。
本来水の上を滑る小船なのに、何故街の中を動いているのだろう。キュッリッキは不思議でならなかった。それに、水の上を進む船よりも、安定していて揺れないのだ。
「詳しい仕組みは知らないんですが、磁力を応用して動かしているそうですよ、これ」
これ、と言ってカーティスはゴンドラを指した。
「この地面にも、磁力があるとかどうとか。まあ、人工的に作られた素材らしいんですけどね」
「そうなんだ…」
説明されても、キュッリッキにも判らなかった。磁石くらいは知っているが、それをどういう風に応用しているかまで、さっぱり思いつかない。
「ハワドウレ皇国は、色々な分野の研究が大好きな国ですしね。イルマタル帝国やロフレス王国よりも、ずっと科学の面では大進歩していると、ヴィプネン族は自負しているようです」
まるで他人事のような言い方に、ルーファスが面白そうに笑う。
「オレたちも、ヴィプネン族じゃん」
「まあ。ただそう考えるヴィプネン族は、このハーメンリンナに住んでる人々だけですけど」
「んだねー。ヴィプネン族って、種族的になんも特徴ないし。知恵だけでも種族としての、先をいきたいんだろうさ」
ルーファスは小馬鹿にするように、笑い飛ばした。
「アイオン族は空を翔ける翼があって、容姿端麗でスキル〈才能〉もある。トゥーリ族は人間と動物二つの能力を有していて、更にスキル〈才能〉もある。ヴィプネン族はスキル〈才能〉だけ。だから二つの種族に負けないよう、あらゆる研究をすることにだけは旺盛なんだ」
若干侮蔑を込めた視線で、すれ違うほかのゴンドラをみやった。進むにつれて、すれ違うゴンドラの数も増えてくる。
「ハーメンリンナのお高くとまった連中は、城壁の外の世界を知らないし、知ろうともしない。つまんない奴らさ~」
時折すれ違うゴンドラには、立派な身なりの紳士や、着飾った美しい貴婦人たちが乗っている。貴族や上流階級の人々なのだろう。ゆっくりと進むゴンドラの上で、優雅に周りの景色に溶け込んでいた。
物珍しそうに見ていたキュッリッキは、小さく首をかしげてルーファスを見る。
「ルーさんは、ここの人たちが嫌いなの?」
「うん、反吐が出るほど、大嫌いさっ」
あぐらをかいた脚の上に肘をついて、嫌そうに吐き捨てた。
「ふーん、そうなんだ…」
「でも」
「でも?」
「巨乳のねーちゃんたちは大好きだ」
ニシシッと笑うルーファスを見て、キュッリッキは口の端を露骨に引き攣らせた。
自分は大の巨乳好きだ! と、この間言われたことを思い出し、キュッリッキは自然と自分の胸元に視線を向けて、ひっそりとため息をついた。どんなに食べても太らない体質は、胸のほうにも均等に肉が回らないらしい。
実は、とてもとても巨乳に憧れている。必死に胸周りの肉をかき集めて寄せてみるが、かき集めるほどの贅肉がないため、無駄な努力に終わっていた。
ゴンドラは緩やかな速度で迷いなく進み、北の区画へ進路をとった。
大規模な城壁の中の街ハーメンリンナは、中央に広大な敷地を有する宮殿と、その四方に区画を分けられていた。
東は貴族達が暮らす屋敷が建ち、西は資産家たちの住まいや高級店が並び、南は軍事に関する施設があり、北は政治や研究に関する施設があった。それらの一区は大きな島のように見え、区画間には広大な河のような道路が伸び、その上をゴンドラが優雅に滑っている。
そのスピードは鈍速、成人男性の普通に歩く速度よりも遅い。
門から延々1時間近くは、ゴンドラに揺られている。全てが物珍しいキュッリッキにとっては、風景を楽しんだり、すれ違うゴンドラに乗る人々を見たりと楽しい時間だった。しかしカーティスとルーファスは、最初の10分ほどは会話も弾んでいたが、今では黙り込み、うんざりした表情(かお)をしていた。
「オレいつも思うんだ……、自分で走ったほうが、絶対早い」
「同感ですね」
向き合うように座っているカーティスとルーファスの真ん中に座して、へりにしがみつきながら景色を楽しんでいたキュッリッキは、ふと、あることに気づいてルーファスに顔を向けた。
「そいえば、誰も歩いてないのね。みんな船に乗ってるよ?」
「徒歩禁止なんだよ、ここ」
「えっ!?」
河のような道路を見渡すと、確かに歩行者用の歩道が見当たらなかった。
「自分の足で歩くのも、走るのもダメ、当然転がるのもダメだな」
「生き物は全部ダメですね」
「えええ…」
なにそのヘンな決まり、といった表情(かお)をするキュッリッキに、ルーファスは同意するような笑みを浮かべた。
「ちなみにヴァルトに言わせると、『潔癖症の道路』だそうだ」
思わずキュッリッキは吹き出した。
「ピッタリな表現だね」
「全くだな」
退屈なゴンドラに、しばし笑いが満ちた。
区画の中にある道路にゴンドラが乗り入れると、周りの景色が様々に変わってきた。
城壁の外では見たこともない、大きくて変わった形の建物がたくさんあり、キュッリッキは指をさして二人に質問を投げかける。
「あれは研究施設だね。もう北区に入ったから、研究施設が多くあるよ」
答えてやりながらルーファスが説明すると、キュッリッキは嬉しそうに目を輝かせて、何の研究をしているのか、人が歩いてるのが見えたなど言って、楽しそうにはしゃいでいた。笑顔から光の粒子が零れているように見える。
(こういうとこ、やっぱ女の子だよね。可愛いな)
ルーファスは念話でカーティスに話しかけると、カーティスも微笑を浮かべて頷いた。
(ここ数日、ザカリーとなんだかギクシャクしているように見えるので、心配していたんですよ。元気もなかったですし)
(だよねー。アイツに聞いたら、別になんもナイとしか言わないし。キューリちゃん、明らかに避けてる感じだしさあ)
(ふむう。…着替えでも覗いたんでしょうか)
(あー! ありえるかも!)
(帰ったら説教ですね……)
(あはは、こってり絞ってやって)
やがてゴンドラは数々の屋敷の門の前を通り過ぎ、北の最奥にある一際大きな屋敷の前に停まった。
「やあっと着いた!」