片翼の召喚士 ep.20 キャラウェイの野望・後編
政治に携わる人間にとって、スキャンダルは命取りである。まして、他人の妻と浮気をしているのだから、倫理観を問われかねない。
ベルトルドは独身だが、相手が結婚している事実を知っていて、情事に及んでいるのだから、これは姦通罪だろう。軍で盛大に裁ける。
ところが。
(……何故に、陛下はきゃつを咎めないんだ…)
キャラウェイ将軍がまとめた書類には、ベルトルドがこれまで手を出してきた姦通相手の詳細と証言、証拠写真を添えている。内容は捏造ではなく、事実なのだ。
今回はとくにサイヨンマー伯爵夫人の協力を得ているし、大胆な写真も提供してもらっている。
皇王の許可が得られれば、即刻裁判を開いて、ベルトルドを要職から排除できるというのに。
跪いたまま頭の中をグルグルさせているキャラウェイ将軍に、皇王は苦笑を投げかけた。
「キャラウェイよ、はっきり言うとな、ベルトルドの浮気は”いまさら”じゃ」
「……はっ?」
「ベルトルドをこんな立派な女好きにしたのも、全ては社交界のメス豚共じゃよ。学生の頃からベッドに引きずり込んで、女の味を覚えさせて、甘やかしたものだから、浮気もなにも、こやつには”アタリマエ”になっておるんじゃ」
「フッ、テクニックも年々磨かれていったからな」
ドヤ顔でベルトルドは笑う。
「誰も褒めとりゃせん」
皇王は溜め息を吐き出しながら、ヤレヤレと首を振る。
「本題に入る。キャラウェイ、お前が必死に奔走していたのは、ワシも知っておる。ブルーベルを蹴落とし、仲間を作り、マルックを抱き込み、サイヨンマー伯夫人に協力を取り付け、ベルトルドを排除しようとしたことも。そして、総帥の地位を欲していることもじゃ」
キャラウェイ将軍の身体が硬直した。
「お前が悪巧みをしていることをマルックから聞かされておったでな、ブルーベルには申し訳ないが、お前の尻尾を掴むまで、わざと罷免したのじゃ」
「ほほう?」
皇王の横で腕を組んで立っていたベルトルドは、意外そうな表情を浮かべて、皇王を見下ろした。
「ブルーベルが罷免されれば、ベルトルドが乗り込んでくるのは計算済みじゃ。当然、お前も乗り込んでくるじゃろう」
キャラウェイ将軍の顔が、スーッと青ざめていく。
「マルックがお前の味方についたのも、サイヨンマー伯夫人が協力に応じたのも、ワシの命令じゃ」
フフッと皇王は笑うと、厳しい目をキャラウェイ将軍に向けた。
「夢や野望を悪いとは思わぬ。生きる原動力にもなるし、目標にもなる。じゃがの、お前は姑息にやり過ぎた。ブルーベルは才覚と実力を兼ね備え、人柄も申し分ない。ベルトルドは女好きの甘ったれじゃが、もっと若い頃からハワドウレ皇国を支えるほどの逸材。この二人を蹴落として、お前を重用したところで、損失の大きさは計り知れないのじゃ」
目の前が暗転しそうなほど、キャラウェイ将軍は意識が遠のき始めていた。
「キャラウェイ、ワシのスキル〈才能〉を知っておるか?」
問われても、もうキャラウェイ将軍に返事をする気力はない。
「サイ《超能力》じゃ。透視というのができるでな、お前の頭を覗かせてもらったぞ」
丸見えだ。
「世界征服などと、大きすぎる夢は、もう見てはならぬぞ」
「世界征服だとう!?」
ベルトルドは素っ頓狂な声を上げた。と同時に、侮蔑も顕にキャラウェイ将軍を見据える。
「陳腐すぎて恥ずかしい夢だな。恥ずかしすぎて表を歩けないような夢だぞ貴様!」
「なっ、なんだと小僧!!」
これにはさすがに、キャラウェイ将軍は立ち直った。幼い頃からいだき続けた、純粋な夢だからだ。それを侮辱されて、黙っているわけにはいかない。
青ざめていた顔が一気に赤く染まると、今にも蒸気が噴出しそうな勢いで、キャラウェイ将軍は立ち上がった。
「世界征服のどこが悪い! どこが恥ずかしいんだ!! 男なら一度は見る至高の夢である!」
一歩踏み出し断言するキャラウェイ将軍に、ベルトルドは軽蔑の眼差しを向けた。
「ならば聞く。仮に世界征服が成され、そのあとどうする?」
「は?」
「3惑星全てが貴様のものとなった。世界は貴様を王と仰ぎ見る。さあ、そうして世界をどこへ導く?」
口をパクッと閉じて、キャラウェイ将軍は目を瞬かせた。
「おそらく世界は類を見ないほど、徹底的に破壊されただろう。焦土と化した大地には廃墟と土くれだけが残され、生き残った人々には衣食住の保証もない。国自体が無くなっているのだから、この先どう生きていくか見当もつかん。希望も見いだせない。戦禍で優秀な人材は損なわれ、それでも国を基礎から作り直さなくてはならない。さあ、貴様はどう立て直していく?」
ベルトルドの顔を見つめながら、それでもキャラウェイ将軍は口を開くことができずにいる。
征服したあとのことなど、考えたこともないからだ。
「俺はな、このボケジジイにあらゆる権限を押し付けられ、毎日仕事が山のように押し寄せてくる。本来なら、こんなところで年寄りどものくだらない攻防を見学している暇などないのだ。俺が仕事を遅らせれば、結果的にそのしわ寄せを喰らうのは国民だからな」
ブルーグレーの瞳が、鋭い光を放つ。そして、射抜くようにしてキャラウェイ将軍の目を見つめた。
「民なくして国は成り立たん。俺らのような偉そうな地位にいる者は、民の代理に過ぎん。暮らしを良くするため、安全で安心な環境を保証してもらうため、それを効率的にできる人間に任せているんだ。男だから、とか、女だから、なんぞ、まったくもって関係ない! 仕事がきっちりこなせて、責任をしっかり取れる者が、その地位に就けばいいだけの話だ。小者のロマンスなんぞが、民を足蹴にしていい道理があるか、馬鹿者!」
一括され、キャラウェイ将軍はひっくり返った。
「ワイズキュール家が千年前に種族統一国家を作った。しかし、長い年月の間に少しずつ離反するものが現れ、小国が興った。人の数だけ思想も理想も夢もあるだろう。まつろわない人々を無理に繋いだところで、無用な騒乱を招くだけだ。――現在この惑星ヒイシには、ハワドウレ皇国と17の小国、5つの自由都市がある。千年の間にこうなった。判るか? 世界征服なぞしたところで、結局は元に戻るんだ」
ベルトルドはキャラウェイ将軍の前まで来ると、冷たい目で見下ろした。
「そんなに征服したかったら、囚人たちの中で、くだらない王でも気取るがいい!」
口から泡を噴き、キャラウェイ将軍は気絶してしまった。
「気絶させてどうするんじゃ」
「コイツが勝手に気絶しただけだ、俺のせいじゃない」
玉座から溜め息混じりに文句を言われ、ベルトルドは拗ねたように皇王を振り向く。
「まあ、国政を担っている者だからこその発言だったのう」
「そうだな、世界征服などという恥ずかしい夢を語る愚か者には、毎日あの山積みの書類を決裁させればいいんだ。そうすれば、いち部署の主任にすら、なりたがらないだろう。俺が保証する」
ベルトルドが大量の仕事を毎日こなしているか、皇王もよく知っている。ミスもなく、しかも早い。アレよコレよと仕事を押し付けてきたが、まったく根をあげないのだ。それで調子に乗って仕事を増やしてきたが、今回も新たに押し付けようと企んでいた。
「さて、お前にも本題じゃ」
「浮気の説教は聞かん!」
「……そうじゃないわい」
「ならいいが。それに俺は、もう宮中のメス豚どもを相手にする気はないからな」
「ほほう?」
「俺だけの、愛らしい花を見つけたんだ」
急にベルトルドの表情(かお)が優しく和み、皇王は目を丸くした。あんな表情など初めて見るからだ。
愛らしい花とやらを思い浮かべているのか、愛おしげに柔らかで、女が見たらうっとりと気を失いかねない、最高に優しい笑顔だった。もとより端整で美しい顔立ちなだけに、より一層輝く。
普段やんちゃなベルトルドに、あんな表情をさせる女性とは、どんな美女だろうと、皇王は興味を覚えた。
「脱線してしもうたわい。――おい、大至急ここにブルーベルを呼ぶのじゃ」
侍従に命じると、侍従は急いで謁見の間をあとにした。
20分後、謁見の間にブルーベル元将軍が到着した。
「至急にとのお召に、参上いたしました、陛下」
そう言って、ブルーベル元将軍は大きな体躯を優雅に折って跪いた。
「……おや」
気絶したまま転がっているキャラウェイ将軍に気づき、ブルーベル元将軍はつぶらな瞳を瞬かせた。
「それは暫く放置で構わん。実はの、そなたを不当な理由で罷免してしまったが、疑いを晴らし、再び将軍職に戻したいと思う。引き受けてくれるかな?」
ブルーベル将軍は、恭しく頭を下げた。
「ありがたき御言葉。このブルーベル、終生この国に仕え、陛下と民をお守り申し上げます」
「感謝するぞ」
「理由は聞かなくてもいいのか? ブルーベル将軍」
小さく首を傾げたベルトルドに、目を細めてブルーベル将軍は頷いた。
「大体は、このキャラウェイを見て察しがつきました。陛下が疑いを晴らしてくださるとのことなら、それ以上の理由は要りませぬ」
「なるほどな」
「お前の復職は、このベルトルドの手柄でもある。感謝はベルトルドにするがよい」
「左様でございますか。副宰相閣下にも、御礼申し上げます」
「俺は特に、何もしていないんだがな。まあ、ブルーベル将軍が戻ってありがたい」
「これで軍の綱紀も改まる。そこでベルトルドや、お前に最大級のご褒美をあげようと思うんじゃがの」
「ご褒美?」
何だか嫌な予感がして、ベルトルドは眉を寄せた。そしてその予感は、物の見事的中するのである。
ベルトルドが戻ってきたら決裁しやすいようにと、リュリュは書類を丁寧に仕分けていた。その様子を、デスクの隅に置かれたカゴの中からジッと見つめ、オデットは小さな欠伸をする。そんな穏やかな時間を突き破るかのように、扉の開く音がして、ムスっと両頬を膨らませたベルトルドが帰ってきた。
ベルトルドのご機嫌ナナメな顔を見て、リュリュは目をパチクリとさせる。
「おかえり、ベル。どうだったのん?」
ベルトルドは無言でデスクに戻り、勢いをつけてチェアに座る。そして腕を組んで、更に両頬をいっそう膨らませた。
「ンもう、ふくれっ面しててもしょうがないでしょっ。洗いざらい白状なさい」
両手を腰に当て、くねっとポーズを取ると、リュリュはベルトルドを叱りつけるように見下ろした。
ベルトルドは両頬の膨らみを収めると、拗ねた目でリュリュを見上げる。
「キャラウェイは悪事がバレて、逮捕された」
「あら良かったわあ。ブルーベル将軍、元の鞘に戻ったみたいね」
「うん」
「じゃああーた、なんでそんなご機嫌ナナメなのヨ?」
これには口をへの字に曲げて、眉を寄せた。
「あのクソボケナスジジイめ、今回のこと、ず~~~~っと前から周到に準備してやがった」
「え?」
「昼行灯のボケのくせに、悪知恵ばっかり働かせてないで、仕事しろ仕事!」
今は怒り心頭状態なので、多少鎮火するまでリュリュは待って、改めて質問する。
キャラウェイの暗躍は、数年前から皇王の耳に入っていた。しかし巧みに尻尾を隠し通していて、中々掴ませてもらえない。まさか、透視して知ったから逮捕する、というわけにもいかず、チャンスを待っていた。
そんな時、ブルーベル将軍が罠に嵌められる事態となり、これは好機と、キャラウェイの悪巧みに知らずに乗せられたと思わせる。ブルーベル将軍が罷免されたのを聞けば、絶対怒って乗り込んでくるベルトルドを利用することで、キャラウェイの悪事を暴き、逮捕に漕ぎ着けたのだった。
そこまでは、別に怒ることでもなかったのだが、このことで皇王はご褒美と称し、
「この俺に軍総帥の地位を押し付けやがったっ!!」
右の拳をドンッとデスクに打ち付け、ベルトルドはリュリュに噛み付く勢いで怒鳴った。
暫く目を瞬かせていたリュリュは、ぷっと吹き出す。
「それってあーた、キャラウェイをダシにして、総帥を押し付けるのが主目的だったんじゃないのっ」
「ぐぎぎぎぎ…」
副宰相の地位にいるベルトルドには、目立って功績なり武勲を立てる機会がない。確かに仕事の面では舌を巻く優秀さだが、総帥の地位を下賜するとなると、イマイチ説得力に欠ける。
だが今回の件は、ブルーベル将軍が罠に嵌められ、罷免されるという事態を引き起こした。これは軍部を心胆寒からしめる大事件だった。この窮地を救い、ブルーベル将軍を再び将軍職に戻した功績は、総帥の地位を下賜するにはちょうどいいのだ。
「さすが、ご寵愛を一身に受けているわねん」
「あんなジジイのご寵愛なんぞ、気色悪くていらんわ! まったく、仕事が増えるだけじゃないか」
そう、仕事は今よりも倍増えるだろう。でも、とリュリュは思う。
(ベルなら、問題なくこなせちゃうでしょうね。むしろ国政と軍を掌握していれば、色々やりやすいでしょうし。もっとも、アタシも忙しくなっちゃうわ)
ベルトルドは肘掛に片肘ついて、もう片方の手にオデットを持って、指でモフモフしている。オデットはヒゲをそよがせて、気持ちよさそうだった。
暫くして下士官が一通の書類を執務室に持ってきて、リュリュに手渡し出て行った。
書類には、キャラウェイの将軍職剥奪、逮捕投獄、ブルーベル将軍の復帰、そして、ベルトルドが軍総帥の地位を近日中に正式に引き継ぐ旨が記されていた。