片翼の召喚士 ep.9 歓迎会(1)
「リッキーいるのかー? リッキー」
ドンドンドン。ドアの叩く音で、キュッリッキは薄らと目を覚ました。
「う……ん…」
両手で目をゴシゴシ擦り、時計に目を向けると、針は正午を指し示していた。もう一度ドンドンドンとドアを叩く音がして、何だろうと身を起こす。
「リッキー」
「あ、ハドリーだ」
はっきりと目が覚めて、キュッリッキはベッドから飛び降りると、小走りに駆け寄って玄関ドアを開けた。
「おはよー、ハドリー」
「やっと起きたか」
髭面を呆れさせていた男――ハドリーは、やれやれと苦笑した。
「朝方帰ってきてたが、仕事だったのか」
「うん」
「じゃあ何も食ってないだろ? 今から昼飯食べに行くんだが、一緒に行くか?」
「行く行く! 顔洗って着替えるから、下で待ってて」
「オッケイ」
ドアを閉めると、キュッリッキは寝間着かわりのシャツを脱いで、ベッドに放り投げた。
「お待たせー」
10分ほどで身支度を整え下に降りると、ハドリーが待っていた。
「港んとこの《うみぶた亭》へ行こうぜ」
「うん、そうしよう」
魚介類をメインにした、シーフード料理の専門店だ。港から直接素材を買い付けているので、安くて新鮮で、2人のお気に入りの店でもある。
「何の仕事だったんだ? えらく半端な時間に帰ってきて」
「うーんと、仕事兼入団テストだったの」
「へ?」
「最初から話すと、アタシね、ライオン傭兵団にスカウトされちゃった」
暫し間を置いたあと、
「はあああああああああああああっ!?」
周囲に轟くほどの大声を上げて、ハドリーはキュッリッキを凝視した。
「ライオン傭兵団からお声がかかったのかよ、すっげー」
「うんむ」
ハドリーはキュッリッキより5つ年上で、同じくフリーの傭兵だ。傭兵ギルドに登録はしているが、傭兵団などには属さず、気楽にフリーを続けている。それでも、入りたい、もしくは共闘したい筆頭に、ライオン傭兵団を挙げるほど憧れていた。
羨望の眼差しを注ぎつつ、ハドリーは納得したように深く頷いた。
「やっぱ召喚スキル〈才能〉に目をつけられたんだろうな。あれだけの凄腕集団なら、リッキーの力を欲しがるはずだ」
「アタシの召喚を見て、ぽかーんとしてたよ」
「そりゃそうだべ。魔法やサイ《超能力》とも比較できない、最早、次元が違うモンだからなあ」
キュッリッキの召喚を、ハドリーは何度か見ている。圧倒的な力というものがあるとすれば、召喚によるものだと断言できるほど、それは凄まじい力であるとハドリーは思っていた。
「ギルドから仕事の依頼だって連絡もらったけど、依頼主に会ったらスカウトだったの。ベルトルドさんっていってね、すっごくハンサムで、優しい人だった。怖い雰囲気は滲み出てたけど」
「……リッキー、今、誰と言った?」
「ん? ベルトルドさん?」
ハドリーは男らしい眉を寄せて、抑えるように声を絞り出した。
「落ち着いてよく聞けよ。その名前は、ハワドウレ皇国副宰相の名だ」
「…………………にゃ?」
ハワドウレ皇国副宰相ベルトルドは現在41歳で、副宰相に叙されたのは、僅か18歳だったと言われている。
国政を担うエリート養成機関ターヴェッティ学院を、歴代1位の首席で卒業するほどの天才で、生まれ持ったスキル〈才能〉はサイ《超能力》、歴史上滅多にいないOverランクだという。
容姿も格段に優れており、貴婦人たちを虜にしてやまず、社交界では”白銀の薔薇”とも呼ばれている。
しかし世間的に最も有名なのは、”泣く子も黙らせる副宰相”という通り名だ。
泣いている子が泣き止むのを待つ時間がもったいないので、早急に問答無用で黙らせる、という事実が込められていた。
「色々な逸話や伝説が尾ひれにつきまくる御仁だが、何にせよ、物凄い大物であることは間違いない」
「うわあ……、ベルトルドさんって、凄いんだねえ~」
一昨日会った時の印象では、優しくてちょっと面白いおにいさん、という感じだった。でも、おにいさんどころではなく、オジさんな年齢にはちょっと驚いた。どう見てもまだ若々しい。
「そうかあ、ライオン傭兵団の後ろ盾は、かなり強い権力を持ったやつだって噂はあったんだが、まさか副宰相が後ろ盾をしているとはなあ」
ハドリーはゲッソリと肩を落とした。強いどころか最強である。
「現在の宰相は高齢とかで、皇王から全権を委譲されて、副宰相が事実上の国政の長だとも言われてるんだ。んで、身軽になった宰相の仕事は、皇王の茶飲み話の相手だってよ」
「ふ~ん、でもそれなら、ベルトルドさんが宰相に就いちゃったら早いのにね。世間話するだけなら、引退しても出来るじゃない、宰相?」
「普通はそう考えるけどな。宮仕えのアレコレは、オレみたいな傭兵風情には判んねえ」
「アタシも判んないや」
揃って肩をすくめたところで、《うみぶた亭》に到着した。
店内はお昼どきで混雑していたが、ちょうど入れ替わりで待つことなく、2人は港が見渡せるテラス席に通された。
「アタシ、カニと海老のクリームパスタ」
「オレは海老フライセット、ライスのほうで」
メニュー表を見ることなく、いつものメニューをオーダーする。
「仕事とテスト?は、ちゃんと出来たのか?」
「うん、度肝を抜いてやったもん」
自信たっぷりに言うキュッリッキに、ハドリーは破顔する。
「じゃあ入団決定したんだな。おめでとう」
「えへへ、ありがとう」
にこっと笑ったところで、キュッリッキはすぐに表情を曇らせた。
「でもね、またいつもみたいに、失敗しちゃったらどうしようって、不安なの」
キュッリッキの言う失敗のことは、ハドリーもよく判っている。ハドリーはキュッリッキの数少ない友人の一人だ。失敗して舞い戻ってくるたびに、慰め、励ましているのだから。
キュッリッキは孤児だ。しかし、些か特殊な例の孤児である。
生まれてすぐ捨てられ、あろうことか世間は両親の行いを評価し賞賛した。普通なら考えられないことだ。そして一番残酷なのは、そのことをキュッリッキは物心着く頃から聞かされてきた。世間は隠すことなく、両親を賛美し、キュッリッキを貶めたのだ。
幼い頃を孤児院で過ごし、そこを飛び出したキュッリッキは、傭兵の世界へと身を投じる。守ってくれる大人もおらず、愛情を注いでくれる大人もいない。寂しい世界を一人で生きてきたキュッリッキにとって、家族や親のことに触れられるのは、耐え難い苦痛なのだ。
折につけて家族や親のことが話題に出れば、キュッリッキは我慢を強いられ、耐えて耐えて話題が終わるのを待つしかない。それなのに、水を向けられたら、キュッリッキにはどうしようもない。
行き場のない怒りや悲しみなどの感情が爆発し、傍から見れば、それは意味不明の子供の癇癪だ。感情を爆発させたキュッリッキの心の奥深くなど、他人は知る由もない。
美しい顔を怒りで醜く歪ませ、思いつく限りの罵詈雑言を撒き散らす。他人の制止する声も耳に届かず、ところかまわず暴れた。
やがて落ち着いてくると、待っているのは周囲の冷たさだった。
大人たちは白い目と心を抉る言葉、態度をキュッリッキに投げつけた。彼女が何故、そんな態度に出たのか、知ろうともしない。理解しようともしなかった。
そうして居場所をなくし、自ら抜けてくる。細い肩をさらに細くして、目に涙をいっぱい浮かべて帰ってくるのだ。
ハドリーはたった一度だけ、そうした場面に立ち会ったことがある。そしてそれが、初めての出会いでもあった。
暴れている時のキュッリッキには本当に驚いたが、やがて正気に戻ったキュッリッキの、あまりにも落ち込む姿に同情した。潮が引くように周りがキュッリッキを遠ざける中、ハドリーは声をかけたのだ。
それ以来の付き合いで、もう3年になる。
最初は中々心を開いてくれなかったが、半年位経った頃、少しずつ自分の身の上を話してくれるようになった。それでキュッリッキの過去を知る。
「リッキー、まだ、始まってすらいない」
いつもの穏やかで、言い聞かせるようなハドリーの口調に、キュッリッキは面を上げる。
「また失敗するかも、でも、大丈夫かもしれん。なにせ、相手は傭兵界トップのライオン傭兵団だぞ。リッキーがちょっと暴れたくらいで、動じるほどヤワな連中じゃないさ。話を聞いてる限りじゃ、結束が強そうだから、きっと違う目が出るかもだ」
「う、うん」
「失敗したら、また帰ってくればいい。アパートの部屋は、リッキーが落ち着くまでは、そのまま空けておくようギルドには話をつけといてやる」
「うん。ありがと」
「ただ、がっぽり稼いでくるまでは、気合で堪えろよ?」
「へへっ、判った」
ようやくキュッリッキの顔に、笑顔が戻った。それを眩しげに見やって、ハドリーは心の中で呟く。
(オレにはリッキーの過去は重すぎて、一緒に背負うことはできない。でも、今度はリッキーを本気で支えてくれる奴が現れるかもしれない。ライオン傭兵団と副宰相がついているんだからな…)
《うみぶた亭》で食事を終えた2人は、市場で食材をそれぞれ買い込んだ。あまり料理はしないが、外食ばかりだと出費がかさむので、なるべく自炊するようにはしている。
雑談をしながら港をぶらついて、2人は帰路に着いた。
「引越しは何時なんだ?」
「来週にする予定」
「今週は仕事もないし、暇してるから荷造り手伝うよ」
「ありがとう、助かる~」
「来週は恒例の仕事が入ってるから、荷運びが手伝えるかどうかだな」
「それほど多くはないし、手押し車借りたら、自分で運べると思う」
ごく当たり前のように言われて、ハドリーは眉間を寄せる。
「……やっぱ心配だな。時間の都合つけて手伝うわ…」
「タブン大丈夫だと思うんだけどなあ」
キュッリッキは自覚していないが、かなり非力である。それが判っているハドリーは、上り坂で難儀しているキュッリッキが容易に想像できて、不安でたまらない。
馬車を借りればいいが、生憎、街の中で馬車を操るには、専用の免許が必要になる。ハドリーは持っているが、キュッリッキは持っていなかった。
アパートに着いた2人は、そこで別れてそれぞれの部屋に戻った。
食材を保冷箱に入れて、お茶を沸かす。ご近所の主婦からもらった紅茶で、香りがとてもいい。
「おばちゃんたちとも、暫くお別れかあ」
人生の大先輩である”おばちゃんたち”は、人見知りなキュッリッキを、温かく迎えてくれ、時々他愛ない差し入れもくれたりする。
癇癪を起こして失敗すればすぐ戻ってくることになるだろうし、つつがなく続けていければ、お別れになってしまう。
複雑な思いと寂しさに、ちょっとうるっときて、キュッリッキは頭を振った。
「せっかく凄いとこに入れたんだし、頑張らなくっちゃね!」
両手の拳をギュッと握って、気合を入れたところで、お茶が沸いた。
お茶を飲み終えると、ベッドに足を投げ出して座り、キュッリッキはボーッとしていた。連日馬車での移動が、ちょっと身体に堪えているようだ。なんとなく疲労感に包まれていてダルイ。
窓の外に見える空は、だんだんと青みを薄くし、オレンジ色や紫色が侵食し始めている。夕刻だった。
「今日はもう、動きたくないかも…」
疲れたように言うと、コンコンっとドアを叩く音がして、小さく首をかしげた。
「? 誰だろう」
ハドリーなら、あんな上品なノックはしない。もうひとりの友人も、ノックは派手なほうだ。
出ないわけにもいかないので、キュッリッキは小走りに玄関ドアへと駆け寄った。
コメント