片翼の召喚士 ep.3 スカウト(3)
どこの停留所にも停ることがなかった乗合馬車が、ゆるりと停まった。
「閣下、エルダー街に着きました」
御者が肩ごしに、恭しく告げる。
「そうか、もう着いたか」
失神するキュッリッキを左腕に抱えながら、ベルトルドは頷いた。
「お嬢様は、その……大丈夫ですか?」
困惑げに言う御者に、ベルトルドはにんまりと笑う。
「初めてのことに衝撃を受けて、ちょっと意識を失っているだけだ。問題ない」
額にキスをしただけで失神してしまったキュッリッキを愛おしく見つめながら、赤みの残る頬に、そっとキスをした。
(唇にもキスしたいなあ…)
無防備に半開きになる口を見つめ、そう思いながらも、必死に己を自制する。
額にキスをしただけで、失神するのはさすがに予想外ではあった。それだけウブで純粋なのだと思うと、いっそう愛おしさで胸が締め付けられる。
「とはいえ、失神したままの姿で、あいつらに会わせるわけにはいかないな」
このままにしておきたいと思いつつ小さく苦笑すると、サイ《超能力》を使ってキュッリッキの意識を揺さぶった。すると、ほどなくしてキュッリッキは瞼を震わせ、ゆっくりと目を開いた。
「ん……わっ、キャッ」
ベルトルドの顔がアップで飛び込んできて、吃驚したキュッリッキは悲鳴を上げた。ビクッと身体を動かした拍子に、頭がベルトルドの額とぶつかってしまう。
「いでっ」
容赦ない頭突きに、ベルトルドは思わず目を瞑った。
「ごっ、ごめんなさいっ!」
「い、いや…平気だ」
軽く頭を振って、ベルトルドは少々引き攣りながらにっこりとキュッリッキに笑いかけた。
「エルダー街に着いたよ。立てるかな?」
「あ、はい」
いつの間に着いたんだろう? と表情に書き込んで、キュッリッキは立ち上がった。
「本物の御者のポケットにでも、入れておいてやれ」
ベルトルドは御者に金貨5枚を手渡す。
「御意」
御者は両手で金貨を受け取った。それを見た瞬間、
「乗合馬車は銅貨3枚で良いんだよ?」
ギョッとしながら、キュッリッキはベルトルドを見上げた。金貨は銅貨1万枚ぶんに当たる。
「ははっ、良いんだよ。本物の御者には、ちょっと眠ってもらっているから」
「え?」
(ホンモノ?)
キュッリッキは御者を見る。初老に差し掛かったばかりの御者は、優しくキュッリッキに笑いかけた。
「お気をつけて」
「さあ、アジトへ行こうか」
釈然としない様子のキュッリッキの手を優しくとり、2人は馬車を降りた。
皇都イララクスに含まれる街の一つ、エルダー街。別名・傭兵街と言われ、傭兵、裏の商売、水商売など、一般的ではない職業に就く人々が多く住む。一般人が近寄らないことでも有名だった。
「エルダー街って初めて来たかも…」
「そうなのか。まあ、こんなところは若い娘の来るようなところではないからな」
まだ昼日中だというのに、街は閑散として静まり返っている。そのあまりの活気のなさに、キュッリッキは眉をしかめた。
キュッリッキの住むアパート周辺にも、傭兵たちの住まいがある。しかし、昼間でも賑わっていて、こんなうらぶれた雰囲気ではない。
馬車から降りてのんびり歩くこと10分。
「ほら、見えてきたぞ」
ベルトルドが指さした建物を見て、キュッリッキは目を瞬かせた。
エルダー街に建つ建物は、どれも見た目がバラバラで、統一感がまるでない。それでいて活気もないうえに古ぼけているものだから、陽に当たっていても暗い廃墟のように見えてしまう。しかし、ベルトルドが示した建物は、界隈とはまるで違っていた。
白い漆喰の塗られた壁には、黒い木枠の窓がはめ込まれ、色とりどりの小さな花を咲かせる鉢植えが窓辺に飾られている。周辺の建物よりも大きな構えをしていて、陽に照らされ明るさを強調する、オレンジ色の瓦が目に鮮やかだ。道路に面した建物の前は、チリ一つ落ちておらず、きっちり掃き掃除がされていた。
「綺麗な建物だね」
「フンッ、几帳面な男だからな」
ベルトルドは皮肉な笑みを浮かべると、ノックもせずに玄関扉を開けて、スタスタ入っていった。
キュッリッキの手は繋いだまま、ベルトルドは大声を張り上げた。
「カーティスいるか! 俺が来てやったぞー!!」
玄関ホールから建物中に轟くくらいの大声である。ビクッとしたキュッリッキは、思わずキョロキョロと周りを見回した。
待つこと数十秒くらいで、廊下の奥からひとりの男が姿を現した。
「これはこれはベルトルド卿、連絡も招きもなしに、突然何事ですか?」
軽い皮肉を交えながら、男――カーティスはめんどくさそうに言う。とーっても迷惑この上ない、と表情に貼り付けている。
「フフン、新しい団員を連れてきたぞ」
皮肉は完璧にスルーして、ベルトルドはキュッリッキの両肩に手を添え、自分の前にそっと差し出した。
「キュッリッキという。実に愛らしく美しい少女だろう、よろしく頼むぞ」
ドヤ顔で紹介するベルトルドとは対照的に、キュッリッキはおっかなびっくりな表情で、カーティスにペコリと会釈した。
簾のように垂れ下がる前髪の奥の、細い目を更に細めてキュッリッキを見ていたカーティスは、やがて顔を上げると、
「却下です」
とだけ答えた。
トン、トン、トンッ、っと沈黙が軽やかにステップを踏むこの空気を、真っ先に破ったのはベルトルドだった。
「貴様っ! これだけの超級美少女だぞ何が不満なんだ!!」
「そんなこと言われなくても見れば判りますよ美少女なのは!」
「だったら偉そうに却下とか言っとらんでさっさと手続きを済ませんか戯け!!!」
「ウチにはメイドはイラナイと言っているんですよ!!」
グヌヌヌッと額を突き合わせて激しく言い合っていたが、ふとベルトルドは目をぱちくりさせた。
「ぬ? メイド?」
「ええ、そうです。どうせあなたの美少女趣味で選んできたメイドでしょうが、ウチはメイドは雇いません」
姿勢を正し、カーティスは疲れたように「ふうっ」と溜め息をついた。
「馬鹿者、誰がメイドの斡旋をしているんだ。彼女は傭兵だ、傭兵」
口をへの字に曲げると、ベルトルドはムッとカーティスを睨む。
「……傭兵?」
不思議そうに呟いて、カーティスはキュッリッキを見つめた。そしてすぐに「やれやれ…」と首を横に振る。
「ナイフすら持ったこともないような細腕に、まして魔力も感じられず、恐らくサイ《超能力》もないでしょう。こんなに華奢な少女の、どこが、傭兵なんですか?」
シンプルなワンピース姿は、キュッリッキの細っそりとした身体の線を、あらわに浮き上がらせている。確かにこんな儚げな姿の少女を、傭兵と言われて信じるものはいないだろう。
そう言うと思った! といったふうに、ベルトルドは勝ち誇ったようにニヤリと笑う。
「フンッ! いいか、聞いて驚け。この子は召喚スキル〈才能〉を持っているのだ!」
「……え?」
今度はカーティスが驚いて、ベルトルドとキュッリッキの顔を交互に見る。
たっぷりと間を置いたあと、
「ご冗談を」
と言って薄く笑う。
「いちいち冗談を言いに来るほど、俺は暇ではないぞ、馬鹿もん!」
「本当…なんですか…」
「ああ、本当だ。そら、この子の瞳をよく見てみるがいい」
「ん?」
言われるがままカーティスは腰を屈めると、キュッリッキの顔を覗き込んだ。
「ああ……本当ですね」
先ほどのノリとは打って変わって、打ち震えるような声を出し、カーティスは暫くキュッリッキの瞳に魅入っていた。召喚スキル〈才能〉を持つ者の瞳には、虹色の光彩がまといついているという情報を、カーティスも知っている。キラキラと煌くこんな不思議な瞳を実際に見るのは、初めてのことだった。
ゆっくりと身体を起こすと、カーティスは腕を組んで、神妙な顔で黙り込んだ。
ベルトルドとカーティスのやりとりについて行けず、しかも入れるのか入れないのかはっきりしないこの状況に、キュッリッキは俯いた。
(どっちなのかな…)
心の中でこっそり溜め息をついたとき、カーティスが沈黙を破った。
「彼女の入団には、条件があります」
「めんどくさい奴だな、なんだ、条件って」
ベルトルドがムッと答えると、カーティスはキュッリッキに視線を向ける。
「入団テストを受けてもらいます」
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