片翼の召喚士 ep.2 スカウト(2)
「さあ、行こうかキュッリッキ」
「はい」
ギルドの建物を出ると、男はキュッリッキに左手を差し伸べた。ちょっと困惑げに、男の顔と左手を交互に見て、キュッリッキは恐る恐るその手を握った。
(手を繋いで歩くのかなあ…、子供じゃないのに)
と心の中で不満そうにぼやく。
「俺の名はベルトルド。さて、乗合馬車で移動しようか」
優しく微笑み、ベルトルドはキュッリッキの手を引いて、すぐ近くにある停留所へ向う。ここが停留所であることを示す小さな看板が立てられているだけのところには、昼日中だというのに誰もいなかった。
停留所で並んで立ちながら、キュッリッキはちらちらとベルトルドを見上げた。
アイロンのかけられたパリッとした白い長袖のシャツに、白いスラックスをはいたラフな格好をしている。ごく普通の服装なので、どんな職業に就いているかは判断できない。それにとても気になるのが、身長が高く、190cm以上はあるだろうか。横に並んでいると自分の背丈の小ささが、より強調されてしまう。キュッリッキの身長は154cmしかないのだ。
(何を食べたら、こんなに身長高くなるのかな…)
思わず頭の中で唸るキュッリッキだった。
「あははははっ」
突如ベルトルドが吹き出しながら、愉快そうな笑い声を上げた。あまりにも突然なので、キュッリッキはビクッとしてベルトルドを見上げる。
「失礼失礼。――お、馬車が来たな」
一頭の馬に引かれた質素な馬車が、2人の前に停まった。
木で作られた箱のような馬車は、向かい合うように板が2枚置かれていて、大人が10人くらいはゆったりと座れそうな広さを確保している。飾りっけはないが、頑丈で質の良い木材を使用していた。今日は快晴なので天井はないが、雨の日などは幌を被せて雨避けがされる。
キュッリッキとベルトルド以外に乗客はなく、2人が乗り込むと、馬車はゆっくりと発車した。
馬車は人が小走りするくらいの速度で、石畳の道をゆっくりと進む。
2人は並んで座り、座っている間も、ベルトルドはキュッリッキの手をしっかりと握っていた。そしてベルトルドは時折、優しい笑顔をキュッリッキに向けるのだ。
(仕事の話、いつするのかなあ……)
この状況に落ち着かない気分で、キュッリッキは心の中でひっそりと溜め息をついた。男の人と手をつないで、無言の時間を過ごすのは、これまで全く経験がないのだ。しかも初対面で、仕事の依頼主である。
仕事の依頼主というのは、上から目線の横柄な態度が普通で、小娘だと舐めてかかり、頭ごなしにバカにしてくるのが当たり前だった。ギルドの後ろ盾があるので仕事はさせてもらえるが、気分良く仕事をしたためしがない。ベルトルドのような依頼主は初めてだった。
「あのっ、ドコへ行くの?」
どうしていいか判らない状況に堪りかねたように問いを投げると、ベルトルドは優しい笑みはそのままに「ああ」と頷いた。
「エルダー街のアジトだ」
「アジト?」
「うん。俺が後ろ盾をしている、ライオン傭兵団のアジトだ」
「えええ!?」
ライオン傭兵団と聞いて、キュッリッキは飛び上がるほど吃驚した。
傭兵界ではその名を知らぬ者は絶対にいない。駆け出しの傭兵見習いですら、公にされている情報は把握しているくらいなのだ。
3年前に現れた新興の傭兵団で、現在の団員数は僅か15名。各自が一人当千の実力を持ち、備えるスキル〈才能〉は最低でもAランク保持。仕事は100%パーフェクトにこなし、報酬の良い依頼が常にギルドから回され、個人報酬も破格だという。入団希望者は常に溢れかえるが、新入りの傭兵はこれまで1人もいないとの噂だ。
そして、強力な後ろ盾を持っていることでも有名だった。
大きな傭兵団ともなると、バックに富豪や資産家がつくことが稀にある。詳細な事は誰も知らないが、ライオン傭兵団の後ろ盾は、かなり強い権力を持つ者ではないか、そういう噂もある。
キュッリッキは改めて、ベルトルドの顔をマジマジと見つめた。
(この人が、あの有名なライオン傭兵団の後ろ盾…。でも、そんな有名な傭兵団の後ろ盾をしている人が、なんでアタシなんかに仕事の依頼をするんだろ…)
信じられない、といった面持ちで、ベルトルドの手を無意識に強く握っていた。
「キミには是非とも、ライオン傭兵団に入ってもらいたい」
キュッリッキの心の惑いを透かしたかのように、ベルトルドは優しく語りかける。
「キミは召喚という、とてもレアなスキル〈才能〉を持っているそうだね。実際どんな力なのか俺は知らないのだが、年若いキミがこうして傭兵業を続けていられるのも、それだけの実力を備えているからだろう」
「そ、そっかな」
こんな風に褒められたことなどないので、頬を赤く染めて俯いてしまう。
(なんだか、照れちゃうの…)
「今は小さな依頼をコツコツ頑張っているようだが、キミの力はもっと大きな仕事で役立てるべきだと思う。どうだい? ライオン傭兵団で頑張ってみる気はあるかな?」
悪戯っぽい笑みを口元にたたえながら、ベルトルドは目をぱちくりさせるキュッリッキの顔を覗き込んだ。
「衣食住、破格の報酬は約束できるぞ」
綺麗な顔でにっこり微笑まれて、キュッリッキは思わず反射的に頷いてしまった。
(仕事の依頼っていうか、スカウトだったんだ)
これまで何度かスカウトされて、傭兵団へ入ったことはある。ギルドが仲立ちをしてくれて、それで入っていたのだが、今回は直接傭兵団からのスカウトだ。しかも、傭兵界のトップからのスカウトなのだ。さすがに緊張してしまう。
(アタシに出来るかな……)
不安と緊張で、心の中で弱気を呟くと、
「出来るさ」
そうベルトルドが笑顔でウインクした。
「え?」
不思議そうにキョトンとするキュッリッキを見つめ、ベルトルドは軽く声をたてて笑った。
ベルトルドの持つスキル〈才能〉はサイ《超能力》である。繋いだ手から彼女の考えていることが伝わってきて、それでちょっとからかってみたのだ。何も知らないキュッリッキは、素直に「どうして考えていることが判ったんだろう…」と、頭をグルグルさせていた。
(本当に愛らしい娘だ)
風になびく金糸のような髪は、陽の光を弾いて煌き、ストレートで腰のあたりまである。桃のように白い肌はきめ細かく、ぴたっと吸いつきそうで、滑らかな印象を与えた。桜貝色の薄い唇は、グロスを塗ったように艶やかで、今すぐ奪いたい衝動にかられてベルトルドは気合で堪えていた。見つめ合っていたら、間違いなく吸い付いたに違いない。
元気な雰囲気はあるが、どこか脆く儚い印象もあり、大切に守ってやらねばと思わせる。そんな美少女だ。そしてなにより目が止まるのは、その特異な瞳だろう。
ペリドットのように綺麗な黄緑色の瞳だが、瞳の上には虹色の細かい光彩がまといついている。それほど際立っているわけではないが、時折陽の光を反射して、キラキラと小さく煌くのだ。
これが、召喚スキル〈才能〉を持つ者の証だと言われている。
1億人に一人の確率でしか生まれてこないという、レア中のレアスキル〈才能〉。どういうスキル〈才能〉なのか、あまり詳しいことは判っていない。世間では、神々と幻想の住人たちが暮らすアルケラという世界を覗き見ることができる力、そう伝えられているだけだった。
(手元に置いておけば、どんな力かそのうち判ることだ)
後ろ盾をしているライオン傭兵団に入れてしまえば、もうどこも手出しができなくなる。ライオン傭兵団ほどマトモな所は、他にはないからだ。なにより、ベルトルドは手放す気は毛頭ない。自ら出向いてまで、スカウトしているのだから。
「アタシ、本当にちゃんとやっていけるのかな」
不安そうな呟きが耳に飛び込んできて、思いを巡らせていたベルトルドは、ハッと我に返った。
「大丈夫さ、心配ない」
そう励ましても、キュッリッキの顔は晴れない。
仕事のことで不安を感じている様子ではなかった。
(何かもっと別のことで、思い悩んでいるのかな?)
透視の力を使って心を覗いても、複雑な感情が渦を巻いていて、悩みの原因がさっぱり視えてこない。
ベルトルドはキュッリッキのほうへ身体を向けると、右の手でキュッリッキの頬に優しく触れた。
「俺がついている。だから、何も心配することはないんだ。いいね?」
そう言って、キュッリッキの額に優しくキスをした。
暫くキュッリッキは目を瞬かせていたが、やがて熟れたトマトのように顔も耳も真っ赤にすると、後ろにひっくり返ってしまった。
コメント