片翼の召喚士 ep.1 スカウト(1)
目覚ましもなく、朝6時きっかりにキュッリッキは目を覚ました。
「ふわあ…」
小さな口をいっぱいに広げて欠伸をすると、ベッドから降りて、窓に駆け寄り勢いよく開けた。空は太陽の光に照らされて、明るい水色に染まっている。
「ん~~~~、今日もイイお天気。気持ちがいいなっ」
軽く伸びをして背筋を正すと、洗面所に駆け出した。木桶に水をいれて、顔を洗う。桶の水を捨てて今度は歯を磨き、髪を梳かして髪飾りをつけた。
部屋に戻ると、引き出しが3つしかない小さなチェストの上の引き出しを開け、水色のシンプルなワンピースを取り出す。寝間着代わりに着ているシャツをサッと脱いで、ワンピースをまとった。
「よし、着替え完了! お洗濯に行こうっと」
身支度が整うと、汚れた洗濯物をいれたカゴを取り、部屋を出て鍵を閉める。
「今日はよく乾きそうでよかったの」
薄暗い踊り場に出ると、古ぼけた木の階段を降りて建物の外に出た。
そこは芝生の生えた中庭で、顔馴染みの主婦たちが、賑やかに談笑しながら洗い場で洗濯物を洗っていた。
「おはよう」
キュッリッキが元気に挨拶を投げかけると、主婦たちは手を止めて「おはよー」とそれぞれ笑顔で挨拶を返してきた。
「仕事明けかい? 大変だねえ」
4人いる主婦の中でも、ひときわ恰幅のいい主婦が、隣にしゃがんだキュッリッキを労う。
「うん。でも、またすぐに新しい仕事が入りそうなの」
「あれあれ」
シーツを洗い始めたキュッリッキを見て、主婦たちは目を丸くした。
「ウチの亭主も、キュッリッキちゃんほど甲斐性があればいいのにねえ」
「全くだよ。ここんとこ、毎日ギルドで酒飲んでる有様さね」
これに、どっと笑いがおきた。
この主婦たちは、キュッリッキが住むアパートの近隣さんである。
傭兵向けに部屋を貸し出しているアパートだ。キュッリッキのような独身者にはワンルームで、3坪ほどの広さしかない。しかし、シャワールーム、トイレ、キッチン、ベッド、チェスト、テーブルがあらかじめついているので、傭兵たちに大人気だ。更に、中庭があって、大きな洗い場もあるので、洗濯するのにとても助かる。干す場所も広いので、シーツなどの大きめの洗濯物は中庭に干せた。
(おばちゃんたちの話は長いから、さっさと終わらせて部屋へ戻らなくっちゃ)
気の好い主婦たちのことは好きだったが、話に捕まると中々帰してもらえないのが玉に瑕である。
世間話に花を咲かせながら、主婦たちはノロノロと手を動かしている。キュッリッキは適当に相槌を打ちながら、素早く手を動かして洗濯を終えて、シーツなどを干して部屋へ戻った。
空の洗濯カゴを床に置くと、今度はシャワールームとトイレと洗面台を洗いにかかり、キッチンも磨いて、床と玄関を掃いた。
「ふう、お掃除終わりっと」
仕事が入ると、数日留守にする。なので仕事が明けると、いつもこうしてしっかり掃除をするのだ。
「喉乾いちゃった」
お茶を飲もうとキッチンに向かい、ふと小さな置時計が見えた。
「あ、そろそろ出ないと時間に遅れそう…」
時計の針は、11時を指そうとしていた。
昨夜仕事から戻ると、傭兵ギルドから使いがあり、今日の12時にギルドに来るよう言われたのだ。仕事の依頼主が、直接話をしに来るらしい。
「お腹もちょっとすいちゃったな。うーん、ギルドの食堂で食べればいっか」
壁に掛けてあったポシェットを取り肩にかけると、キュッリッキはアパートを出た。
キュッリッキが住んでいるこの街は、ハーツイーズという。海辺に広がる少し大きな街で、港には沢山の船が乗り入れる。貨物や商船、漁業船、旅客船など、皇都イララクスの海の玄関口でもあるのだ。
ハワドウレ皇国の皇都イララクス。ハーメンリンナと呼ばれる皇王や貴族たちの住む城壁で囲まれた街を中心に、海に向けて扇状に広がる一帯を、皇都イララクスと総称する。ハーツイーズは皇都イララクスに含まれる街の一つだ。
アパートは港の近くに建っていて、そこから徒歩30分ほどの距離に、傭兵ギルド・ハーツイーズ支部がある。
傭兵ギルドは世界中に支部を持ち、皇都イララクスにはハーツイーズ街と、エルダー街にあった。傭兵たちは住まいに近い場所の支部を利用している。
「風が気持ちイイ。依頼主が直々にとか、新しいお仕事なんだろうなあ~」
潮風を楽しみながら、のんびりハーツイーズ支部に着くと、キュッリッキは受付に到着を報告しに行った。
「ご苦労様、今朝荷物を預かったよ」
「荷物?」
受付担当の青年の顔を見上げて、ちょっと首をかしげる。
「昨日までの仕事の依頼主のトコの女の子が、これをキミに渡してくれって、今朝来たんだよ」
受付カウンターの棚をごそごそして、大きめの紙袋を取り出し、キュッリッキに手渡す。
「ありがとう」
不思議そうにしながらも、大きな紙袋を受け取った。
「何かしら…」
「あと、今日の依頼主は12時くらいに来るそうだから、食堂で待っているようにとのことだ」
「はーい」
キュッリッキは紙袋を手に持って、2階の食堂へ足を向けた。
傭兵ギルドはどこも3階建てになっていて、1階は受付と酒場、2階は食堂と休憩スペース、3階は宿泊施設になっている。24時間営業で、常に傭兵たちで溢れかえっていた。
カウンターでサラダ抜きのドリアセットを注文して、キュッリッキは窓際の席に座った。そして手に持っていた紙袋を膝の上に置くと、紙袋の中に手を入れて、ゴソゴソ中身を探る。
封筒を見つけると、封を開けて手紙を取り出した。
『無事皇都まで送ってくれてありがとう。私にはちょっとサイズが小さくて着れなかったから、これあげる。仕事着に使ってね!』
そう書いてあった。
「……」
怪訝そうに眉をしかめて、紙袋の中を覗き込む。ひと揃の服が入っていた。
「あ…」
そういえば、と口パクで言って、ある会話を思い出す。
昨日までやっていた仕事は、旅芸座一団を護衛するものだった。その座長の娘がキュッリッキと同い年で、道中やたら馴れ馴れしく話しかけてきた。その時の会話の中で、仕事着を持っていないと話した気がする。召喚士だから何を着ていても構わない、だからとくに仕事着にこだわりはない。そう言った。
(まさか、それでコレくれたの? わざわざ…)
キュッリッキには理解しがたい、謎の好意であった。
紙袋から取り出してみると、好みの布柄で、色もキュッリッキの好きな青系だ。思わずにんまりと表情が緩んだところで、注文していたドリアセットがテーブルに置かれた。
「アツアツだ」
オーブンから出てきて、すぐ運ばれたのだろう。チーズとベシャメルソースが、まだグツグツと皿の中で音をたてていて、キュッリッキの顔がニッコリと微笑んだ。そのあまりにも愛らしい笑顔に、食堂に居合わせた傭兵たちがドキリとする。
昼時ともあって、食堂は傭兵たちで賑わっていた。客は殆どが男ばかりで、キュッリッキのような若い娘は一人もいない。それに、キュッリッキは珍しいとされる召喚スキル〈才能〉を持っているので、傭兵たちの間でも有名人だ。そのキュッリッキがギルドで食事をしているので、自然と皆キュッリッキに注目していた。
ジロジロ見られていることなど気にもしていないキュッリッキは、スプーンですくったドリアに、小さな口で「フゥ、フゥ」と息を吹きかけ食べる。熱々すぎて、すぐには口に入れられないのだ。
ドリアセットのトレイには、ドリアの皿とアイスティーしか置いていない。本来は緑の綺麗なサラダが付くが、生野菜が苦手なキュッリッキはサラダを省いて注文している。野菜が嫌いなわけではないが、青臭くて生はどうしても食べられなかった。残すのも悪いので、サラダは省いてもらっていた。
半分位たいらげたところで、向かい側に誰かが立っていることに気づいて、キュッリッキは顔を上げた。
「こんにちは、お嬢さん」
端整な顔立ちの男で、やや険のある切れ長の目をしている。しかし、表情はとても優しく微笑み、どことなくヤンチャな印象を目元に漂わせていた。
(ぬ、誰…?)
ポケッと固まっているキュッリッキの様子に、男は面白そうにくすりと笑って椅子に座った。片方の手で頬杖をついて、キュッリッキに笑いかける。
「キミに仕事の依頼をしに来た。12時に会うと、約束をしただろう? ちょっと過ぎてしまっているが」
「あっ」
男の不思議な雰囲気にのまれ、キュッリッキは一瞬忘れてしまっていた。
(仕事の依頼主だ)
優しい表情をしているのに、全身からは何か威圧的なものを感じる。見た目はまだ20代後半くらいで美青年なのに、周りの厳つい傭兵たちが竦むような迫力が滲み出ているのだ。実際周囲の傭兵たちは、マッチョな体格を縮こませて首を竦めている。でも、キュッリッキは怖く感じなかった。
「えと、お仕事は」
居住まいを正して切り出すと、男は横に小さく首を振った。
「道道話すとしよう。先に食事を済ませてしまいなさい」
穏やかに言われて、キュッリッキは頷くと、急いでスプーンを動かした。
とは言っても、もともと食べるペースが遅く、口に含む量も少ない。それでも懸命にペースを上げて食べた。
なんだか必死に食事をするキュッリッキの様子に、更に笑みを増やすと、男は愛おしさを込めて、優しくキュッリッキを見つめた。