【小説】片翼の召喚士-episode080

chapter-4.記憶の残滓編
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記憶の残滓編-episode080 【片翼の召喚士】

 0時を回った頃、すでにキュッリッキは眠っていたが、何やら騒がしい音に眠りの園から引っ張り出され、重い瞼を開いた。

 目に飛び込んできたのは、ベルトルドとアルカネットの恐ろしい形相である。驚いたキュッリッキは完全に目を覚まして、「ヒッ」と喉で悲鳴を上げた。

「お、おかえりなさい?」

「俺が言うんだ!」

「いいえ、私が言います!」

「いちいち出しゃばるな鬱陶しい奴め!」

「あなたこそこれだけの元気が残っているのなら、仕事の続きでもしてきたら如何ですかっ」

 お互いの顔を手で押し合いながら、怯えるキュッリッキにはお構いなしで言い争っている。

 一向に埓のあかない様子に、キュッリッキは小さく溜息をついて、

「メルヴィン、ルーさん、助けてーーーっ!」

 と、大声を上げた。

 ほどなくして血相を変えたメルヴィンとルーファスが、開けっ放しのキュッリッキの部屋に飛び込んできた。

「どうしましたっ!?」

 闖入してきたメルヴィンとルーファスに気づいて、ベルトルドとアルカネットは、思わず顔を見合わせて目を瞬かせた。

「ンもー、ベルトルド様もアルカネットさんも、寝てるキューリちゃん起こさないでくださいよー、ったく」

 腕を組んで溜息混じりに言うルーファスを、ベルトルドとアルカネットは赤面で睨みつける。

「起こそうとして起こしたわけじゃないぞ!」

「ちょっと騒がしくしてしまっただけです!」

「言い訳とか、大人げないっすよ」

 ヤレヤレとルーファスは首をすくめた。

「貴様がエラソーに言うなっ、青二才め」

 ベルトルドにポカッとグーで殴られ、ルーファスは「八つ当たりだー」と抗議の声をあげた。

「ところで、どうしたんです? こんな夜更けに」

 ベッドに腰掛けて、キュッリッキの左手を優しく握っていたメルヴィンが、顔を上げて問いかける。

「リッキーに話すことがあっ…くおらあああああああっ!!」

「え?」

 ベルトルドはメルヴィンの手を、平手でバチンッと叩き、メルヴィンを押しのける。

「リッキーの手を握っていいのは俺だけだ!」

 押しのけられた拍子に床に尻餅をついて、メルヴィンは目をパチクリさせた。

(ムッ)

 ん? っとキュッリッキは不思議そうに眉間を寄せた。

(あれ、なんでムッとしたのアタシ?)

 メルヴィンの手がベルトルドに払いのけられた瞬間、心の中が『ムッ』としたのだ。何故そう思ったのだろと、キュッリッキは訳が判らず、ちょっと不機嫌そうに唇を尖らせた。なんだか心がモヤモヤして不愉快だ。

「ほらベルトルドさまー、ちゃんと理由話さないと、キューリちゃん怒ってますよ~?」

 ルーファスに指摘され、ベルトルドは慌ててキュッリッキに笑いかけた。

「すまんリッキー、嬉しいニュースがあって、早く報せたくてすっ飛んで帰ってきたんだがそのだな」

「家庭教師の先生を見つけましたよ。明日…もう今日ですか、お昼前くらいにリッキーさんと面談をするために、いらしていただくことになりましたよ」

「え、ホント!?」

「はい」

 キュッリッキの顔が、途端パッと明るく輝いた。それを笑顔で見つめるアルカネットの後ろで、ベルトルドが両拳を握り締め、ワナワナと全身を震わせながらアルカネットを睨みつけた。

「俺が言おうとしていたのに、お前なあああああああ」

 アルカネットは肩ごしに振り向き、フッと意地の悪い笑みをベルトルドに投げつけた。

「あなたこそ、私が到着する前に、勝手に話を進めていたではありませんか。お互い様です」

「ぐっ」

「家庭教師? ってなんっスかベルトルド様?」

 目を丸くするルーファスに問われ、ベルトルドはギンッとルーファスを睨んだ。

「リッキーの為に雇うことにしたんだっ!」

「は、はあ」

 それ以上訊いたら噛み付かれそうで、ルーファスはヘラリと笑った。

「もう部屋に下がれ、ルー、メルヴィン」

「そうしまっす。んじゃ、おやすみキューリちゃん」

 頷いてメルヴィンも立ち上がった。

「では、おやすみなさい、リッキーさん」

「おやすみ、ルーさん、メルヴィン」

 出て行くメルヴィンの後ろ姿を残念そうに見送り、キュッリッキは小さく息をついた。

 自分の為だけに、勉強を教えてくれる教師が会いに来る。それを思うと、キュッリッキは殆ど眠れず朝を迎えた。

 楽しみで楽しみで仕方がない気持ちが、顔満面に満ち溢れ輝いている。そんなキュッリッキの様子に、ベルトルドもアルカネットも自然と笑みがこぼれた。

 家庭教師の件で期待が膨らんで気が紛れていたのか、夜中夢にうなされることもなく、苦しまなかった。それで2人とも久しぶりに熟睡出来たはずだが、実際眠れたのは4時間程度だった。寝足りない気持ちはあったが、キュッリッキが悲しまずに夜を過ごせたことが何より嬉しい。

 天蓋を見つめる瞳が、ワクワク感で揺れ動いている。感情の昂ぶっているキュッリッキの薄く赤みのさす頬に、ベルトルドはそっと触れた。

「今日の面談には付き添えないが、リッキーが気に入ったら雇うからな。だが、気に入らなかったら断るから、はっきり言いなさい」

「はい」

 キュッリッキはニッコリと笑う。

「どんなことを教わりたいか、しっかり伝えるのですよ。学問だけではなく、ダンスや行儀作法など、色々な事を教えることのできる先生のようですから」

「うん。ちゃんと言うね」

 素直に返事をするキュッリッキの左手をとり、アルカネットは掌にそっとキスをした。

「ベルトルド様、着替えに行きましょうか。出仕の用意を」

「ああ。では行ってくる、リッキー」

「行ってきます、リッキーさん」

「行ってらっしゃい」

 それぞれキュッリッキの額と頬にキスをして、名残惜しさをこれでもかと漂わせながら部屋を後にした。

 待望のグンヒルドは、11時前に屋敷を訪れた。

 メイドのアリサが来訪を告げに来て少しすると、セヴェリに伴われたグンヒルドが、キュッリッキの部屋に入ってきた。その時ふわっと品の良い香水の匂いが、ゆっくりと部屋に満ちる。

 男所帯の屋敷だけに、香水の匂いは新鮮だとルーファスはふと思った。

(来た)

 キュッリッキの顔が、咄嗟に緊張に包まれる。家庭教師などしている人と話をするのは初めてのことだ。胸がドキドキした。

 柔らかそうな栗色の髪と、木漏れ日のような優しい笑顔が素敵な人だなと、キュッリッキは嬉しくなった。

 ベッドの傍まで来ると、グンヒルドは優雅な仕草で腰を落とした。

「お初にお目にかかります、グンヒルドと申します」

「ようこそいらっしゃいました。キュッリッキです」

「あ、どうかそのまま」

 身体を起こそうとしたキュッリッキを、グンヒルドは慌てて制す。少し離れて控えていたメルヴィンとルーファスも、驚いて前に踏み出した。

「まずは、お身体をお厭いくださいませ。横たわったままで構いませんよ」

「でも…」

 寝ているままだと、失礼に当たるんじゃないだろうか。そうキュッリッキが思っていることを表情から察して、グンヒルドは優しく微笑み、首を横に振った。

「大変な怪我を負っていらっしゃることは、副宰相閣下達から伺っております。それなのに、わたくしへのお心遣い、ありがとうございます」

 困ったように顔を赤らめるキュッリッキに、グンヒルドは更に笑みを深めた。

 そこへワゴンを押して、アリサがお茶を運んできた。

「あらあら、お客様を立たせたままでは、失礼ですよ」

 そう言って、いまだ立ったままのグンヒルドに、ベッドの傍らの椅子をすすめ、キュッリッキを寝かせ直した。そして手際よくカップに紅茶を注いで、サイドテーブルに置く。

「何か御用があれば、すぐに呼んでくださいね、お嬢様」

「うん。ありがとう、アリサ」

「じゃあ、オレたちも失礼するね」

「またあとで」

 アリサが退室するのに合わせて、ルーファスとメルヴィンも一緒に部屋を後にした。

 グンヒルドと2人きりになって、何をどう切り出し話せばいいか、キュッリッキは困り果てて途方に暮れた。人見知りで、自分から話しかけるのは苦手である。それに、家庭教師になってくれるかもしれない人だ。おかしなことを言って、気を悪くしたらどうしよう。そう考えると、自信がなくて声が詰まってしう。

「まだ、お怪我で体調の辛い時に、押しかけてきてしまって、ごめんなさいね」

 優しく労わるように話しかけられ、キュッリッキはゆるゆると首を振った。

「大丈夫なの、アタシがベルトルドさんにお願いしたから」

 どんな人が勉強を教えてくれるのか、とても興味があったから、わざわざ会いに来てくれたことは嬉しかった。

「わたくしはお引き受けする前に、生徒さんに会うようにしています。もし相手の方がわたくしを気に入らなければ、親御さんが雇って下さっても、嫌な気持ちで教わることになるでしょう。それに、わたくしも苦手に感じる生徒さんに教えるのは集中出来ませんし。なので、お互いが気持ちよく接することができるように、前もってお話をして決めるんです」

「じゃあ、これまでに、教えたくないなって思った人はいたの?」

「ええ、何人かおりましたよ」

(うわ…、アタシもその中の一人になったらどうしよう…)

 これは、迂闊なことは口に出せないと、キュッリッキはより一層、緊張で固まった。

 グンヒルドは湯気の立つティーカップを手に取ると、優雅な仕草で一口含んだ。

「ベルトルド様とアルカネット様が、それはもう、あなたのことを熱心にお話になっておりましたのよ。血の繋がりはないとのことでしたが、とても大切にされているようですね」

 キュッリッキは嬉しそうに微笑みながら頷いた。

 初めて会った時から、ずっとずっと、大切にしてくれる。愛されている。ただ、毎日毎日飽きもせず、自分を取り合い喧嘩をしていることだけは、いまだに不思議だ。

「あなたはベルトルド様が後ろ盾をなさっている傭兵団に、所属している傭兵なのだそうですね。傭兵のお仕事は、長いのですか?」

「8年です」

「まあ。10歳の頃からしているのですね」

 素直に驚き、グンヒルドは何度か瞬きした。

 一見、殺伐とした傭兵業とは無縁そうな少女が、10歳から傭兵をしているなど、驚きを禁じえないのだ。

「では、その8年の間に、基礎学校へ行こうとは思わなかったの?」

 これには困ったように、キュッリッキは苦笑を返した。そしてちょっと迷うような表情をして、それからグンヒルドに顔を向けた。

「アタシ孤児で、ずっと修道院にいたんだけど、あることで7歳の時にそこを出たのね。それからは相棒のフェンリルと一緒に、あちこちを彷徨って、傭兵になるために危ないところを走り回っていたの」

 傭兵ギルドに身請けてもらうためには、仲介者が必要になる。また、傭兵に弟子入りするためには、戦闘、魔法、サイ《超能力》などのスキル〈才能〉持ちに限られる。そうした公式的手続きを踏まず、ギルドに実力を示すためには、ある程度危険な賭けが必要だ。その最も手っ取り早い方法は、現場で実力と成果を知らしめることだった。