【小説】片翼の召喚士-episode077

chapter-4.記憶の残滓編
この記事は約8分で読めます。

記憶の残滓編-episode077 【片翼の召喚士】

「おはようございます、リッキーさん」

「おはよう、メルヴィン」

 ベッドの傍らにある椅子に座るメルヴィンに、キュッリッキは小さな笑みを向ける。その笑みを受けて、メルヴィンは僅かに表情を曇らせた。

 また目が腫れている。それに、どことなく疲れている様子だった。

 昨夜もキュッリッキの大きな叫び声と泣き声が、隣の部屋のメルヴィンにも聞こえていた。しっかりした厚みのある壁なので、くぐもったような音になっていたが、鋭い聴力を持つメルヴィンの耳は、その声を判別していた。

 先ほど朝食の時に、ベルトルドとアルカネットに問いただしてみたが、

 ――貴様らが気にすることじゃない。

 ――詮索しないことです。

 そう突っぱねられてしまった。食い下がっても話してくれそうもない雰囲気プラス、余計なことはするな、という念押しオーラも漂っていたので、それ以上聞き出すことができない。なので、

(リッキーさんに、直接聞いちゃって、いいのかな…)

 何度も胸中で繰り返すが、キュッリッキの顔を見ていると、口に出せなかった。

 興味本位で触れていいことではないのは判る。しかし、もしキュッリッキが心の底から困っていることがあったら、少しでも力になりたい。微力でも助けになるのなら、いくらでも頼って欲しかった。

「リッキーさん」

「うん?」

「あの、その、…もし話したいことがあるなら、オレ、いくらでも聞きますから。なんでも言ってくださいね」

 端整な顔を情けないほど赤くしながら、メルヴィンはしどろもどろといった口調で、ようやく言った。

 洒脱な会話はもっとも苦手である。更に冗談や軽口も苦手だ。

 ルーファスやマリオンたちのように気楽な雰囲気で会話できれば、キュッリッキも話しやすいだろうと常に思っているほどに。

 堅物で生真面目で社交的ではないので、こういう時は、本当に困ってしまう。

「……ありがとう、メルヴィン」

 穏やかな口調でそう言われて、メルヴィンはハッとキュッリッキの顔を見つめた。嬉しさを滲ませた笑顔を、自分に向けてくれている。

(少しは、気持ちが、伝わったかな)

 自信なくそう思いつつも、メルヴィンは肩の力を抜くと、照れくさそうに指先で頬を掻いた。

 キュッリッキはというと、突然のメルヴィンの言葉に少々驚いていた。

 言いたいことが顔に書いてあったのだろうか、それを感じてくれたんだろうか。

 メルヴィンのスキル〈才能〉はサイ《超能力》ではないけど、言葉にしなくても、感じることのできる人なのだろう。

 メルヴィンの気持ちは嬉しかったが、メルヴィンはキュッリッキの過去を知らない。ベルトルドやアルカネットのように、全てを知った上で案じてくれているわけではないのだ。

 今はきっと、職務の延長みたいな感じなのかもしれない。

 自分の過去を打ち明ける勇気は出ない。まだ、そこまでメルヴィンを信用していないからだ。

 だから全てをさらけ出すことはできないけど、でも、こうして真摯に心配してくれることが嬉しかった。

「おっはよー、キューリちゃん」

 静まり返ったその場に、ルーファスの明るい声が割り込んできて、当人がにこやかな笑顔で登場した。

「おはようルーさん」

 ベッドの傍らに立ったルーファスを見上げて、キュッリッキは目を丸くする。ルーファスは両手に、大量の雑誌を抱えているのだ。

「なあにそれ? ルーさん」

「えっへへーん。ベルトルド様が隠し持ってた、超豪華未修正エロ本ナンダヨネ~。これなかなか流通してない、秘蔵中の秘蔵本なんだよ。もう涎まくりで、オレの読書ライフに春が来たヨ」

 至福の笑顔である。

「ルーファスさん…」

「あ、メルヴィンも見る~? たまにはこういう高尚な芸術を読んで、見て、情緒豊かにならないと」

「い、いえ、オレは結構です…」

「そう? まあ興味が出たらテキトーに選んで。全部持ってこれないくらい、棚にギッシリ詰まっててサー。さっすがベルトルド様だよね」

 ソファにドッカリ座り、雑誌を広げ始めるルーファスの横で、フェンリルが首をかしげながら覗き込んでいた。

「フェンリルも興味あるのー? そうだよねー、フェンリルも男だよねえ。でもこれ雌犬の写真は載ってないからなあ。――これいいだろう、うんうん、たまらん」

 一人愉しそうなルーファスを見て、メルヴィンとキュッリッキは疲れたように溜息をついていた。

 昼間はメルヴィンとルーファスがそばにいるので、過去を思い出したり夢に見ることはなかった。気が紛れることもあるし、2人からライオン傭兵団の、これまでの活躍話を聞いたりしている。

 しかし夜になって寝静まると、決まって過去のことを夢に見た。

「リッキーさん、リッキーさん」

 アルカネットに起こされて、キュッリッキは目を覚ますと、目から大粒の涙をこぼし始めた。

「大丈夫ですか? どうか、泣かないでください、身体に障ります」

 優しいアルカネットの言葉に、キュッリッキはますます涙をこぼした。

「アタシ、アタシ、殺しちゃったの…殺しちゃったの…」

 いきなりの告白に、アルカネットは僅かに目を見張る。

「殺さなかったら、アタシが殺されちゃってたもん。悪いことだけど、悪くないんだもん」

「ああ、リッキーは悪くないぞ。仕事でしたことだ」

 目を覚ましたベルトルドは上半身を起こし、キュッリッキの額に優しくキスをした。

「こんなに苦しんで、頑張ったな。偉いそ、リッキー」

「うん…」

 しゃくり上げながら頷き、キュッリッキは目を閉じ眠りについた。

「リッキーが初めて人を殺めたときのことだな。傭兵と認められて、初めての仕事だ」

「そうですか…」

 アルカネットは沈痛な面持ちで、キュッリッキを見つめ、頭をそっと何度も撫でた。

 ベルトルドはキュッリッキの寝顔を見つめながら、今しがた見ていた夢を思い起こす。

 キュッリッキが直接、相手を刺したりしたわけじゃない。大きな狼の姿に戻ったフェンリルが、幼いキュッリッキの目の前でターゲットを噛み殺した。

 喉を噛み切られ、血飛沫を撒き散らしながら倒れるターゲット。それを、凍ったように見つめるキュッリッキ。

 ――これは、お仕事だから。

 幼いキュッリッキは、何度も胸の中で呟いていた。そして、自分の掌が血で真っ赤に染まっている悪夢にうなされながら、いつまでも涙を流し続けた。

 キュッリッキが何に苦しんでいるか、どんな過去を生きてきたのかを知るために、ベルトルドはサイ《超能力》でキュッリッキの夢を受信していた。

 何も知らずに慰めるのでは、本当の意味での慰めにはならない。上辺だけの優しさなど、今のキュッリッキには逆効果にしかならないからだ。

 だからといって、勝手に覗き見していい理由にはならない。そんなことはベルトルド自身百も承知の上だ。それでも、キュッリッキの心を救うため、止めるつもりはない。

「リッキーを傭兵にするように仕向けたのは、そこのフェンリルだ」

 ベルトルドは顎でフェンリルを指す。

 ソファの上に置かれた、青い天鵞絨張りのクッションの上に寝そべり、水色の瞳をキュッリッキに向けている。透明で宝石のような瞳からは、なんの感情も伺えなかった。

「リッキーが一人でも生きていけるように」

 傭兵は誰でもなれる職業の一つだ。

 肩書きを持てるようになるには、傭兵ギルドの承認が必要になる。ギルドに登録し、承認されて初めて傭兵を名乗れるのだ。

 そのための段取りに必要なものを、キュッリッキは何一つ持たなかった。だから、実力を示し続けることで、傭兵ギルドに認めさせたのだ。異例の方法で承認された傭兵は数多くいるが、キュッリッキの取った行動は、あまり例がないと言われている。

「傭兵ギルドに認められない者が、傭兵を名乗ることはできない。名乗ったところで犯罪者と同等とみなされ、傭兵ギルドの執行人に殺されるのがオチだ。幼い子供がギルドに認められるのは、大変な努力と苦労があっただろう」

「ええ、そうでしょうね。でも、何故そんな危険な世界へと導いたのです、フェンリルは」

「流石にそれは俺にも判らんが、出自が問われないことがひとつ、獣の本性…いや、本能かな? みたいなものがあったんじゃないかな」

「獣の?」

「動物たちの世界はシンプルだ。生きるために獲物を狩る。狩るための方法を学ぶ。人間の世界では食べ物を得るための方法として、金銭を払う。そのための金銭は働いて稼ぐ。窃盗を教えなかっただけ、はるかにマシだがな」

 ベルトルドは苦笑をにじませ、瞬きもしないフェンリルを見た。

「どこかの施設に預けず、フェンリルが面倒を見ながら傭兵としての道を歩ませていたのだから、あまり外れた想像ではなかろう」

 アイオン族の修道院で、キュッリッキが受けていた過酷な仕打ちを思えば、フェンリルが人間を信用できないでいたのも仕方のないことだ。そして、キュッリッキが言うように、フェンリルが神であれば、人間のようには考えないだろうとベルトルドは思った。

 人間と神は違うものだ。同じ状況でも、全く違う考えや行動に出てもおかしくはない。異なる存在の考えなど、人間には及びもしない。感覚だって違うだろう。

 だから、フェンリルの胸中をいくら想像しても、詮無いことだとベルトルドは納得していた。

「ベルトルド様」

「ん?」

「毎日こういう状況が続くなら、寝不足で身体への負担も増大するでしょう。仕事量も増えていますし、ご自分の部屋でおやすみになったほうがいいのでは」

 真面目な表情で言うアルカネットの顔を、ベルトルドはジーッと見つめ、思いっきり顔をしかめた。

「イ・ヤ・ダっ」

「ちっ」

「何が”ちっ”だっ! たわけ!!」

 ガルルルッと噛み付きそうな顔で睨んでくるベルトルドを、アルカネットは寝たふりでスルーした。