【小説】片翼の召喚士-episode074

chapter-4.記憶の残滓編
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記憶の残滓編-episode074 【片翼の召喚士】

 ベルトルドとアルカネットが部屋を出ていくと、室内は驚く程静かになった。

 キュッリッキは軽くしゃくりあげた。そして、目が熱を帯びて腫れぼったくなっていることに気づく。

 憚ることなく声を上げて沢山泣いた。嬉しいという感情で、あんなに泣いたのは初めてである。

 ずっと欲しかった愛をもらった。18年抱え続けていた凍えるような傷を、少しずつ癒していってくれるだろう。

 修道院で暮らした7年間は、キュッリッキの心に深すぎる傷をつけ、辛い思い出しか与えてくれなかった。そこを飛び出してからの11年間は、世間の冷たさと、生きていくことに必死で、過去の思い出や心の傷は、心の奥底に必死に押しやっていた。

 そんな中で、他人から与えられる愛が、全くなかったわけではない。

 キュッリッキの数少ない友達の、ハドリーとファニー。2人からは友愛をもらっている。そしてハーツイーズのアパートの住人のおばちゃんずたちからも、優しい愛情はもらっていた。

 しかしそれだけでは、キュッリッキの抱える大きな傷を、完全には癒せなかった。ほんの一時、忘れさせてくれただけだ。

 深く傷つき、救いを求めるその心には、自分にだけ向けられる大きな愛が必要だったのだ。

 2人から「愛している」と言われたことを、心の中で反芻する。その度に心が温かく、幸せだと震えた。傷口に滲みるのではなく、痛みが柔らかく去っていくように。

「嬉しいの」

 にっこりと笑ったその時、いつのまにか顔のそばにフェンリルがきていて、焦れたように顔を押し付けてくる。

「ふふ、ヤキモチ焼いたの?」

 そうだ、と言わんばかりにフェンリルは「フンッ」と盛大に鼻を鳴らす。文句があるとフェンリルは、決まってそうするのだ。

 その様子に苦笑すると、フェンリルの小さな身体を左手で顎の下に抱き寄せる。

 神々の世界アルケラから、キュッリッキを守るためにやってきた神狼フェンリル。普段は小さな仔犬の姿になって、片時もそばを離れずにいる。物心付いた時から、ずっと一緒の大事な相棒。

 フェンリル、そしてアルケラの住人たちからも愛情はもらっていた。身体が激しく傷つけられると、神々が奇跡を施し癒してくれた。辛くてアルケラに意識を飛ばすと、住人たちがこぞって慰めてくれた。

 人外からの愛も、キュッリッキの心は癒しきれなかった。それでも、ないよりは遥かにマシだっただろう。

「ありがとうフェンリル。フェンリルがいなかったら、アタシ生きてこられなかったし、ずっと寂しいままだったもん。大切で、大事な大事な相棒だよ」

 優しく言うその言葉に満足して、フェンリルは嬉しそうに喉を鳴らした。

 この時初めて、自分は幸せだとキュッリッキは思った。

 泣きつかれていたのもあり、ウトウトしていると、賑やかな言い合いをしながら、ベルトルドとアルカネットが寝間着に着替えて戻ってきた。

 2人は張り合うようにしてベッドまでくると、いきなりジャンケンを始めた。真剣、かつ睨み合いながら、赤いオーラのようなものが見えて、キュッリッキは目を見張る。

「絶対に負けんぞ!」

「ふんっ。せいぜいサイ《超能力》でも駆使なさるがいいでしょう」

「お前ごときにサイ《超能力》など必要ないわっ!!」

 せーのっ! と元気よく2人は掛け声を合わすと、あいこを5回繰り返して、勝負はアルカネットの勝ち。悔しそうにベルトルドが地団駄を踏んだ。

「きいいいいいいいいいいいっ」

「これも愛の差というもの」

 目を瞬かせながら、一体何事だと二人を見上げていると、

「リッキーさんの左右どちら側で寝るか、決めていたのですよ」

 にっこりとアルカネットが説明する。

「……」

 つまり、2人とも一緒に寝るのか。

(こ…これも、愛なの、かな…)

 ここに愛について講義する人がいれば、これも一種の愛だと言うだろう。しかし愛を知った初日に、この2人の行動を理解するのは、まだまだ難しかった。キュッリッキからしてみたら、単に張り合っているだけにしか見えないのだ。

 キュッリッキを真ん中に挟んで、左側にアルカネット、右側にベルトルドが寝た。そしてこの争奪戦に参戦したフェンリルは、キュッリッキの腹の上に丸くなった。まさか2人が腹の上で寝るという暴挙に出るわけにもいかないので、勝負はフェンリルの勝ちだろう。フェンリルは勝ち誇って、尻尾をパタリと振った。それを見て、ベルトルドとアルカネットはこめかみをヒクつかせる。

「おのれ犬…」

「生意気ですね…」

 キュッリッキの右上半身は、怪物に切り裂かれて大怪我を負っている。そのため包帯でキツく縛られ、身動きがとれない。更に、触れると痛がるから、少し距離を置かないといけない。

 ピッタリとくっついて寝たい2人は、それで左右どちらで寝るかを決めていたのだ。

「おいアルカネット、お前くっつきすぎだろ!」

「別にいいじゃありませんか。ね、リッキーさん」

「……えっと」

 今はまだ身体が動かせないからあまり関係なかったが、実はこの無駄に広いベッドが気に入っている。怪我が治って身体が自由に動かせたら、寝相を気にせず思う存分寝転がりたいと思っていた。

(怪我が治っても、このまま一緒に寝るのかなあ…)

 ベルトルドもアルカネットも、横になりながら頭を上げて、何やら言い合いを続けている。先程までの感動は、もはや時間とともに過去に消え去っていた。

「アタシ、眠いからもう寝るの。おやすみなさい」

 呆れたような声で言われて、ベルトルドとアルカネットは黙り込むと、泣きそうな顔をキュッリッキに向けた。しかしキュッリッキは、呆れ顔のまま目を閉じて取り合ってくれない。

 お互い顔を見合わせ溜息をつくと、同時にキュッリッキの頬にキスをして、おとなしく眠りに就いた。

 翌朝目が覚めると、ベルトルドとアルカネットは部屋にいなかった。時計を見ると、7時を少し過ぎている。6時には目を覚ますキュッリッキにしてみたら、ちょっと寝坊だった。

 何度か目を瞬かせていると、頭もスッキリしてきて、昨夜のことを色々と思い出していた。

 こんな自分を愛してくれたベルトルドとアルカネット。これからは、もう寂しい思いをしなくていい。そして、ベルトルドとアルカネットの2人には、何も隠し事をしなくても大丈夫。辛いことも悲しかったことも、全部打ち明けられる。それにライオン傭兵団にもずっと居られるし、居場所を失うこともない。

「アタシ、もう独りじゃない。ベルトルドさんと、アルカネットさんと、ライオン傭兵団のみんなと一緒なんだ」

 エヘッとキュッリッキは弾んだ声を出して笑った。

 急に世界が開けたような気がして、怪我などしていなければ、飛び上がって踊りだしそうな気分である。

 それは他人から見れば、ささやかで小さな幸せなのかもしれない。でもキュッリッキには何ものにも代え難い、大きな幸せを掴んだ気持ちで心がいっぱいに満たされていた。

 ベルトルドは着替えが下手だった。脱ぐのは得意だが、軍服や着こなしが必要な衣服を身につけると、見事に着崩れてしまう。意図的にそうしているわけではなく、天然で崩れるのだ。

 そのため着替えに時間がかかるので、ベッドにしがみついて起きようともしないベルトルドを、アルカネットは魔法で引き剥がし、ベルトルドの部屋へと連れてきていた。

 寝ぼけ眼をこすりながら、ベルトルドは軍服を着る作業に取り掛かる。アルカネットがテーブルの上に順番に並べていたので、それを着るだけなのだが。

「どうしてアナタは、毎日同じ作業をしていて、上達しないのでしょうね…」

「人間誰しも得意不得意はあるもんだ。それに、俺は脱ぐのは得意だぞ。あと女の服を脱がすのも大得意だ!」

 フフンッと偉そうに笑う。

「そうでしょうとも。あれだけ御乱行していれば。素っ裸で帰ってくることも多かったですしね」

「…もう俺は、女遊びは辞めたんだ!」

「別に辞めなくてもいいのですよ? お好きなだけ女を取っ替え引っ替えして遊んでいればいいのです。リッキーさんには私がいますから、安心してくださいな」

「余計安心出来るかっ!」

 ようやく軍服を全て身に付け、鏡の前に立つ。

 雑に着たベルトルドの軍服を直しながら、アルカネットはホッとした表情で言った。

「それにしても、リッキーさんの心を救ってあげることができて、本当に良かったですよ」

「まだだぞ」

「え?」

 真顔になるベルトルドの顔を見つめ、アルカネットは首をかしげる。

「救ってあげられたのは、まだほんの表面だけだ。本当の意味で救うことになるのは、これからだ」

「確かに、言葉にして伝えただけに過ぎませんが…。まだ何か、彼女の心に問題があるのですか?」

「お前にも見せただろう、リッキーの過去を。俺たちが考える以上に、リッキーの心の傷は深いんだ。愛を伝えただけで、そう簡単に癒せるほど軽いものじゃない。お前も本気でリッキーを愛しているなら、覚悟しておけよ」

 眉間を寄せたアルカネットに、ベルトルドは頷いた。

「俺たちは、愛という鍵を使って、リッキーが忘れようとしていたものを収めた心の奥底の扉を、無理やりこじ開けてしまったんだからな」