【小説】片翼の召喚士-episode073

chapter-4.記憶の残滓編
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記憶の残滓編-episode073 【片翼の召喚士】

「リッキーが俺のことが大好きで大好きでたまらないっ! というのは物凄くよく判る。ウン、ウン。俺はずば抜けて超絶イイ男だからな。でもそれは、俺が地位も名誉もあり、若くてハンサムで格好良くて大金持ちだからという理由で、好きになったわけじゃあない」

 どこまで自惚れた自画自賛…と、溜息混じりに背後から聞こえるがスルーする。

「この俺だから、好きになったのだろう?」

 自信たっぷりな笑顔を見つめ、キュッリッキは押し黙った。色々とツッコミたかった箇所はあるものの、ベルトルドのことは好きだ。こんな自分に愛情を向けてくれて、色々助けてくれる優しい人。それが召喚スキル〈才能〉のためと言われても、ここまでしてくれた大人はいなかったから。

 2人の様子を見守りながら、よくもまあ恥ずかしげもなく言い切れるものだ、とアルカネットは思った。ベルトルドのこういうところは、相変わらずだと、別の意味で感心する。

 女にだらしない部分はあるものの、一度口にした決心は、必ず実行に移し、成功してきたことをアルカネットは知っている。

 子供の頃からそれは、ずっと変わらない。

 だから――。

「昨夜リッキーが思いをぶつけてくれて、何に苦しんでいるかよく判ったぞ。ずっと、助けてほしかったのだろう? 自分のことを全部判ったうえで、受け入れてくれる存在が欲しかった、違うか?」

 大きく目を見開いたまま、キュッリッキの視線は揺れた。黄緑色の瞳の中に、期待の色が濃く溢れる。

(本当に、判ってくれたの? 誰も気づいてくれなかったの……判って…気づいてくれたの?)

 荒れる感情を迸らせていれば、誰か気づいてくれていたのかもしれない。無意識の救済を。でも、手を差し伸べてくれる人はいなかった。ハドリーもファニーも、一歩手前で踏みとどまっている。キュッリッキが一番望んでいるものは、友人の2人すら与えてくれなかった。

 キュッリッキの瞳を見つめ返し、ベルトルドは力強く言った。

「俺がリッキーの全てを受け入れる。過去のことを思い出したら全部俺にぶつけろ。我が儘も俺に言え。好きなだけ求め甘えていい! リッキーが望むだけの、いや、それ以上の愛を俺が注いでやる!」

 18年という長い時間を経て、やっと受け入れてくれる大人が現れた。出来損ないでも愛してくれる大人が。親も見捨てた自分を、愛してくれるのだと。

 キュッリッキは自由になる左腕を、もがくようにしてベルトルドに伸ばした。今すぐにでもベルトルドに抱きつきたくて、動かない右半身を恨めしくさえ思った。

 ベルトルドはキュッリッキを抱き上げると、いたわりながら優しく抱きしめた。キュッリッキは左腕をベルトルドの首にまわして、憚ることなく大声で泣き喚いた。

 悲しい泣き声ではない。

 出会えた喜びにも似た、救い出された安堵のような、心の底から湧き上がるような泣き声だった。

「リッキーを、愛している」

 耳元でそっと囁くようなベルトルドの告白は、キュッリッキにとって生まれて初めて自分に向けられた、愛という言葉だった。

 愛されたい。子供の頃からずっと願ってきた、ただ一つの思い。

 片翼の出来損ないの自分を、好きになってくれる人が欲しかった。容姿やスキル〈才能〉を好きになってくる人はいた。しかし、キュッリッキの全てを、悪い面も重い過去もひっくるめて好きになってくれた人は、まだいなかった。

 でも、ようやくそんな人が現れた。

 ベルトルドの力強い言葉は、今まで心に巣食っていた澱(おり)のようなものを払拭して、眩しい光を注ぎ込んでくれた。身体中を蝕んでいた苦しいモノを消し、温かで優しい熱でいっぱいにしてくれた。

 愛していると、言ってもらえた。

 なんて心地よく、喜びに満ちた響きだろう。

 上っ面の薄っぺらい言葉じゃない。キュッリッキを全部知った上で、言ってくれた愛だ。だから、涙が溢れて止まらないほど嬉しい。

 嬉しくて嬉しくて、必死に泣いた。こみ上げてくる感情の全てを泣き声に乗せて、言葉で言い表せない想いを込めて泣いた。

「リッキーさん」

 アルカネットに優しく呼びかけられ、キュッリッキは顔を上げてアルカネットを見る。

「私もあなたを愛していますよ。ベルトルドに負けないくらい、いえ、上回るほどに。私の愛は、全てあなたのものですからね」

「アルカネットさん……ありがとう」

 優しく微笑んでくれるアルカネットに、キュッリッキも涙顔を微笑ませた。

 いつまでも止まらない涙を、アルカネットがハンカチでそっと拭ってくれる。それも嬉しくて余計に涙がこぼれた。

 すると突然、ベルトルドがアルカネットと距離を置いて離れた。そして、ジロリとアルカネットを睨みつける。

「リッキーは俺のものだからな! お前には絶対あげないぞ」

 キュッリッキを抱きしめたまま、ベルトルドは鼻息荒く言い放った。キュッリッキは「ふぇ?」と目を丸くする。

「リッキーさんを物扱いするような言い方はよして下さい、相変わらず失礼なひとですね。まあ…もっとも、私とリッキーさんはすでに唇を重ね合った仲ですから。アナタがとやかく言う筋合いではないのですよ」

 光の粒子が零れるような、勝ち誇った笑みを満面に浮かべるアルカネットを、ベルトルドは歯ぎしりしながら忌々しげに睨みつけた。が、あることに気づいたように、無邪気な笑みを腕の中のキュッリッキに向ける。

(リッキー、キスしてもいいか?)

「えっ」

 念話でいきなり素っ頓狂なことを問われて、思わず声に出してしまう。アルカネットがそれに気づいて首をかしげた。

(俺もリッキーとキスしたいんだ! だからいいだろう?)

 何がいいんだろう!? と思った。

 握り拳を高らかに掲げて胸を張る姿が想像できそうな、有無を言わせない迫力に、キュッリッキは顔を真っ赤にして硬直してしまった。

 何故この人は自分と、そんなにキスがしたいのか。謎と疑問が鎌首をもたげる。

 この時、ベルトルドもアルカネットも、ある一点に気づいていない。

 確かにキュッリッキは愛に飢えていた。そして、2人はキュッリッキに惜しみない愛を注いだ。しかしその愛を、キュッリッキは恋愛感情と結びつけて捉えてはいなかった。

 一言”愛”といっても、色々な形がある。

 ベルトルドもアルカネットも、キュッリッキを慈しみ、守る大いなる父性愛もあったが、それ以上に男と女の恋愛面も強く滲ませた愛だった。

 愛されたいとは願っていた。しかし当のキュッリッキは、どんな形の愛を望んでいたのか、自分ではよく判らないでいた。そもそも愛というものに、様々な種類があるなんて知らないのだ。少なくとも、2人が求める恋愛の形ではないことだけは確かだった。

 キスというのは、男と女がするもの、というのは知っている。そして、キスをするのは、恋人同士がするものだと。

 恋人同士ではないのに、何故ベルトルドはこんな執拗にキスを望んでいるのか。キュッリッキの頭の中は、目まぐるしく色々な事が走り回っていた。

 思えばまだ知り合って日も浅く、傷を負った自分のために遠方から駆けつけてくれた。手配してくれた医者だって、この贅を尽くした部屋だって、何もかも当たり前のようにしてくれる。

 自分に向けてくれる優しさは本物だし、愛していると言ってくれた。

 記念すべきファーストキスは、アルカネットと思わぬ形で完了してしまった。

 だから…。

(……一回だけなら)

 真っ赤な顔を俯かせながら、心の中でそっと呟いた。ベルトルドへの感謝の気持ちということでなら。

 ベルトルドは「よっしゃあ!」と心の中で叫ぶと――念話でキュッリッキに筒抜けていた――キュッリッキをベッドに寝かせ、そのまま強引にキスをしてしまえと屈み込んだ。

 アルカネットに気づかれる前にしてやるぞ! と、ベルトルドは燃えていた。顔はロマンスを貼り付けたように平静を装ってはいたが、心の中はこのチャンスを逃してなるものかと必死だった。

 お互いの吐息が触れ合う所まで近づいた。しかし、その先へ顔は進まなかった。

「………」

 ベルトルドは必死に首を伸ばした。顔を赤らめて驚いたように目を見張るキュッリッキの顔を間近に見ながら、唇を尖らせればあと少しの距離で――

「いい加減にしろや」

 ベルトルドの襟首をガッシリと掴んだアルカネットが、憤怒の形相でベルトルドを睥睨している。本気で怒っているらしく、口調もガラリと変わっていた。

 その声音にキュッリッキがビクリと身体を引きつらせる。自分の知らないすごい剣幕のアルカネットが、ベルトルドの後ろに見えるのだ。ついでにベルトルドの必死な形相も怖かった。涙を垂れ流し続け、口を尖らせ迫ってくる。タツノオトシゴのような顔だと、ちらりとキュッリッキは思った。

「俺もキスしたいっ!!」

 悲痛な叫びと言ってよかった。しかし姿勢的に不利らしく、ベルトルドは必死でもがいたが無駄な努力に終わった。

 襟首を掴まれたままキュッリッキから引き剥がされると、アルカネットの面前に今にも泣きそうなベルトルドの顔が向けられた。

「私の前でよくもいけしゃあしゃあと、痴態を晒せますね」

 眉間に縦皺を刻んで、殺気立つ視線をベルトルドに向ける。普段の温厚な表情など微塵も感じなかった。

「お前ばっかり狡い!! 俺もリッキーとちゅーしたい!! リッキーの承諾はもらってるんだからいいじゃないか」

「やはり念話で迫ったんですね。イヤラシイったらないですよ、このおっさんは」

「声に出して言ったら、お前阻止するだろう!」

「当たり前です。そんなにキスがしたいなら、適当に女でも見繕ってきますよ。この屋敷のメイドたちなんて如何でしょう。アナタに秘めやかな恋心を向けているのですよ?」

「俺はリッキーとちゅーがしたいんだ! 他の女なぞいらんっ!!」

「私がそれを許すと思いますか? ああ、今日から私がリッキーさんと一緒に寝ることにします。アナタの毒牙から守ってあげなければ」

「俺が一緒に寝る! お前は自分の部屋で寝るがいい!!」

 さっきまでの幸福に包まれた感動は、何処へ行ってしまったのか。溢れる涙に視界が曇るほどの喜びも、今は砂に吸い取られる水の勢いで乾いていっているキュッリッキだった。

 自分よりもウンと年上の男性2人が、何故こうもキスをしたい、させないと喧嘩になるのか。そうしみじみ思いながら、2人の舌戦を見上げた。

 ――唇と唇でのキスは大事な人とするものなんだから、無闇に振りまいちゃダメだからね!

 前にファニーにそう言われている。

 確かにベルトルドもアルカネットも、キュッリッキにとって大事な人になった。しかしファニーの言っていた『大事な人』の意味とは、なんとなく違うような気がしている。そう、恋人とは全く違う大事な人、という感じだ。

(おとうさんが、2人も出来たみたいな感じ…)

 親というものがどんな存在なのか、子供を捨てるもの、という以外知らないキュッリッキでも、ベルトルドとアルカネットは、父親のように感じていた。だから、キスをする間柄とは捉えにくい。

 もしかして2人は、自分を娘のようには思っていないのだろうか? 違う意味での愛なのだろうか。恋愛経験が一切ないキュッリッキには、恋愛というものは理解の範疇外だった。

 やがて考えることに疲れてキュッリッキが大きな溜息をつくと、それに気づいて2人はきゅっと黙り込んだ。

 室内が異様に静まり返り、時計が時を刻む音だけが、カチリ、カチリと鳴り響く。

「――着替えて食事を済ませてきましょうか」

「風呂にも入らないとな」

 2人は恐る恐るキュッリッキを見ると、複雑な色を浮かべた瞳とぶつかり、気まずそうに視線をあらぬ方向へ彷徨わせた。

「じゃ、じゃあ、後でなリッキー」

「先に休んでいて構いませんからね」

 そう言いおいて、2人はそそくさと部屋を出て行った。