【小説】片翼の召喚士-episode070

chapter-4.記憶の残滓編
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記憶の残滓編-episode070 【片翼の召喚士】

 診察と手当が終わると、ヴィヒトリは点滴の用意をして、キュッリッキの細っそりした腕に針を刺した。

「痛くないかな?」

「うん、平気」

「ちょっとばかし、軽い脱水症状になってるから、点滴している。――終わったら、針の抜きかた判ります?」

 ヴィヒトリは後ろに控えるリトヴァを見る。

「はい、存じ上げております」

「じゃあ、終わったら片しといてね」

「承りました」

「とにかく熱が下がって良かった。もうこれからは治るダケだから、安心してイイヨ」

 キュッリッキの頭を優しくポンッと叩いて、ヴィヒトリは立ち上がった。

「また明日ね、キュッリッキちゃん」

「ありがと、先生」

 手を振ってヴィヒトリはドアへと向かう。

「失礼致します」

 キュッリッキに頭を下げて、リトヴァはヴィヒトリに続いて部屋を出ていった。

 急に部屋が静まり返り、キュッリッキは時計に目を向ける。

 もう10時になろうとしていた。

 キュッリッキは再びしょんぼりすると、表情を一気に曇らせた。

 せっかくよくしてもらったのに、明日にはここを追い出されるのだ。ああしてリトヴァやメイドたちが世話を焼いてくれたが、それはきっと、ベルトルドが言い忘れただけなのだろう。

 動かない身体は、アルケラの子たちに助けてもらえばハーツイーズに帰れる。ハドリーやおばちゃんたちは驚くだろうが、怒らせてしまったのだからしょうがない。もしかしたら今夜にでも追い出されるかも。

 そう思うと更にガッカリして、ベルトルドに謝る機会はあるのか不安になった。

 シーツに顔の半分を埋めてぼんやりと落ち込んでいると、ノックがして、メルヴィンとルーファスが顔を出した。

「おはよう、キューリちゃん」

「おはようございます、リッキーさん」

「ルーさん、メルヴィン」

 ラフな普段着姿のルーファスとメルヴィンが、笑顔で部屋に入ってきた。

「意識が戻って良かったです、本当に」

 安堵を浮かべた顔で、メルヴィンはホッと胸をなで下ろす。それに「うんうん」と頷いて、ルーファスはニッコリと笑った。

「熱も無事下がったんだってね。ずっと苦しそうだったから、安心したよ。顔色もイイね」

 愛嬌のある笑みを向けられて、つられたようにキュッリッキも微笑み返す。

「今の気分はどうですか? 辛いところや痛いところなどありませんか?」

 ルーファスの隣に立ったメルヴィンが、心配そうに身を乗り出した。

「大丈夫だよ」

「そうですか、良かった」

「さっき、リトヴァさんてひとがきて、身体拭いてもらって、頭も洗ってもらったの。だからすっきりしてる」

「なるほど~」

「女の子だもんな。身だしなみは気になるよねえ」

「うん」

「ここで厄介になってるあいだは、毎日世話しにやってくるぞ」

 ベッドの端に腰をかけたルーファスは、ややうんざりしたように肩をすくめた。

「まあ、怪我が治るまでは、お嬢様生活を満喫するといいさ」

「本物のお嬢様って、毎日あんな調子でメイドが全部してくれるの?」

「ハーメンリンナに住んでるお嬢様は、それが普通さ」

「……そうなんだ」

 今は自分で動けないので、世話を焼いてもらえるのは助かるが。でも、毎日あんなにゾロゾロ押しかけられたら、鬱陶しいと思わないのだろうかと、キュッリッキは呆れてしまう。

 お嬢様をやるのもタイヘンなんだなぁ、と思ってしまった。

「昨日ちょろっと見ただけだったけど、凄い部屋だねえ。ベルトルド様とアルカネットさんの気合を感じるよ…」

 ルーファスは引きつった笑みを浮かべた。宮殿騎士などをやっていたので、高級家具は見慣れている。その目で見ても、この部屋に尽くされた贅は、相当のものだった。

「そうですね。でも、陽当りもよくて、明るく素敵な部屋ですね」

 メルヴィンも苦笑気味に言った。豪華ではあるが、どことなく少女趣味な趣もあって、キュッリッキのために設えられたのだとよく判る。

「ねえ、そいえばなんで2人だけここにいるの? 他のみんなは?」

「オレたちが代表で、リッキーさんのお世話を任されたんです」

 にこりとメルヴィンに言われ、ふいにキュッリッキの顔が曇った。

「ごめんね、アタシのせいで…」

「なんで謝るの」

 困ったように笑いながら、手を伸ばしたルーファスが、そっとキュッリッキの前髪を指で掬った。

「そこは謝るとこじゃないでしょ。イイ男が2人も一緒にいるんだよ、素直に喜べばいいんだから」

「…そうなの?」

「そうなの」

 2人の笑顔を見て、キュッリッキは心底申し訳なく思う。そして心に、小さな痛みが走った。

 もうすぐ追い出されるかもしれないのに、2人はそれでも心配してくれるだろうか。仲間じゃなくなったら、ただの赤の他人に戻る。そしたらそれきりになってしまう。

 ――寂しいと思った。

 目を伏せて沈んでしまったキュッリッキを見て、ルーファスとメルヴィンは困惑したように顔を見合わせた。

 さきほどヴィヒトリが投与した薬が効いてきたのか、緩やかな眠気に誘われるまま、キュッリッキは目を閉じた。そして何も考えられなくなり、吸い込まれるように意識は眠りの底へと沈んでいった。

 キュッリッキが寝入ったのを確認し、2人は一旦部屋を出る。

「なんだか元気なかったな、キューリちゃん。まあ、目が覚めたばっかりで、色々驚いているんだろうケド」

「どことなく、塞ぎ込んでいた感じでしたね。何か心配事でもあるのかな」

「ふむ~。――病院よりも、気分的にずっと癒されやすいだろうって、ベルトルド様は自分の屋敷にキューリちゃんを連れてきたって言ってたけどネ」

 病気や怪我人だらけの病院で、心身が休まるか! とベルトルドは言っていた。確かにそうは思う。幸い主治医は毎日診察に来るし、同じハーメンリンナ内だから、何かあればすぐに駆けつけられる。それに、ホームドクターがこの屋敷には常駐しており、主治医が来るまでは適切な処置もしてもらえるから安心だ。

 そう思う一方、ルーファスは嫌な考えにたどり着く。

「まさか…」

「え?」

「あのエロオヤジになにかされてるんじゃ……」

「――即否定出来ないものが、ありますよね」

 いくらなんでも、常識くらいはあの人にだってありますよ。と考えたい気持ちと、まさかと思う否定出来ない部分の葛藤に、しばし2人は悩まされた。

 昼過ぎにキュッリッキは目を覚ました。しかし、何となくぎこちない時間だけが過ぎて行った。

 更に陽が落ちていくにつれ、目に見えて落ち込み度が深まっていく。

 ルーファスもメルヴィンも心配がどんどん膨らみ、何かあったのかとなんとか聞き出そうとするが、キュッリッキは目を伏せたまま答えようとしない。無理強いするのも可哀想になるくらい落ち込んでいるので、それ以上追求も出来なかった。

 そうこうしているうちに夜になり、執事代理のセヴェリが呼びに来て、2人は夕食をとるため部屋を出た。

「そういやベルトルド様達遅いな。もう帰ってきてもいい頃だろ?」

「昨日は仕事を休む形になってますから、きっと残業なんでしょう」

「ああ…」

 天井を見上げながら、ルーファスは何度も頷く。

「副宰相、全軍総帥、ケレヴィルの所長もやってたよな確か。役員とかもけっこう抱えてたし。国政と軍事だけでも大変なのに、オレらの後ろ盾もやってるんだよなあ」

「なんでも、司法にもちょっと触れてるみたいですよ…」

「ひい」

 毎日大変そうだなあと、2人は苦笑する。ハワドウレ皇国という、巨大な国の政を任されているのだ。事務処理だけでも大変な量だろうと想像がつく。

「お2人が戻るまでは、オレ達でそばにいたほうがいいですよね?」

「そうだね。ただ、キューリちゃんが一人になりたそ~なオーラ漂わせてるから、ちょっと…」

 心配事を口に出すのも辛そうに、塞ぎ込んでしまっていた。

「そんな雰囲気になってましたね。でも、なおのこと一人にしておくのも不安ですし、早めに食事を済ませちゃいましょう」

「だな」