【小説】片翼の召喚士-episode069

chapter-4.記憶の残滓編
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記憶の残滓編-episode069 【片翼の召喚士】

 キュッリッキが夜中のことで後悔に頭をぐるぐるさせている3時間ほど前、アルカネットにしょっ引かれたベルトルドは、総帥本部の執務室の中にいた。

 ベルトルドは猛烈に不機嫌を表情に貼り付けたまま、デスクの前でふんぞり返る。

「確かに俺は仕事をサボった。たった、1日だけ、サボった」

 否1日半か、と訂正しながら腕を組み、仁王立ちして目の前のデスクの上を見下ろす。

「だからといって、この書類の量はなんだ? たった1日半だけしかサボってないぞ!? 俺は勤勉家なんだ。毎日真面目に働いて働いて働いているのに、たった1日半サボっただけで、これはないだろう?」

 これ、と白い手袋に包まれた指で、デスクの上を全て覆い尽くすほどの書類の山を差した。必要以上に”たった”を強調する。

「アナタ気づいてないでしょうが、毎日さばいている仕事が、この量なんです」

 真横に立ち、アルカネットがしれっと答える。

「これは全部、軍関係ですね。国政関連は宰相府でしょうか」

「……そっちはリューに押し付けてある」

「アナタのハンコを、リュリュが押してるのですか……」

「ウン。俺でなければ無理な決済だけは保留させてある」

「それでこの国が成り立っているのかと、不思議でなりませんね」

「今回だけだ、今回だけ。それに、お前はあまり知らないだろうが、リューは俺より政務に向いてるぞ。俺の秘書官なんてやってるが、大臣でもやらせたほうが、よほどこの国のためになるくらいにな」

「ふむ。まあ、リュリュはターヴェッティで3位卒業でしたしね」

「俺が首席、お前が次席、リューが3位、上位を3人でとってやったもんな」

 ふふんっとベルトルドが得意そうに笑むと、アルカネットは肩をすくめた。

「昔話よりも、早く取り掛かりなさい。現実を受け止め今すぐ始めないと、同じ量の書類があと3時間後には、ここに運ばれてきますよ?」

「ンぐ……」

 眉がヒクヒクと引きつって、ベルトルドは駄々っ子のように口をへの字に曲げた。

「今日だけは手伝って差し上げますから、さっさとお座りなさいな」

 アルカネットは書類を手に取ると、テキパキと選別し始めた。

 ベルトルドは不承不承椅子に座ると、拗ねた視線をアルカネットに向ける。

「いい歳したオッサンが気色悪い。はい、すぐに目を通してハンコ押しなさい」

「……おう」

 書類のひとまとめを目の前に置かれ、引き出しからハンコを取り出すと、黙々と押す作業に取り掛かった。

 書類の山が3分の2ほど片付いた頃、アルカネットが紅茶を淹れてきて、デスクに置いた。白磁のティーカップから、温かな湯気と上品な香りがたちのぼる。

 ベルトルドはティーカップを手に取ると、爽やかな匂いを楽しみ、一気に飲み干した。

 アルカネットは決済された書類を、リュリュが使っているデスクに置く。

「なんとか間に合いそうですね」

「うむ。さすが俺」

「さすが私のアシスト、ですよ。ところで、今日はどこかに時間を作ってもらえますか? シ・アティウスと私から、例の報告をします」

「ああ」

 すっかり忘れてた、とベルトルドは顎をさすった。

「俺もお前にちょっと相談があるんだ。――今日は御前会議が昼食後にあるんだったな…。そのあとも軍のほうで会議か」

 壁にかけられた時計を睨みつけ、首をかしげる。

「そうだなあ……夜まで空きそうもないが、帰る前でもいいか?」

「判りました。シ・アティウスにもそう伝えておきます」

「うん」

 カラになったティーカップを手に取ると、プラプラと揺らしておかわりを催促する。

「はいはい」

 アルカネットはティーカップを受け取り、執務室に設えてある給湯スペースに向かう。

 紅茶を淹れるアルカネットの後ろ姿を見つめながら、

「今夜は、リッキー口きいてくれるかな…」

 小さくぽつりと、不安そうに呟いた。

 荒れたままの状態で意識を失わせてから、まだ話をしていない。

 目を覚まして、自己嫌悪に陥ってはいないだろうか。そのことを考えると、心配でため息しか出てこなかった。

 そろそろ8時になろうかという頃、ノックがして、ゾロゾロと女性たちが入ってきた。

「お目覚めでございますか? おはようございます、お嬢様」

「おはようございます」

 初老に差し掛かった風貌の女性と、まだ20代くらいの女性たちが数名、キュッリッキに向かって朝の挨拶をした。

「お、おはよう…」

 きょとんっとした表情で、キュッリッキはぎこちなく挨拶を返す。

(お嬢様って……アタシのこと?)

「ご気分は如何でしょうか。どこか、お苦しいところなど、ございませんか?」

 慇懃に訊ねられて、キュッリッキは小さく首を振る。

「ドコも苦しくないよ」

「それは、ようございました」

 老婦人はニッコリと微笑んだ。

「わたくしは、この屋敷でハウスキーパーをつとめております、リトヴァと申します。今日からお嬢様の、お身の回りのお世話をさせていただきます」

 そういって、丁寧に頭を下げた。

「後ろにおりますメイドたちも、共にお世話をさせていただく者たちです。どうぞ、なんなりとお申し付けくださいね」

 メイドたちも、ひとり一人名乗りながら頭を下げた。

 しかしキュッリッキは、文字通り、ぽかーんと口を開けて固まってしまった。その表情を見て、リトヴァが首をかしげる。

「どうかなさいましたか? お嬢様」

「え…、えっと…」

 表情とは裏腹に、キュッリッキの頭の中は忙しく回転していた。

(やっぱりアタシがお嬢様って呼ばれてる、なんでだろう? ココってドコなのかな…。ベルトルドさん隣に寝てたから、もしかしてココって…)

「あ、あの」

「はい」

「あの、ココって、ベルトルドさん…ち?」

 おっかなびっくり問うと、リトヴァは明るく笑んだ。

「さようでございます」

 身体が元気であれば、飛び上がって驚くところだ。

 キュッリッキの驚いた様子に、リトヴァは小さく頷く。

「昨日、お屋敷にいらしたときから、お目覚めになっていなかったのですね。――ここはベルトルド様のお屋敷でございます。そして、このお部屋は、お嬢様のためにご用意されたものでございますよ。お気に召すと良いのですけれど」

「うん、とっても素敵なお部屋だね」

「旦那様もアルカネット様も、お喜びになりますわ。ここは、南棟の2階にあるお部屋でございます。お屋敷の中でも陽当りも風通しもいい、お身体を癒すには最高でございます。旦那様とアルカネット様が、慎重に検討なされてご用意しておりましたから」

 語尾がやや小さくなり、リトヴァと背後のメイドたちの表情が、何とも言えないモノになっていて、キュッリッキは首をかしげた。

 家具やベッドの配置、インテリアに至るまで、あの2人が喧しいほど注文をつけて、寸分の狂いもなく使用人たちにやらせたということは、キュッリッキは生涯知ることはない。

 ハァ、と小さくため息をつくと、リトヴァは「失礼いたします」と言って、キュッリッキの額に触れた。

「お熱の方もすっかり下がっているご様子、お医者様がお見えになる前に、お支度をしてしまいましょうね」

「支度?」

「はい。お身体を拭いて、お着替えを済ませてしまいましょう」

 部屋に簡素なベッドが運び込まれ、キュッリッキはそのベッドの上に寝かせられた。

 運んだのはリトヴァだが、サイ《超能力》を使って丁寧に運んでくれた。リトヴァもベルトルドと同じように、スキル〈才能〉はサイ《超能力》のようだ。

 そして若いメイドたちに寝間着と下着を脱がされると、恥ずかしいと思う間もないほど素早く、温かいタオルで丁寧に拭いてもらった。香料の入ったお湯なのだろう、ふんわりとバラの香りが鼻にも気持ちが良い。

「どこか、お痒いところなどございませんか?」

 アリサと名乗ったメイドが訊ねてきて、キュッリッキはダメもとで訴えてみた。

「えっと、頭が痒いの…」

 尻すぼみになりながら言うと、アリサはにっこりと笑って、リトヴァに頷いた。

「判りました。では、頭と髪も洗って差し上げましょうね」

 怪我に響かない姿勢で身体が浮くと、メイドたちは丁寧に頭と髪を洗いにかかった。シャンプーもバラの香りがして、キュッリッキの表情がホッと和む。

 実はずっと、頭を洗いたくてしょうがなかったのだ。痒かったし臭うしで、怪我や熱に苦しみながらも、そのへんもちょっと思っていたから、これはとても嬉しい。

 キュッリッキの表情を見て、アリサはクスッと笑った。

「女の子ですものね」

 何を考えているか判ったのだろう。キュッリッキは頬をちょっと赤らめ、苦笑で返した。

 頭も髪も綺麗に洗ってもらって、そのあと熱風が髪を揺らしてキュッリッキはビックリする。

「これはドライヤーというものです。すぐに髪が乾きますよ」

「うわあ…」

 電気エネルギーで動くものだと言われて、更にビックリする。

 電気というものは、一般人には無縁と言っていいものである。ハーメンリンナの中では、当たり前のように使われているエネルギーで、ハーメンリンナの外では、公共施設や病院、一部の地域だけしか供給されていない。

「便利な道具なんだね」

「本当でございますよ。ハーメンリンナの外では、馴染みがありませんもんね」

 苦笑気味に言うアリサに、キュッリッキはウンウンと頷いた。

 髪を乾かしてもらったあと、ブラッシングもしてもらって、新しい寝間着と下着を着せてもらい、ベッドに寝かせてもらった。枕カバーやシーツも新しいものになっている。

「お疲れ様でございました。後ほどお医者様がお見えになりますので、それまでどうぞ、ゆっくりおやすみくださいませ。他に、なにか欲しいものなどございますか?」

「んーん、何もないよ、ありがとうみんな」

 リトヴァとメイドたちは丁寧に頭を下げ、そして部屋を出て行った。

 頭からつま先まで綺麗になって、キュッリッキは気持ちが良かった。そしてホッとしていると、またノックがして、リトヴァが顔を見せた。

「お医者様がお見えになりました」

 リトヴァの後ろから、金髪の若い男が入ってくる。

「やあ、今日は顔色がいいね、良かった」

 男は白衣を翻させて、ベッドの脇の椅子に座る。

「改めて初めまして。ボクはヴィヒトリ、君の主治医になったんだ。ヨロシクね」

「よろしく」

 僅か引き気味に、キュッリッキは小声で挨拶を返した。

 まだ20代前半くらいの、年若い男だ。

 胸元くらいまである金の髪は、キュッリッキの金髪よりやや濃い色をしている。青い瞳を埋め込んだ切れ長の目、そこに少し太めの黒縁のメガネをかけていた。

 感じのいい笑顔を貼り付けているので、親しみやすい印象があった。

 ただ、キュッリッキは人見知り体質である。相手が医者だろうと使用人だろうと、初めて言葉をかわすときには、どうしても距離をあけてしまう癖がある。わざとそうしているんじゃなく、自然とそうなった。

 さきほどリトヴァやメイドたちは、いきなりのことだったし、身体も綺麗にしてもらえて心が緩んでいた。それに同性同士なのもあって、男よりはまだ話はしやすい。

 ヴィヒトリはキュッリッキの様子を見て、

「キュッリッキちゃんは、人見知りする子なんだね」

 そう言って、意地悪っぽく笑った。

「う…」

 図星だから否定しようがない。離れたところで様子を見ていたリトヴァは、思わず吹き出してしまっていた。

「まあ、これから毎日顔を合わせることになるから、人見知りしてるヒマなんてないヨ。だから安心するんだ。さ、診察、診察」

 ヴィヒトリはサクッと断言して、カバンからカルテを出してペンをとった。