【小説】片翼の召喚士-episode063

chapter-4.記憶の残滓編
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記憶の残滓編-episode063 【片翼の召喚士】

 到底人の足で登れるほど易くない断崖絶壁の奇岩の上に、みすぼらしい修道院が建てられている。

 石を積み上げて作られたその修道院の周囲には、若干の樹木が少ない緑をつけていた。かろうじて命が育める程度の土はあるらしい。

 この奇岩の上から眼下を臨むと、平地に草原が大きく広がり、白い羊が草を食んでいる姿が点々と見えるくらいだ。

 遮るものがない岩の上は、地上よりも風の威力が強く、また気温も低い。空も雲も手が届きそうな気がするほど、地上よりは空の方に近さを感じるような場所だった。

 小さな鐘の音が岩の上に鳴り響き、子供たちの元気な声が鐘の音に重なる。

 昼食の時間を知らせる鐘の音だ。

 小さな窓がいくつかある薄暗い食堂に、真っ白な子供の姿が粗末なテーブルに並び、元気に皿の中身を啜っていた。

 よく見ると、それが服ではなく、白い翼だと気づく。

 大きくはないが、鳥が備えているような美しい白い翼。子供たちの背には、折りたたまれた翼が生えている。

 アイオン族。

 有翼人種と言われる、背に翼を持ち、自由に空を翔ることのできる種族だ。

 男女共にそれぞれ美しい容姿を持ち、華奢な身体つきをしているのが特長である。しかし、翼を仕舞ってしまえば、外見ではヴィプネン族と見分けがつかない。

 アイオン族の子供たちは、生まれてから翼は常に出しっぱなしで、7歳になると己の意思で自由に出し入れが可能になる。

 翼をしまう時は、空気に溶けるようにして掻き消えていく。そして広げるときは背から生えてくるのだ。

 とくに背中に翼を仕舞っているような膨らみは見られず、どうやって生えてくるのか、他種族からは不思議がられていた。しかしアイオン族にしてみれば、それが当たり前のことなので、特別気にかけるものなどいない。

 この修道院にいる子供たちの年齢は様々だった。まだ7歳にも満たない子供が多く、翼は出しっぱなしになっていたし、7歳以上の子供も出したままでいた。

「おまえ、こっちにくんなよ」

 茶色い髪をした少年が、隣に座る金髪の少女の足を蹴った。

 裸足でも蹴られれば痛い。少女は鈍い痛みに、僅かに顔を歪めた。

「さっさと食って、あっちいっちゃえー!」

 そうだそうだ、と、テーブルのあちこちで声が上がる。

「お食事の時は、静かになさい」

 老いた修道女がやんわりと嗜めると、だって先生、と不満の声が返される。

「こいつボクの隣に座るんだよ。感染っちゃうじゃないか」

 本気で嫌そうな顔をする少年の肩に、修道女はそっと手を置いた。

「大丈夫ですよ。病気ではないのですから」

 少年の心配をぬぐい去るような、温かな笑みを浮かべる。しかし、少女に向けられる目には、厄介者を見るような、労りの欠片もない色があからさまに浮かんでいた。

「早く食事をすませて、部屋へお行きなさい」

 そっけなく修道女から言われると、少女は皿に残るスープを急いで口に入れて、飲み込む前に椅子を降りた。

 食事が終わったら、手を合わせて「ごちそうさま」と挨拶をしなければならないのだが、それをしなかった少女を誰も咎めなかった。

「早く出て行け」

 食堂にいる全ての者の目がそう語っていた。

 食堂から追い立てられるように出てきた少女は、食堂よりもさらに薄暗い部屋に入ると、後ろ手に扉を閉めた。

 明かりとり用に小さく四角くくり抜いた、窓がわりの穴があいているだけの、元々納屋に使っていた狭い部屋。ひんやりと冷たく、牢獄を思わせる部屋だった。

 少女のために用意された、特別な個室。

 ここは修道院とは名ばかりの、男女が同衾する小さな孤児院である。幾人かの修道女と、身寄りのない孤児たちが一緒に暮らしている。

 孤児たちは男女別々の大部屋で寝起きしているが、少女は個室を与えられていた。

 別に少女の待遇が特別なものではなかったが、物心が着く頃になると、この部屋で寝るよう修道女たちから言いつけられている。

 ほかの孤児たちが、少女と一緒だと嫌がるからだ。

 少女は粗い毛で織られた毛布の上に、うずくまるように座ると、感情の色の伺えない黄緑色の瞳を前方にひたと据えた。

 その瞳は薄暗いこの部屋ではない、別の場所を視ていた。

 黄緑色の瞳に、虹の光彩が広がり光る。やがて、部屋の中の空気が振動し、小さく透明な波紋が空間に広がった。やがて少女の周りには、不可思議なものがいくつも現れ、少女の周りを楽しげに飛び始めた。

 それは青い色の蝶の羽をしているが、大人の人差し指くらいの大きさしかない少女の身体の背にあるのだ。

 ヒラヒラと羽を動かすたびに、青い光の粒子がキラキラと舞った。

 それまで感情の色も見えなかった少女の顔に、子供らしい明るい笑みが、ゆっくりと広がっていった。

 突然現れた白銀の毛並みを持つ仔犬が、それを見上げて嬉しそうに尻尾を揺らす。

 少女は仔犬の頭を優しく撫でる。掌に伝わる毛皮の柔らかさと温もりが、少女の表情を和らげた。

「ひとりでも、さみしくないもん」

 囁くように、小さな声で少女は呟く。仔犬はその言葉を悲しむように、少女の足に頬を何度も擦り付けた。

「フェンリルといっしょだから、さみしくないよ」

 言葉を少し訂正しながら、少女は再び仔犬の頭をそっと撫でてやった。

「フェンリルも、あるけらのこたちも、アタシをいじめないもん」

 心がチクチクと痛む。言葉に出して言っても言わなくても、常に心が痛かった。

 物心着く頃には、少女はいじめられていた。大人の修道女たちも、孤児たちと一緒になっていじめるのだ。

 ――なんでいじめるの?

 いじめられる原因が、当初は判らず少女は困惑した。

 他の孤児たちと一緒に寝起きさせてもらえない、食堂に行くとゆっくり食事をさせてもらえない。

 そして、片方しか翼がないことを、罪悪のように責め立ててくる。

 そう、少女が片翼であることが、いじめの最大の原因だった。

 アイオン族はその背に2枚の翼が生えているのが特長だ。翼は飾りではなく、鳥のように自在に飛ぶことができる。その翼が片方しかないということは、アイオン族にとって障害児ということになる。

 本来なら守られるべき存在なのに、どういうわけか少女はそのことで、いじめを受け続けていた。

 それは、何十年も前に撤廃された、悪しき法の名残だ。いつまでも暗い影を、国民に落とし続けている。少女はその最大の被害者といってもいい。

 そんなことは、少女には判らない。判っていることは、心が痛い。それだけだった

 夕食を知らせる鐘が鳴り、少女は部屋を出た。

 出される食事は、最低限飢えを凌げる程度しかない。育ち盛りの孤児たちにとっては、物足りないくらいだ。動いていなくてもお腹はすいてしまう。

 食堂へ向かおうとしたが、部屋のそばにスープの皿と小さなパンが置かれているのに気づき、少女は昏い視線を落とした。

 食堂へは来るな、ということだ。

 昼間騒ぎ立てられたことを思い出し、少女はすぐ納得する。あんなふうな騒ぎがあったあとは、きまってこうして部屋の外に食事が置かれるのだ。

 少女は無言でその皿とパンを拾うと、部屋に戻り扉を閉めた。そして小さなため息をついてその場に座り込み、冷め切ったスープをすすった。

 夜になると一気に冷え込むので、温かいスープが飲みたかった。でも、こうして食べ物を与えられるだけマシなのだということを、少女は判っている。

 仔犬が労わるように、少女の足に顔を擦り付ける。それがこそばゆくて、少女は目を細めた。

 消灯時間が過ぎた頃、少女はそっと部屋を出て、真っ暗な廊下を危なっかしく歩きながら、火の落ちた台所に入る。流し台にスープ皿を置いて、近くに有る木箱を引っ張ってきてその上に立つと、貯めおけから水を汲んで丁寧に皿を洗った。ちゃんと洗って皿を返しておかないと、今後食事がもらえないのだ。

 夜半にもなるといっきに気温が下がり、水は冷たく、少女はヒリヒリと手に感じる冷たさに息を吐きかけながら洗った。

 皿を拭いて棚に入れ、木箱を元の位置に戻し、少女は台所を後にする。そしてその足で浴場へ向かい、真っ暗な脱衣所で粗末な服を脱いだ。

 子供には大きすぎる鏡の前で、少女は複雑な色を表情に浮かべて、身体を後ろに向けた。

 肩ごしに、鏡に映る自分を見る。

 右側に生えた翼、そして左側には――

 ちぎり取られ、毟られたような、翼のような残骸があった。

 少女は今にも泣き出しそうな目をして、その無残な左側の翼を見つめる。

 毎日こうして鏡の前で、自分の左側の翼を見る。それは、いつか真っ白い、右側と同じ翼が生えてくるのではないか。そう期待するからだった。

 しかし少女の願いを裏切るように、翼にはなんの変化もない。確認するたびにがっかりするだけだった。

 この修道院の子供たちは、いつも口々に言う。

 ――お前は病気持ちなんだ。

 ――感染ったらどうするんだよ。

 ――あっちいけよ。

 ――不細工で目障りだ!

 子供たちの言葉には容赦がなかった。それにもまして、修道女たちの目も、子供達と同じような意味を滲ませて少女を見ていた。

 少女は頭の中に浮かんだそれらの言葉を払拭するように頭を振り、下着も脱ぐと洗い場に入り、冷め切った湯を身体にかけた。