【小説】片翼の召喚士-episode046

chapter-3.混迷の遺跡編
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混迷の遺跡編-episode046 【片翼の召喚士】

 あれだけ怯えていた神殿に駆け込んでいってしまった後ろ姿を皆が唖然と見やり、何とも言いようもない空気だけが、無遠慮に空洞の中に流れていた。

 誰もが言葉を探すように沈黙を続けるその場に、突如地震のような振動が襲った。立っていた者たちが、思わずよろけるほど大きい。

「あわわっ地震!?」

 シビルが声をあげるとほぼ同時に、神殿からキュッリッキの悲鳴が聴こえてきた。

「キューリ!」

「キューリさん!?」

 キュッリッキの悲鳴に弾かれ、何事かと全員神殿に駆け込み、そこで一様に目を剥く。

「おい、なんだこれ!?」

 ギャリーは驚いて思わず声を上げた。

 それまで何もなく、縦長一直線だった暗い神殿の中には、いくつもの壁や柱が出現していて、複雑な様相を呈していた。

 突如様変わりした神殿内部に唖然と驚く一同に、更にキュッリッキの切羽詰まった悲鳴が届く。

 ハッとしたように、カーティスの急いた指示が飛ぶ。

「ケレヴィルの皆さんは外に出ていてください。キューリさんのお友達とブルニタルも。捜索は我々だけでやりましょう」

 みな黙って頷いた。

「作戦のときの班で別れて探しましょう。ルーファスとハーマンとランドンはメルヴィンの班へ移って。急ぎますよ!」

 カーティスの指示で3班に分かれると、それぞれ神殿の内部に突入した。

 キュッリッキは生まれて初めてだと思うくらいの悲鳴を、喉から絞り出した。突如目の前に、巨大な怪物が現れたからだ。

 柱の影から現れたそれは、あまりにも異様な姿をしていた。生臭い息と唾液を滴らせ、黄色く濁った目には血のような紅い瞳が斑点のように張り付いている。大きな口は耳まで裂け、黄ばんだ鋭い牙が何本ものぞいていた。

 愉悦を浮かべるその顔は、まるで下卑たイヤラシイ人間の男の顔のように見える。

 顔の周りはごわついた黒い毛で覆われ、人面をした巨大なライオンのような怪物は、仰け反り見上げるほどに大きい。硬い甲羅に覆われた長い尾が、せわしなく揺れ動いている。

 獲物を見つけた愉悦に浸る怪物に、すぐさまフェンリルで応戦しようとしたとき、足元にいたフェンリルが、突然何かに吸い込まれるようにかき消えたのだ。

「えっ、フェ、フェンリル!?」

 キュッリッキはその場で飛び上がるほど仰天した。

「どういうことなの? なんで消えちゃったのフェンリル…」

 フェンリルをアルケラへ還していない。それなのに、かき消えてしまった。

 目の前の怪物といい、勝手に消えたフェンリルといい、どういうことなのだろうか。しかし悩んでいる暇はない。戦うために気持ちを切り替え、すぐさまフェンリルを再召喚しようとしたが、目を凝らしても何も視えない。

「う、嘘、アルケラが視えない……な、なんで?」

 視線を前方に彷徨わせ、キュッリッキは激しく狼狽えた。

 怪物は距離をゆっくりと取って前脚を動かしている。キュッリッキは困惑を深めながらも、ジリジリと壁際に後退していった。

 諦めず何度も試してみたが、その目に見えていたアルケラは視えず、ただただ目の前の怪物の姿を、その神聖な瞳に映し出すだけだった。

(どうしよう…アタシこのままじゃ…)

 召喚が使えなければ、キュッリッキには戦う術が何もない。

 武術も剣術も使えない。まして護身用の短剣すら持ち歩いていないのだ。自分の身を護るのはフェンリルをはじめ、アルケラの住人たちだ。それなのに、フェンリルは消えてしまい、アルケラも視えない。これでは、逃げることしか出来ない。

 恐怖と緊張で、脚がガクガク震え、腰が砕けそうになった。

 怪物はすぐには襲いかかってくる様子はなく、キュッリッキの出方を探っているようだった。

 知性があるのだろうか。それならば、

(タイミングを見て逃げ出せばいいんだわ…。――いまだ!)

 キュッリッキは素早く翻って駆け出した。

 不意をつかれた怪物も、すぐさま前脚を跳ね上げ走り出した。

 花崗岩で作られた神殿には、どこにも窓がない。もっとも山中を掘った空洞の中に建てられているのだから、明かりなど射すはずもなかった。

 調査に入ったみんなの話では、だだっ広い長方形のような、一つの長い部屋しかないと言っていた。それなのに、地震の直後一瞬にして様変わりしてしまった。あちこちを石の壁で区切られ、大小様々な部屋ができ、通路の壁に据えられた篝には、小さな灯りが点っているのだ。

 壁には幾何学模様のようなレリーフが埋め込まれ、カビ臭さは一切なく、石はじっとりと冷気を含んで湿っていた。

 その中を、キュッリッキは闇雲に走り、逃げ回った。時折石畳の切れ目に足を取られそうになるが、たたらを踏みながらも転ばずひたすら走った。

 怪物は追いかけっこを愉しむかのように、わざとキュッリッキとの距離を取って追いかけている。明らかに遊んでいた。 

 怪物のそんな様子にも気づかず、キュッリッキの頭の中は混乱してぐちゃぐちゃだった。急にフェンリルは消える、アルケラが視えなくなる、召喚が使えない、神殿の中は複雑構造で出口がわからない、見たこともない怪物に追いかけられている。

 パニックに陥っていた。

 こんなことは初めてだった。

 フェンリルが初めてキュッリッキの元へ来た時から、一度も消えることなくずっとそばにいてくれたのだ。それに当たり前のように視えていたアルケラが、視えなくなるなんてことも今までなかった。

(どうしよう、どうしよう)

 キュッリッキの強みは、無敵の住人たちを召喚する事なのに。それができないということは、今のキュッリッキは、ただの無力な女の子だ。

 心の中に、どんどん不安と恐怖が広がっていく。どうしていいか判らず、涙が溢れて視界を曇らせた。

 ついさっきまでザカリーと喧嘩をしていたことなんて、頭の中から完全に吹き飛んでいた。

 怪物はゆっくりとだが、確実にキュッリッキを追いかけてきていた。獲物を追い詰め、弄ぶかのように。それがキュッリッキの精神を、より追い詰めていく。

 大きく開けた明るい場所に出て、そこで石畳に滑って転びそうになる。前につんのめり倒れそうになったところを、追いついてきた怪物に激しく背中を強打された。

「うぐっ」

 数メートルほど吹っ飛ばされ、石畳に打ち付けた肩から背中で滑るように落ち、息が詰まった。全身に痛みが走って小さく呻く。

 逃げるために急いで起き上がろうとするが、思うように身体が動かない。意志とは裏腹に、手足に力が入らないのだ。急に全力で走ったこともあり、筋肉が震えている。

 大きく息を吸い込むと胸が軋んだ。肋骨にヒビでも入ったのだろうか。痛みで一瞬視界がぐらりと揺れた。

(逃げ…なきゃ)

 か細い腕に力をこめて、それでも身体を起こして立ち上がろうとするが、すでに怪物は目の前に立っていた。

 足元の小さな獲物が逃げられないことを悟ったように、裂けた口がイヤラシく歪んで広がった。どす黒い長い舌が牙の隙間から垂れ落ち、鼻を塞ぎたくなるほどの異臭を含んだ唾液が床に滴り落ちた。

(誰か……)

 痛みと恐怖で涙が止まらなかった。

(お願い…誰か、助けて……)

 怪物は目を細めると、鋭い爪を備えた前脚を上げ、勢いをつけて振り下ろした。

 こんなに広かっただろうか?と思える程の、複雑に入り組む神殿の中を走りながら、ザカリーの頭の中は後悔の文字でいっぱいになっていた。

 ほんの少しからかって、キュッリッキとひと時の会話――喧嘩になったが――を楽しみたかっただけだ。翼のことを口走りそうになって、傷つけるつもりはなかった。弾みで口にしたこととは言え、大粒の涙まで流され、ザカリーは罪悪感で胸が痛んだ。そこへ、あんなに切羽詰まった悲鳴が聞こえてきて、もうどうしていいか判らない。

「場所とタイミングが、わ~るかっただけだよ」

「ちょ! 心の中を読むなよ!」

 横に並んで走るマリオンに、ザカリーは顔を真っ赤にして怒鳴る。マリオンはのんびり笑った。

「早く、キューリちゃん見つけてあげよ~」

「……うん」

「どうやったら一瞬で、こんな複雑構造に作り変われるんですかねえ」

 どこをどう走ったものか見当もつかず、手当たり次第走りながらカーティスはぼやいた。そこに頭痛が走り、念話が割り込んできて顔をしかめる。

(おいカーティス、そっちの状況はどうなっている?)

(ベルトルド卿)

 今回の依頼主でもある、副宰相ベルトルドからの念話だ。

(リッキーから預かった小鳥が消え失せた。一体どうしたんだ?)

(え?)

 カーティスは己の肩に目を向けて息を呑む。張り付くようにしてとまっていた赤い小鳥が、消えているではないか。

(私のほうの小鳥も消えていますね…。ちょっと、マズイかもしれません)

(? さっぱり意味が判らんぞ)

 不快げに眉を寄せる顔が目に浮かぶような声だった。しかし今はそれどころじゃない。

(とにかくたてこんでまして。状況がまとまり次第早急に連絡を入れますから、もうちょっとお待ちください!)

 強引に念話を打ち切り、カーティスは走る速度を速めた。

「ねえハドリー、あたしたちも探しに行ったほうがよくない?」

 神殿を見つめ、ファニーが提案する。

「そうしたいが、中で何が起こっているか判らねえ。二次遭難になったらシャレにならないし、足でまといになるから、じっとしてたほうがいい」

「むぅ…」

 ファニー同様すぐにでも駆け込みたかったが、ハドリーはその衝動を必死で堪えた。努めて冷静さを装ってはいるが、嫌な胸騒ぎがしてならなかった。

 あんなに怖がっていた神殿に入ってしまったキュッリッキ。ザカリーという男と喧嘩していた感じから、以前話していた秘密がバレた相手のことだろうと察しがついた。何を口論してこんな事態になったのかは判らないが、怖いと言っていた神殿に駆け込んでしまうほど、傷ついたのだとしたら、すぐさま飛んでいってやりたい。

 でも今のキュッリッキには、新しい仲間が出来ている。ここにその仲間たちがいる。

 仲間との間でことで起こった問題なら、親友といえどしゃしゃり出ることじゃないとハドリーは考えていた。仲間たちと解決することが、キュッリッキのためになると思ったからだ。

「無事でいてくれよ…」

 祈るように小さくハドリーは呟いた。