【小説】眠りの果てに 第二話:メイズリーク伯爵家

眠りの果てに(完結)
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 大きな門を通り、さらに暫く走ると、城の入口前に馬車は停まった。

 インドラはドアを開けて出ようとすると、サッと使用人の手がドアに触れて、インドラを妨げた。それに首をかしげていると、外からドアを開けるものがいた。

「おつかれさまでございます」

 ややお腹が出っ張った男が、窮屈そうに恭しく一礼し、インドラに手を差し伸べた。

 困惑したように使用人に目を向けると、使用人がにっこりと笑って頷いた。

 インドラは差し伸べられている手を取ると、裾の長いドレスをたくしあげるようにして馬車を降りた。そして目の前の光景に目を丸くしてしまった。

 黒い服をしっかり着込み、髪を整えた無表情の男の使用人、黒いドレス風の服に真っ白なエプロンをした女の使用人たちが、左右に列を作って並んでいるのだ。

 初めて目にするその光景に、インドラは圧倒されて軽い目眩を感じてしまった。そして、いずれ自分もあの列に加わり、お客様をお迎えするようになるのかしら、と思って身が引き締まる。

「では、ご案内いたします」

 降りるときに手を貸してくれた男が、インドラを導くように先頭に立って城の中へいざなった。

「はい」

 裾を踏まないように注意しながら、男の後ろを早足で追いかける。男の歩調はインドラには若干早かったのだ。

 大きな鉄の扉を通り、玄関ホールへと入る。そこもまたインドラにとっては別世界が広がっていた。

 驚いて周りをキョロキョロと見回しているインドラにはおかまいなしに、男は正面の階段をあがりはじめた。インドラはそれに気づいてあとを追う。

 あまり窓は多くなかったが、通路の壁のいたるところに、透明なガラスで囲んだランプにローソクが灯されていて明るかった。

 赤い絨毯の敷かれた長い廊下を歩き、ようやく男は足を止めた。そして目の前の白くて大きな扉を軽くノックする。すると、中から女性の声で返事があり、男は扉を内側に開いた。

「ご到着致しました」

「ご苦労でしたね、セバスチアーン」

 セバスチアーンと呼ばれた男は、出っ張った腹を窮屈そうに曲げて、女性にお辞儀をした。

「ようこそおいでくださいました。わたくしはこの家のハウスキーパーをしているアネシュカと申します。このひとはフットマンのセバスチアーンです」

 アネシュカは白い毛の混じった茶色い髪の毛を後ろで一つにまとめてネットで覆っている。着ているドレスはベージュ色の模様のない質素なドレス。無駄な肉のついていない顔は薄く化粧をはいているだけで、ちょっと細い目がキツイ印象を与えていた。

「そしてこの部屋は、今日からインドラ様がお過ごしになるお部屋です」

 にこやかに言われて、インドラは呆気にとられた。

「あ、あの、アネシュカさん」

「はい」

「あたし、このお城にご奉公へきたんですが、こんなに素敵なお部屋で、寝起きするんでしょうか……?」

 アネシュカとセバスチアーンは顔を見合わせ首をかしげた。すると、

「そうですよ」

 温厚そうな声が後ろからして、インドラは振り向いた。

 長身で体格もよく、温かな雰囲気を顔にたたえた、おじいさんと呼ぶには少し若い男が、にこやかにインドラを見て一礼した。

「初めまして。わたしはこの家のバトラーをしているドラホスラフと申します。――セバスチアーン、お前はもう下がっていいですよ」

 セバスチアーンは小さく頷くと、やはりお腹を窮屈そうに曲げて礼をして行ってしまった。

「今日からお嬢様――インドラ様のことは、”お嬢様”とお呼び致します。このお城でお過ごしいただきますが、お嬢様には特別なお仕事をしていただきます」

「と、特別ですか?」

 不安が急にこみ上げてきて、インドラは思わず胸元を抑えて息を呑む。

 ドラホスラフはいたずらっぽい笑みを浮かべて頷いた。

「勉強をしていただきます。算数、語学、作文、行儀作法、ピアノ、ダンス。これを週5日みっちりやっていただきますよ。そして土曜日と日曜日は礼拝がありますので、お仕事はお休みです」

 想像していた仕事内容とは大きくかけ離れすぎて、インドラは目を丸くしてドラホスラフを見上げてしまった。そんなインドラの反応がよほど面白かったのか、アネシュカとドラホスラフはプッと小さく吹き出してしまっている。

 たくさんの金貨で買われてきたのだから、さぞ辛い仕事が待ち受けていると覚悟を決めていたのだが。”お嬢様”と呼ばれ、素敵な部屋を与えられ、勉強を教わる。

 これは一体、どういうことなのだろう。

「勉強は手加減いたしませんぞ。当家のガヴァネスは厳しいことで有名ですからね。毎日泣きたくても逃げられませんから、今からしっかり気を引き締めてください」

「は、はいっ!」

 そんなにすごい家庭教師ガヴァネスなのかと、インドラは心臓が飛び上がりそうになった。

「しかし今日は長旅でお疲れでしょう。ゆっくりとお部屋でおやすみください。あとでお嬢様専属のメイドたちをご紹介させていただきます。それではアネシュカさん」

 アネシュカは頷くと、ドラホスラフとともに礼をして下がった。

 一人部屋に取り残されたインドラは、頭の中が混乱しながら、座りたくなって椅子を求めた。

「なんて素敵なお部屋なんだろう…」

 城は石造りだが、少しも冷たい感じがしない。

 床は温かみのある赤い絨毯が敷き詰められ、いたるところに白い毛のマットも敷かれていた。壁にも風景画やタペストリーが飾られ、調度品も白に金の装飾が施されたもので統一されている。年若い女性に向いた内装になっていた。

 四角い箱のように、金の柱で天蓋を支えているベッドに腰をかけ、インドラはホウッとため息をついた。どっしりとした重たいカーテンと、こんなフカフカしたベッドなんて初めてだ。

「きっと、お城で働く人たちにも、こんな素敵なお部屋があたえられているのだわ」

 こんなに大きなお城なら、使用人にも個室が与えられて、快適に過ごせているに違いないとインドラは思った。

「でも、勉強することがお仕事なんて、貴族って不思議なお仕事をさせるのね」

 自分の置かれている立場に戸惑い、ため息しか出てこなかった。

 インドラにとって、世界とは小さな小屋と周辺の山や草原だけだ。時折村や街にいくが、滅多に行かない。

 貴族や上流階級を知らないインドラにとっては、もはや別世界のことだったのだ。

 しかしドラホスラフは、この部屋で過ごし、週5日勉強することがインドラの仕事だと言った。ならば、与えられたその仕事を、あのたくさんの金貨に見合うだけしっかりとやり遂げなければならない。そうしないと、金貨は家族から取り上げられ、自分は城を追い出されてしまう。そんなことになったら、家族にまたひもじい思いをさせることになる。

 城へくる途中、一生懸命働こうと自らに誓ったことを思い出し、インドラはしゃんと背筋を伸ばした。

 -つづく-

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