
一人暮らしをする女性・朱乃の住むアパートの前に謎の郵便ポスト、そして郵便物を受け取るポストの中に、謎の大学ノートが…? その日から奇妙な交換日記が始まります。
【短編】交換日記

朱乃は目の前のそれを、訝しげに睨みつけた。
一人暮らしをしているアパートの前に、一本の頼りなげなポールの頭に、四角い朱色の箱をくっつけた、見るからに郵便ポストらしきものが立っているのだ。
朝、出勤のためにアパートを出たところで目に付いた。
「こんなど真ん前に、ポストなんてあったかしら?」
記憶をたどるが、昨日までこんなポストはなかったように思われる。
とくにポストに投函する郵便物はないので、朱乃は仕事に向かった。
夜遅く仕事から帰ってくると、やはりポストは朝と同じ場所に立っている。思わずジロジロとポストを眺め、そして小さく笑いを漏らすと、アパートに据え置きの自分の部屋のポストを開けた。
「なにこれ?」
普段なら、ダイレクトメールか請求書の封筒しか入っていないポストに、一冊の大学ノートが入っていた。その大学ノートの表紙には『交換日記』と、黒マジックで丁寧に書かれている。
朱乃はたっぷり間を置いたあと、
「はぁあああ?」
と、嘲笑を含んで声を上げてしまった。
今時交換日記? LINEやメールでやりとりをするこの時代に、大学ノートで手書きの交換日記だとぅ!?
時代錯誤が漂いまくりのそのノートを、しかし朱乃は何故か部屋に持ち込んでしまった。
バッグをポイッとベッドの上に放り投げ、小さな冷蔵庫からビールの缶を取り出してプルトップを開けると、グビグビと中身を飲み干す。それでようやく一息つき、朱乃は衣服を脱ぎ散らかしてユニットバスへ入った。シャワーで髪と身体を洗って出てくると、タオルを身体に巻いたままで、ようやくノートの前に座った。
ノートを開くと、まだ何も書かれていない。
「あたしがトップバッターかい」
そして最後のページには、
『書き終わったら、アパートの前のポストに投函しておいてください』
とだけ書いてある。
悪戯にしては手が込んでいるし、これはもしや、個人情報をとるためのあらたな手段? とも考えにくい。
散々小馬鹿にしたあと、それでも妙にこのノートが気になった。
暫くノートを見つめたあと、ふいに朱乃はノートを開いて、ボールペンを手にした。
『あたしは朱乃、今年で35歳。
アパートから1時間ほど電車にゆられたところの工場で、営業事務の仕事をしています。このところ残業続きで帰りが遅くてイヤになります。』
そこまで書いて、
「やだな、あたしってバカぁ?」
ゲラゲラ笑い、ノートを閉じて、部屋の電気を消してベッドに潜り込んだ。
翌朝出勤前にノートをポストに放り込む。
「誰かが返事をくれるってか?」
まるで信じてない口調でひとりごちながら、朱乃は仕事に向かった。
夜遅く帰ってくると、また自分の部屋のポストに、例の交換日記が入っていた。
「うっそ……」
朱乃はノートを取り出すと、急いで自分の部屋に戻った。そして部屋の電気をつけて、立ったままノートを開く。
『私は32歳の専業主婦です。倫子といいます。
毎日遅くまでお仕事お疲れ様。夜道は危ないし、早く定時で帰れるといいね、頑張って!』
そう、返事が書き込まれている。
「…えっと…」
――倫子さんて、どなた!?
薄気味悪くもあり、しかし誰だろうと気にもなる。
「まさか、この倫子さんってひとが、暇つぶしにあたしに送りつけてきたとか……?」
いくら暇な主婦でも、ポストまで立てて、わざわざこんなことをするのか? しかも、朱乃にはこの倫子さんなる主婦に心当たりがない。自慢ではないが、朱乃には友達と呼べる存在が一人もいないのだ。
学生時代、親友と呼べる女友達に「本当はあんたなんか大っ嫌いだった!」と衝撃の告白を受け、それ以来、友達を作ることが怖くなってしまった。これまで付き合いのあった友人たちとも距離を置いて、今では寂しい一人暮らしで独り者。
「へへ……なんだかなあ……」
昔のことを思い出しながら、感傷的な気分に陥った朱乃には、この倫子という主婦の言葉が妙に心に染みた。
『倫子さん、応援ありがとう!
今は繁忙期だから忙しいけど、来月からは定時に帰れそう。早く行きつけの焼き鳥屋に飲みに行きたいな』
そう記すと、照れくさそうに笑ってベッドに入った。
次の日の夜、ポストには例の交換日記のノートが入っていて、そして今度は新たな見知らぬ人からの書き込みがあった。
『オレ健司! まだ高校生だけど、なんか仕事ってめんどくさそー! 疲れてる時はオンゲーおすすめっ! オレとおなじ鯖にこいよ、一緒に遊ぼうぜ~w』
「オンゲー……てか、今度は高校生の男子!?」
交換日記の相手は倫子さんだけじゃないのか!?
これは一体、どんな交換日記?
「なにこの軽さは、全くもー」
そう言いながら、健司なる高校生へ向けて返事を書いた。
それから毎日毎日、朱乃と謎の交換日記は続いた。2、3行程度の短いやりとりだったが、同じ人からの書き込みはなく、書き込んでくる相手の年齢や性別、職業は様々だ。
こうした不思議なやり取りは続き、空白のノートの中身はあっという間に文字で埋め尽くされた。
そしてある日、最後のページのみになった。
「終わっちゃうの、かな……」
今日書き込んだら、もう書く行がなくなる。
ボールペンを握り締めたまま、朱乃はしばし考え込んだ。そして、
『最後に一言。いい人見つかりますように! だってあたしもう35歳切実!』
締めくくりに願望を書いて、朱乃は暫く笑っていた。
翌日の夜、ポストには交換日記のノートは入っていなかった。
「やっぱ、もう終わりなんだ」
2ヶ月くらい続いた謎の交換日記は、こうして終わりを告げた。
朱乃は急に寂しさを覚え、久しぶりにスマホをいじった。思えばこの2ヶ月ほど、スマホをほとんど触っていなかった。もともとそれほど興味もなかった。
なんとなくしんみりした気分で朝を向かえ、出勤のためにアパートを出ると、あの謎のポストが消えていた。
「これで本当に終わりなんだね」
心の中が急に寒くなり、朱乃は自嘲しながら出勤した。
いつもと変わらぬ業務を終えて、繁忙期も過ぎ去って定時で仕事が終わると、私服に着替えて朱乃は工場を出た。
「こんな気分の時こそ、焼き鳥屋で一杯だ!」
そう独り言を言っていると、
「眞岡」
背後から呼ばれて、朱乃はビクッと振り向いた。
「か、課長」
同じ事務所の課長が、スーツ姿で立っていた。
「なんでしょうか?」
なにか仕事でミスったっけ? と朱乃は首をかしげたが、課長の手にしているモノを見て、ギョッと目を見開いた。
「なんで課長が、それを持ってるの!?」
この2ヶ月毎日見慣れた大学ノート、表紙に黒マジックで『交換日記』と書かれたそれをなぜ。
「朝、俺の家のポストに入ってたんだ。中を見たら、どう考えても眞岡のことだよな、とね」
朱乃はびっくりしたまま課長の顔をまじまじと見ていた。
「全く、俺の悪口までしっかり書いてやがる。何が”のーきんエロバカ”だ」
「ご、ごめんなさい…」
「そのくせ、俺のことが好きみたいじゃないか」
――そ、そんなことまで書きましたっけえ~~~!?
朱乃は冷や汗を滝のように流し続けながら、顔を真っ赤にして口をパクパクさせた。
課長の言うように、実は結構憧れていて、好きだったりする。自ら告白する前にバレバレなのは気まずいというか、どうすればいいのか、朱乃は本気で焦っていた。
「両思いってことは、遠慮しなくてもいいってことだな」
「え?」
課長は朱乃の腕を掴むと、駅へ向かってグイグイ引っ張っていった。
「お前の行きつけの焼き鳥屋へ案内しろ。そのあとは、朝まで返すつもりはないからな、覚悟しろよ」
「えええええ」
-おわり-
初出:2015/09/20
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