第一話:自転車に乗る女二人

「あのさ、由里姉
…」

「何も言うな、何も語るな、何も見るなっ!!」
ハンドルをギュッと握り締めて、額に汗して由里子
は前方を見据えた。そして頭を大きく左右に振る。右足はペダルに、左足は地面を踏みしめ、自転車が倒れないように踏ん張った。

「あたしさ…、ジャングルってテレビでしか見たことないんだけどぉ…、どうみてもこれって、ジャングルっていうよね?」
由里子がバランスを取る自転車の後部座席に座りながら、利子
は周囲をゆっくりと眺めた。
鬱蒼と生い茂る緑、見事な太い幹をした木々、立ち込める湿気を含んだ濃い緑の臭い、時折聞こえてくる鳥の甲高い鳴き声。
天高く伸びている木々の葉の隙間から、チラチラと降り注ぐ陽光からすると、今は日中のようだった。
そこに、女の二人乗りをしたママチャリが一台、周囲の風景にかなりの違和感を漂わせていた。

「秘境探検!! とかさ、フジオカヒロシが出てきたりして~」

「……」
由里子の背後から、利子がずいっと顔を覗き込む。

「どう見てもジャングルだよねぇ。あたしたちって、太古の世界にタイムスリップしたとか?」

「アタシの計算では、太古とかアリエナイんだけど…」
由里子はジッとステムを見つめて呟いた。

「おっかしいなあ…」
再度由里子が呟いたその時、

「あれっ、由里姉!」

「戻れるのかな? 利子、アタシにしっかりつかまってな!」

「はいよっ!」
二人は突然発光し、そしてその場から掻き消えた。
* * *

「将来の夢は、無難な顔の、経済的に中の上程度。次男か三男と結婚して、土地付き新築一戸建て庭付きに住んで、子供は二人くらい。年金生活の末、子供と孫に家を追い出され、老人ホームで介護を受けながら老衰で死ぬこと」

「………」

「って言ったらクラスの連中に、由里姉
みたいな表情
された」
利子
はふすまにもたれて、つまらなさそうに天井を見上げる。

「今を盛りに咲き誇るジョシコーセーが、なんて平々凡々な有り得る将来
像を語るんだか…」
目覚まし時計の四角い箱をいじりながら、由里子はため息混じりで呟く。

「だってー、取り柄もないあたしが大人になっても、無難な人生歩いていくに決まってるしー」
両足を畳に投げ出し、ゆっくりと脚を上下させる。

「夢なんて口では色々言えるけど、叶えるとか一部のドリョク家と運に恵まれたやつだけじゃーん。あたしにはどっちもナイしぃ」

「まあ、貫き通す意志の強さとか、周囲の支えとか、難しいケドねえ…夢なんてもん」

「でしょー。やっぱー、虚しい思いをするよりも、平々凡々人生を生きたほうが、シアワセってもンだよ」

「平々凡々が一番なのは言えるわ。――夢を見て追いかけて挫折してさ…、アタシみたいになるよかな!」
化粧もしてないすっぴん素顔で、由里子はニカリと笑った。
奥村由里子が利子の住む町に引っ越してきてから、もう1年が経っていた。
働いてもいない、結婚もしていない、あばら家同然の酷い平屋に住み着いて、ご近所付き合いもしない。巷では謎の女性で有名だ。
たまたま回覧板を届けるために由里子の家を訪問したことがきっかけで、利子は由里子の家に遊びに行くようになった。
話をしてみれば普通の大人の女性。少々おしゃれには縁遠い格好をしているが、顔立ちは普通に綺麗だし、会話も普通で色々な話題にものってくれる。
兄弟がいない一人っ子の利子にしてみると、年の離れた姉が出来たような感じで嬉しい。由里子もとくに利子を避けるでもなく、遠ざけるでもなく、遊びに来れば適当に相手をしていた。

「ところで由里姉
、さっきから時計と格闘して、なに作ってるん?」
遊びに来た時から、今日はひたすら目覚まし時計をいじくっている。そのことに話題を向けると、由里子は眼鏡をクイッとかけ直し、得意げに口の端を歪めて笑んだ。

「ふっ、聞いて驚けよ。アタシはデロリアンを作っている!」
3拍ほどの間を空けて、利子はぽつりと反応した。

「へ? なにそれデロリンて」

「やだアンタ、デロリアン知らないの?」

「うん」
あちゃー…という表情で、片手で顔を覆う。

「平成生まれのオコサマは『Back to the Future』なんて映画は知らないか…」

「あー、タイトル? それは聞いたことあるかも」
由里子はヤレヤレといった表情で首を振ると、時計との格闘を再開した。

「そのデーロリンってのは、時計から作るものなんだ?」

「デロリアン! 作り方はシラナイよっ! でもタイムマシンだから時計いじってるだけだ」

「………タイム……マシン?」
はあ!? という表情で、利子はふすまから離れた。
利子はハイハイするように畳の上を這うと、由里子の前に座り直して額に手を当てる。

「もうすぐ冬だし、風邪でもひいたんじゃ…」

「病気じゃないし」

「学習机の引き出しの中に作らないとダメなんじゃない?」

「ドラえもんじゃないからっ!」
由里子はムッと目を寄せ、真正面に座る利子を睨む。

「完成したらアンタをタイムトラベルに連れてってやるから、もう今日は帰りな!」
ビシッと右手で玄関のドアを指す。
不満そうに声を上げる利子を無視して、由里子は更にドアを指さした。
-つづく-